アーカイブズ

No.357

考古・民俗展示室

ふくおか民俗カタログ4 -水と暮らし-

平成22年2月23日(火)~4月25日(日)

揚水車(西区姪浜)
揚水車(西区姪浜)
博多明治風俗図より「水売」部分
博多明治風俗図より
「水売」部分

はじめに
 「ふくおか民俗カタログ」は、福岡市域で育まれ、受け継がれてきた数多くの祭りや年中行事、人々の暮らしの仕組みや約束事、あるいは生きるための知恵や祈りの姿など、さまざまな民俗を通して、福岡の地域的な特色を再発見していくシリーズです。その4回目は、人々の暮らしと水との関係について取りあげます。
 水を摂(と)り、また水を利用しなければ生きられない私たちは、古い時代からおのずと水に対して畏敬(いけい)の気持ちを保ち伝えてきました。「主人が井戸の水を汲んで口を嗽(すす)ぎ、先づ神棚のお花の水をかえ、新らしい木綿の手拭(てぬぐい)で明きの方(恵方(えほう))に向つて顔と手を拭(ぬぐ)ふ。」(佐々木滋寛編『博多年中行事』)という元旦の「若水」行事は、水が私たちに活力と若さを与えてくれるという信仰の典型です。
 すこし現実の生活に寄り添ってみれば、水田の水利用の仕組みが、個人やイエにあるのではなく、ムラなどの共同体の財産として働いている点も注目されるでしょう。この仕組みによってイエどうしは必然的に連帯し、ムラとしてさまざまな祭りごとが続けられてきました。
 このように個を超越した存在として水をとらえる心意があるいっぽう、水そのものを個人として使いこなす技もまた、私たちの暮らしの中で次々と生まれてきました。そこで本展では、家の「水まわり」に焦点を当て、そこで活躍してきた道具類を紹介しながら、その変遷をたどることにしましょう。


一、水を得る
 福岡市に初めて上水道が通ったのは大正12年(1923)のことでした。明治22年(1889)の計画開始以来、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ての完成でした。水源は室見川(むろみがわ)上流の曲渕(まがりぶち)(早良区曲渕)で、当時の福岡市と糟屋郡箱崎町(かすやぐんはこざきまち)を給水区域とし、12万人のもとに水が送られました。
 上水道が計画される以前、福博の人々は生活用水を井戸に頼っていましたが、その水質は決して良いものではありませんでした。明治20年(1887)の検査で「良」の判定が出たのは4530基中1248基、全体の四分の一強に過ぎませんでした。福博の井戸は多くが塩気(しおけ)や金気(かなけ)が強すぎて飲用に不向きであったり、生活排水で汚染されたりしていたようです。そのため夏になるとコレラや赤痢(せきり)などの伝染病が蔓延(まんえん)しました。
 そこで登場したのが水売りです。明治29年(1896)、古くから松原水(まつばらみず)の地として知られた千代の松原(博多区千代)に掘られた市設の井戸からは、良質の水を得ることができました。この水を給水夫たちが一斗(と)五升(しょう)(約27リットル)の水桶(みずおけ)につめ、車力(しゃりき)(荷車)に12個ずつ積んで市内の各家庭に届けました。その価格は上水道開通直前頃に一斗あたり5銭ほどでした。しかし金を払って水を買うということが納得できない人も多く、井戸水も使い続けられました。

  • facebook
  • twitter
  • instagram
  • youtube

最新情報を配信中

pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

  • 福岡市博物館 市史編さん室
  • はかた伝統工芸館
  • ふくおか応援寄附
  • 福岡市の文化財

福岡市博物館

〒814-0001
福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011
FAX:092-845-5019