平成19年9月4日(火)~平成20年1月14日(月祝)
博多を掘る(3)美術工芸展示室
―博多遺跡群出土の輸入陶磁器―
1.中国のやきもの
吉州窯鉄絵壺 |
世界最高水準の技術と高い芸術性をもつ中国陶磁は、世界中から求められたあこがれの品であり、博多にも多くの中国陶磁が海を越えて輸入されてきました。
青磁では「砧青磁」とよばれる淡麗な青色の龍泉窯青磁が有名です。多数の優品が日本国内で伝世し、現在国宝や重要文化財に指定されている品々も多くあります。また、青花(染付)で知られる景徳鎮窯は、五代十国から元までは青磁や青白磁を生産していた窯でした。
白磁は現在の福建省・広東省などで生産されていました。博多遺跡群からは優品から日常雑器に至るまで多量の白磁が出土しています。
黒釉陶器すなわち「天目」と呼ばれ、有名な茶碗も博多遺跡群から出土しています。喫茶の流行とともにふさわしい茶碗として福建省や江西省などで焼かれ、博多にもたらされたものです。
そのほか鉄絵とよばれる白い素地に筆でのびやかに絵を描いたやきものが、宋の時代に磁州窯や吉州窯で作られ、博多遺跡群でも何例か出土しています。
2.アジア各国のやきもの
博多から出土する陶磁器は中国産のものだけではありません。朝鮮半島の陶磁器や、東南アジアのタイ・ベトナム産の陶磁器も出土しています。
朝鮮半島からは、新羅焼とよばれる陶質土器をはじめ、高麗時代には高麗青磁が、朝鮮王朝時代には粉青沙器が輸入され博多遺跡群でも発見されています。
タイ・ベトナム産陶磁器は15世紀から16世紀頃盛んに輸入され、日本では茶入れ・水差し・花入・建水といった茶器として珍重されました。
中国産の陶磁器は博多遺跡群のほとんどの調査地点で多く出土しますが、これに比べて東南アジアの陶磁器は、出土量も少なく、出土する場所も地下鉄呉服町駅周辺から大博通り周辺に集中しています。このあたりは博多商人などが多く住んでいたところで、茶道を介在とした限られた人間のみが所有していたものだったと考えられます。
3.描かれた絵と文字
素地に直接絵文様を描く下絵付けと呼ばれる技法は、中国では9世紀に独自に開発されました。その後鉄絵技法が生まれ、泉州磁竈窯で作られたものが博多遺跡群から出土しています。11世紀から13世紀に赤絵技法が、14世紀には景徳鎮窯で青花(染付)と呼ばれる技法が発明されました。これらの技法は多彩な文様や絵柄を描くことができるので、元代以降の陶磁器の中心となりました。また文様だけでなく漢詩が書かれた盤も博多遺跡群から出土しています。
博多遺跡群出土の陶磁器の特色のひとつに、碗の高台部分に墨で文字を書いた陶磁器の出土があります。こうした例は全国でもほとんどなく、博多遺跡群以外では、太宰府や博多の周辺遺跡に限定されるものです。
墨書には、「綱」といった漢字や、十字などの記号を書いたものが多くみられ、また、陰陽道のまじないに用いたような呪符を描いたものもあります。これら墨書陶磁器は考古学的資料としてだけでなく、当時の博多の社会や風俗を考える上での文献史学的資料としても重要なものです。
4.遊びと信仰
白磁犬 |
陶磁器は茶道用、饗宴用そして日常用の器だけでなく玩具も作られています。景徳鎮窯では、海外向けに犬を模したものや人形が作られ輸出されていました。これらの品々は景徳鎮窯の白磁と同じ胎土や釉を用いて作られました。博多遺跡群からも出土しています。
平安時代から鎌倉時代にかけて、経塚という経典を埋納する遺跡が、日本各地で多くみられるようになりました。一般的な経筒は青銅製ですが、博多遺跡群では陶器製の経筒が出土しています。中国には類例のない形状で、経筒にするためにわざわざ注文して作らせたものと考えられています。経筒は大事な経典を後世に伝えるためのいわばタイムカプセルです。その大事なものの入れ物として陶磁器を選ぶところに、当時の博多の人々の日常に陶磁器文化が浸透していたことが感じられます。
(赤坂亨)