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No.216

歴史展示室

戦国時代の博多展5-大内氏と大友氏-

平成15年1月21日(火)~3月2日(日)


図1 大内徳雄感状 (史料1)

 古代以来、国際貿易港として栄えた博多(はかた)。博多の富は数多の武将の争奪の的となり、幾度か戦乱に巻き込まれましたが、戦国時代の博多を治めたのは、周防山口(すおうやまぐち)(現山口県)を本拠とする大内(おおうち)氏と豊後府内(ぶんごふない)(現大分県)に拠(よ)る大友(おおども)氏です。現在の呉服町交差点あたりを境に、博多湾に面した息浜(おきのはま)と呼ばれる地域を大友氏が、東南の陸側の地域を大内氏が治めました。博多は大内氏と大友氏が時には対立しながらもそれぞれ分割して統治していたのです。
 そこで本展覧会では、以下の3つの点に注目し、館蔵資料のなかから大内氏と大友氏に関する古文書を紹介します。


1 "戦う"

 武家文書において現在伝わっている文書の数は、平時にくらべると戦時の方が格段に多く残されています。合戦に関わる文書が多数出され、しかもそれらが大切に保存されたからです。先ず、戦が始まる前に出陣を命じる軍勢催促状(ぐんぜいさいそくじょう)が出されます。次いで合戦が始まり、戦場で手柄を立てた武士は、褒美を獲得するために自己の手柄を報告し、それが認められると主君から感状(かんじょう)(図1)が出されます。そして、戦後の論功行賞によって恩賞の配分が行われ、次のコーナーで紹介する充行状(あてがいじょう)によって所領などが与えられるのです。このコーナーでは、大内氏と大友氏の合戦に関わる文書を紹介します。



図2 筑前守護代杉氏奉公行人連署状 (史料18)


2 "与える"

 博多をはじめ北部九州一帯を支配した大内・大友両氏は、領内の武士や寺社に対しさまざまな特権を与えました。例えば、土地からの収益によって主たる生計が立てられていた当時、土地を与えたりする充行状や、保有する土地や権利を保証する安堵状(あんどじょう)は、家臣にとってもっとも大切にされた文書でした。領内で起きた紛争も当事者同士で解決できない場合は大名が裁定を下しました(図2)。また、保護する商人に対しては、その商業活動を推進するため領内の通行自由を特別に免許しました(図3)。あるいは家臣との人格的な結びつきを強めるため、名字状(みょうじじょう)を出して自己の名前の一字を名乗らせたりもしました。このコーナーでは、大内・大友両氏が国内の武士や寺社に対していろいろな権限を与える際に出した文書を紹介します。



図3 吉弘宗仭書状(前半) (史料23)


3 さまざまなサイン

 
図4 大友義統(左)と
父宗麟(右)の花押 (史料26)


図5 入田親廉の花押印 (史料29)

 ほとんど文書には、差出人を明示するために日付の下や料紙の右端(袖)などにさまざまな形の花押(かおう)(サイン)がなされています。一人ひとり形が異なるので、署名がなくても人物を特定することができます。主君の花押は威風堂々と、家臣のものはそれより遠慮がちに小振りの大きさで書かれます。新たに当主となった者は親の花押を真似て書くこともありました(図4)。また、手書きのサインの代わりに印鑑を用いることもありました。珍しい例では、その中間にあたる花押の形をした印もあります(図5)。このコーナーでは、大内・大友両氏の関係の文書のなかからユニークなサインを選んで紹介します。
(堀本一繁)

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