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No.332

歴史展示室

描かれた境内

平成20年12月23日(火)~平成21年2月22日(日)

1 弘法大師像
1 弘法大師像

はじめに
 日本には神社や寺院の境内(けいだい)を描いた絵画が数多く残されています。その表現は単に実景を描くだけにとどまらず、建物の配置を図や文字であらわしたもの、伝説上の事物や祭りの様子を描き込んだものなど様々です。これらは一体何のために描かれ、用いられたのでしょうか。
 社寺の境内は本来神仏の鎮(しず)まる聖地であり、そこを神仏のいる浄土(じょうど)とみなすことは古くからおこなわれてきました。しかし同時に境内は僧侶が生活し、多数の人々が参拝に訪れる俗世という面も併せもっています。境内は私たちが思う以上に、いくつもの顔をもっているのかもしれません。
 本展示では福岡の社寺を描いた絵図を中心に紹介します。社寺に足を運ぶことの多い年末年始にあたり、境内のもつ多様な性格や歴史的な意味について考えていただければ幸いです。

一、聖なる空間
 神社や寺院は神仏と人が接する特別な場であり、そこに入るために人々は心身を浄め、みずからのおこないを戒(いまし)めます。こうした態度の根底には社寺の境内を神仏が住まう浄土とみなす考え方がありました。鎌倉時代に登場した宮曼荼羅(みやまんだら)は、まさに神仏のいる浄土としての境内を描こうとしたものでした。
 「弘法大師像(こうぼうだいしぞう)」(No.1)もそうした宮曼荼羅の影響を受けた鎌倉時代の作品です。中心に大きく弘法大師空海を配し、その上下には空海が入定(にゅうじょう)した高野山の伽藍を細かく描いています。

1 弘法大師像(部分)赤外線写真
1 弘法大師像(部分)赤外線写真

 そこには自然の景観と伽藍(がらん)だけがあり、人の姿はまったく見あたりません。鎌倉時代には弘法大師信仰が盛んになり、空海が弥勒仏(みろくぶつ)のあらわれる遠い未来まで現世の人々とともに生き続けていると信じられていました。この絵はまさに、空海がいる浄土としての高野山を描いた一種の宮曼荼羅といえるでしょう。

二、中世の境内
 中世(平安時代末~戦国時代)は有力な社寺が広大な荘園を支配し、政治や経済にも大きな影響を及ぼした時代でした。この頃描かれた境内図には堂塔伽藍がにぎやかに建ち並ぶ様子を描くものが多くみられます。
 永禄六年(1563)以前に描かれたことが確かな「聖福寺古図(しょうふくじこず)(複製)」(No.3)もそのひとつで、土塀と堀に囲まれた境内には主要伽藍のほか、子院(しいん)や塔頭(たっちゅう)、町屋とみられる家屋がひしめくように描かれています。

4 太宰府横岳山諸伽藍図
4 太宰府横岳山諸伽藍図

 また、「太宰府横岳山諸伽藍図(だざいふおうがくさんしょがらんず)」(No.4)は中世に太宰府横岳(よこたけ)の地にあった崇福寺(そうふくじ)の境内古図の写しです。そこには法堂(はっとう)や仏殿(ぶつでん)を多数の子院や塔頭が取り巻く、本格的な禅宗伽藍の様子が指図(さしず)であらわされています。  境内は都市だけでなく山にもありました。「原山古代図(はらやまこだいず)」(No.5)は太宰府四王寺山(しおうじやま)の東麓にあった天台宗寺院の原山無量寺(はらやまむりょうじ)の古図を江戸時代の国学者青柳種信(あおやぎたねのぶ)が写したものです。この寺は近世には既に廃寺になっていたようですが、その境内にはさまざまな堂塔伽藍があったことが窺えます。
 ところで、中世の境内図には神社であれば本地仏(ほんちぶつ)を安置する仏堂、寺院であれば土地の神を祀る鎮守堂(ちんじゅどう)が描かれ、神と仏が本来同一とする神仏習合の状況を示すものが数多くあります。
 宗像大社の中世末期の状景を伝える古図を江戸時代に写した「宗像社古図(むなかたしゃこず)」(No.7)もそのひとつで、堀で囲まれた境内には五智如来(ごちにょらい)を安置したという宝塔院や鐘楼、弥勒堂などいくつかの仏教建築があったことがわかります。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

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