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No.308

歴史展示室

宗祗『筑紫道記』-1480年の博多-

平成19年11月13日(火)~平成20年1月14日(月・祝)

3 博多の1480年

3.太宰府水城跡

 9月20日に太宰府より博多に到着した宗祗は、浄土宗寺院竜宮寺(りゅうぐうじ)を宿所にして、10日の間、博多の名所をめぐり、連歌会を行う日々を送りました。博多は、大船が入港し町屋が軒を争うほど繁栄していたと書き、志賀島(しかのしま)に船で渡り、姪浜(めいのはま)を過ぎ、生(いき)の松原に向かい、楼門の崩れた博多の住吉神社(写真)などを訪ねています。その後、再建中の筥崎宮(はこざきぐう)、仮殿の香椎宮(かしいぐう)を見て、山口への帰途につきました。『筑紫道記』は、室町時代の1480年の博多を知ることができる希有の史料といえます。


4 『筑紫道記』その後

4.宗祗句碑(木屋瀬須賀神社)

5.博多住吉神社の一夜松

 宗祗の足跡は、どのようなかたちで後世に継承されているのでしょうか。
その一。博多竜宮寺で開催された百韻(ひゃくいん)連歌会は、江戸時代の貝原益軒(かいばらえきけん)『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』(1703年)では宗祗の発句のみを掲げ、奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)『筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)』(1821年)は、宗祗の句をはじめ8句を掲げています。ただし、両書とも興行の日を、9月27日とするが28日のまちがい。山崎藤四郎(やまざきとうしろう)『石城遺聞』(せきじょういぶん)(1890)は、はじめて全100句を掲げ、竜宮寺にあった百韻の原書は、享保(きょうほう)17(1732)年の火災で焼失したと記しています。また、連衆(れんじゅ)(連歌会メンバー)12名のうち6名について人物考証を行い、脇句(わきく)の空吟(くうぎん)は竜宮寺住持、第3句の弘相は、津役(つやく)で今の町奉行とするが、大内政弘の奉行人杉重道(ぶぎょうにんすぎしげみち)の子、弘相(ひろすけ)のことで、津役というのは根拠が怪しい。宗歓(そうかん)(宗長)と宗賀(そうが)(宗作か)は宗祗の弟子、朝酉(ゆう)は住吉座主(ざす)の親類、鶴寿(かくじゅ)は空吟の弟子で、後の竜宮寺住持としています。他は不明ですが、連歌会は、どういうメンバーで行われていたか想像されます。
 その二。宗祗が木屋瀬に泊まった時、天神と名乗る男から扇をもらう夢を見ました。その後、実際に太宰府天満宮で扇を授けられたことから、木屋瀬の天満宮は、「扇天満宮」(写真6)と呼ばれるようになったと伝えられています。境内には、その由来を記した国学者伊藤常足(いとうつねたり)の嘉永(かえい)5(1852)年の石碑が現存しています。


 6.木屋瀬扇天満宮

その三。『筑紫道記』には記載は全くありませんが、宗祗が、博多住吉の街道沿いの茶屋で食した餅の命名をたのまれ、ちょうど茶屋の裏で鳴いた鶉(うずら)にちなんで、「鶉餅」と名付けたといわれています。橋口町で明治の初め頃まで、3 、4軒の茶屋が鶉餅を商っていましたが、竹の編笠の上に並べて売り、太宰府名物の梅ヶ枝餅(うめがえもち)のような物であったといわれています。

(林 文理)

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