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No.253

考古・民俗展示室

弥生時代はいつ始まったか-年代測定と考古学-

平成16年11月16日(火)~平成17年1月23日(日)

1.弥生時代はいつ始まったか


年代測定を行った雀居遺跡出土器

 「弥生時代」という名称は1884年に東京都弥生町(やよいちょう)遺跡で見つかった1つの壷の発見がきっかけとなりました。この土器は縄文土器と異なる「弥生式土器」として認識されようになりました。その後、これらが使われた時代、文化がどのようなものかが追求されてきました。そして、1951年~1954年に行われた福岡市板付遺跡の発掘調査で縄文時代晩期の終わりの「夜臼式(ゆうすしき)土器」に伴って発見された弥生土器は「板付Ⅰ式(いたづけいちしき)土器」と呼ばれ、最古の弥生土器として認定されました。また、その土器に伴って、炭化米(たんかまい)や籾圧痕(もみあっこん)の付いた土器、大陸系磨製石器が出土したことで水稲農耕の存在やその源流が大陸に求められることが分かりました。 こうして、弥生時代は「日本における稲作の時代」と認識されるようになりました。


2.縄文時代晩期?それとも弥生時代早期?

 弥生時代は稲作の時代という認識でしたが、縄文時代とは土器によって区分されていました。一方で、土器による区分ではなく、稲作やそれに関わる文化の存在から時代を定義する考え方が出されるようになりました。
1978年に板付遺跡で夜臼式土器の時期に位置付けられる水田、木製農具、石庖丁(いしぼうちょう)等が発見されました。その後も各地で水稲耕作の始まりに関わる遺跡が発見され、弥生時代の定義が見直されるようになりました。板付遺跡の水田は出土した土器を見ると、縄文時代の終わりの頃となりますが、水田の灌漑施設や使用された農具など整ったもので、弥生時代に継承されていきます。つまり、この頃にはすでに弥生時代に繋がる文化が見られることから、これらを縄文時代とは区分して、水稲農耕のさきがけの時期を「弥生時代早期」という時代に位置付けようとしました。現在、水稲農耕の始まりは縄文時代晩期おわりの頃まで遡ることは確実になっています。しかし、一方で、「早期」の遺跡は北部九州以外では非常に少ないことから、板付Ⅰ式土器に始まる弥生土器が使われる頃から弥生時代とするべきという意見があり、今も揺れ動いています。


3.考古学は年代をどう推定するのか

 では、弥生時代は何年前に始まったのでしょうか。考古学で年代を決める場合、まず、遺物の変化に基づいて時間的な流れを整理します。その流れの中に年代が分かる資料が伴えば、年代が推定するわけです。しかし、「漢委奴国王」の金印のように記録に出てくるようなものも極めて稀です。また、作られた年代がわかっていても使われた時代が長ければ、その年代を示すとは限りません。また、土器と青銅器ではその変化のスピードが異なります。また、地域ごとで変化の仕方も異なりますので、それぞれの対応関係にずれが生じることがあります。考古学ではそれらの関係を整理しながら、年代を定めてきました。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
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