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No.351

美術・工芸展示室

祀りの考古学

平成21年12月1日(火)~平成22年2月21日(日)

三 祀りの道具
伝福岡県出土人面銅戈
伝福岡県出土人面銅戈

 祭場だけでなく集落や墓地からも祭祀に用いられたものとみられる道具が出土することがあります。これは祭祀に携わった人がそのままその道具を携えて集落に戻ったり、死後に副葬されたりしたからと考えられます。このような祭祀用と考えられる道具から祭祀の状況を推定することもできます。
 銅鐸は弥生時代の祭祀を象徴しているものとして最もよく知られているものでしょう。この銅鐸の祖型とされる大陸系小銅鐸は弥生時代中期末~後期初頭の北部九州で散見されるもので、当時の拠点集落から出土したものが多く、小銅鐸が集落での祭祀に使用されたものと考えられます。しかし、その後福岡を含む玄界灘沿岸の地域で銅鐸が広範囲に分布することはなかったことをみると、この地では集落祭祀の中心になることはなく、祭祀の中の一道具として使用されたのでしょう。
 この時代の北部九州の人々が祭祀の中心的なものとして使用していた青銅器には銅矛や銅戈の形をした武器形青銅器があります。彼らの指導者が保有していた青銅器がそのまま権威の象徴となり、祭祀の中心になったと推定することができます。
 小銅鐸が出現した頃、既に中広形銅戈が祭器として広く普及していました。銅戈は本来長い柄の先に横向きに装着した武器で、この特殊な形が剣や矛にはない力を弥生人たちに連想させたのか、戈形の祭器が中期末に北部九州一帯に広がっていきました。
 さらに弥生時代の人々は戈に様々な装飾を施しました。戈の内側の樋(ひ)と呼ばれる部分に綾杉文(あやすぎもん)を刻み、柄にはめ込む茎(なかご)の部分に記号や模様を表したものもあります。茎に人面を装飾したものもあり、あたかも祭器が人格を持っていたかのようです。このような装飾は戈が他の武器形祭器とは異なる意味を持っていたことを暗に示しています。


四  巫覡(かんなぎ)の姿
 当時の祀りを司っていた人々や祀りに参加していた人々の姿や身分は、文献がない現状ではほとんどわかりません。しかし祭祀関連の遺物を検討することで祭祀に参加した人々が身につけていたと考えられるものを推測できます。
 遺跡から出土する装身具の中には、祭祀を執り行う人々と深い関わりを持つと思われるものがあります。弥生時代前期後半から中期にかけての北部九州の甕棺墓には南方製のゴホウラやイモガイから作られた貝輪を腕にいくつもはめた人物が葬られているものがあります。これらの人々は集落内で特殊な位置にいたことが考えられ、貝輪を腕にはめることで不便を強いられる日常生活や労働作業、戦闘に携わらない人だったと考えられます。貝輪を装着している人物が恒常的な祭祀行為を担っていたと推測することもできるでしょう。
 貝輪の他にも、銅製の腕輪である銅釧(どうくしろ)はもともと円形でしたが、時代が下るとゴホウラの貝輪の形を模倣し、辟邪(へきじゃ)の意味を持つ突起が加わったものも作られます。
 土器や青銅器などに描かれた絵の中には祭祀を行っている人も見られます。農耕を行っている人の頭には羽飾りのようなものがつけられ、先の鳥形木製品とともに鳥が祭祀の中で象徴的な存在だったことが想像されます。


五 最後に~古墳時代以降の祭祀
 古墳時代になると、それまでの農耕に関連した集落単位での祭祀に加えて古墳を中心とした祭祀や水辺での祭祀が行われるようになるなど、祭祀のバリエーションが広がります。沖ノ島を舞台にした国家的な祭祀など大規模な祀りが行われる一方、個人レベルでのささやかな祭祀に使用したと見られる遺物もこの時代には見られるようになります。弥生時代の祭祀は形を変えながら、その後の祭祀に引き継がれていったものと考えられています。

            
(大塚紀宜)
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