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No.277

美術・工芸展示室

最古の王墓-吉武高木遺跡-

平成18年4月4日(火)~平成18年7月17日(月・祝)


吉武高木遺跡3号木棺墓出土資料

1、吉武遺跡群

 吉武遺跡群(よしたけいせきぐん)は、早良平野の中央を流れる室見川(むろみがわ)中流左岸に立地する旧石器時代から中世にわたる複合遺跡です。特に弥生時代前期末~後期初頭の甕棺墓(かめかんぼ)、木棺墓(もっかんぼ)は10以上の群を為し、総数1200基にも及びます。その遺跡群の中にある吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)において、1984年度調査で弥生時代前期末~中期初頭の甕棺墓・木棺墓等11基より青銅製の武器や鏡、腕飾り、ヒスイ製の玉類などが多数出土しました。後に遺跡は国の史跡に、銅剣や鏡などの出土品は重要文化財に指定されました。遺跡群内には同様に多数の副葬品を有する前期末~中期後半の甕棺を主体とした墓地である吉武大石遺跡(よしたけおおせきいせき)、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡遺跡(よしたけひわたしいせき)があります。


2.最古の王墓―吉武高木遺跡―

 吉武高木遺跡では弥生時代前期末~中期後半の甕棺墓34基、木棺墓4基、土壙墓13基が発見されました。墓域の西側に成人の墓が北東に向いて約20m四方の範囲に整然と配置され、その東側に小児の墓が造られています。成人の墓には標石をもつものもあります。ここからは甕棺墓8基と木棺墓4基から細形銅剣(ほそがたどうけん)9口、細形銅戈(ほそがたどうか)1口、細形銅矛(ほそがたどうほこ)1口、多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)1面、銅釧(どうくしろ)2個、ヒスイ製の勾玉(まがたま)、碧玉(へきぎょく)製の管玉(くだたま)などが出土しました。特に、3号木棺墓には細形銅剣2口、細形銅矛1口、細形銅戈1口、多鈕細文鏡1面、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉類が納められ、この墓地の中心的な墓と考えられています。
   北部九州では弥生時代の初めの頃には小壺や磨製石剣、石鏃等の副葬品が見られました。弥生時代前期末~中期初頭になると、朝鮮半島より伝わった青銅武器が副葬品として見られるようになります。吉武高木遺跡では青銅武器の他、朝鮮半島に起源を持つ多鈕細文鏡と呼ばれる鏡も出土しました。このように副葬品を見る限り、吉武高木遺跡の被葬者は朝鮮半島に関係の深い人々であったことが分かります。



吉武高木遺跡遺構配置図

3.戦士の墓―吉武大石遺跡―

吉武大石遺跡は吉武高木遺跡の北西側に位置し、弥生時代前期末~中期後半の甕棺墓202基、木棺墓8基、土壙墓13基、祭祀遺構5基が発見されました。この遺跡は南西方向から約450mも延びる「甕棺ロード」と言われる墓地群の一部と考えられています。その内、前期末~中期初頭の甕棺墓・木棺墓13基より銅剣、銅戈、銅矛の武器(11口)、玉類が出土しました。また、磨製石剣の切先や磨製石鏃なども出土しています。これらは副葬品というより戦いによって体内に残った可能性があります。この遺跡では吉武高木遺跡と同様に多数の青銅器が出土しました。しかし、装身具である玉類等は少なく、石剣の切先等が見られることから、これらを戦士の墓と考える説もあります。



3号木棺墓銅鏡、銅剣、銅矛出土状況

吉武高木遺跡3号木棺墓副葬品出土状況
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