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No.390

黒田記念室

江戸時代の山林

平成23年6月21日(火)~平成23年8月14日(日)

3、山林の利用と規制
 では、山林によって利用に差が認められるのはどういった事情によるのでしょうか。この問題を考えるには、山林資源が誰のものだったのかを見ていく必要があります。
 基本的に福岡藩領内の山林は「御山(おやま)」と呼ばれ、全て藩の管理下に置かれていました。特に良材が茂る山、藩主の猟場として使う山は一般の利用が厳しく制限されました。家臣や領民が使えるのは、そうした山林を除いた一部で、利用に当たっては藩に銀を上納したり、森林の育成が条件になっていたりしました。時代ごとに変更はありますが、福岡藩の山林は大まかに次のように分類することができます。

○御山(おやま)・公儀山(こうぎやま)・御用山(ごようやま)
楠・杉・樫などの良材が繁茂した山。藩主が猟場として使用する山。狭義の「御山」。
○拝領山(はいりょやま)
武士に与えられた山。立木は無償で下付。
○預(あずか)り山(やま)・預(あず)け山(やま)
武士・農民が藩に願い出て管理を委ねられた山。山の育成を条件に下草・薪を採取。10年で育成状況確認。
○証拠山(しょうこやま)・立山(たてやま)・建山(たてやま)
希望する武士や農民個人に専有を認めて、山林を育成させた山。明暦2(1656)年に開始。荒れた山の回復が目的。10年で育成状況確認。
○地代山(ちだいやま)
貞享(じょうきょう)4(1687)年に没収された証拠山に代わり、新たに荒廃地の下付を申請して竹木を植えたい旨を願い出る者に課税を条件に利用を免許した山。宝永(ほうえい)3(1706)年頃から開始。
○野山(のやま)・明野山(あきのやま)・札山(ふだやま)
農民が肥料とする下草や薪を採取する山。基本的には草山。
○古野山(ふるのやま)
個々の農民が屋敷の周囲あるいは屋敷から離れた野山に竹木を繁茂させた山。
○留山(とめやま)
利用し尽くした山。利用を禁止して植生を回復させている山。禁猟区。


 この他、農民の屋敷周囲の薮(やぶ)についても自由な利用は出来ませんでした。全ては藩の財産であり「御用薮(ごようやぶ)」として藩の役人が毎年伐採するのが慣行でした。農民が自由に屋敷周囲の薮を使えるようになったのは元文(げんぶん)3(1738)年のことです。ただし、薮の面積に応じて藩に運上銀(うんじょうぎん)を納めるのが条件でした。「上座郡石成村藪坪運上帳(じょうざぐんいしなりむらやぶつぼうんじょうちょう)」【№16】はその運上銀を書き上げたものです。
 江戸時代を通じて農民の山林利用は緩和される方向で進んでいきましたが、一方では狭義の「御山」の規制は強化されていき、一般に利用できる山林とそうでない山林との違いが際立っていきました。江戸時代後期に描かれた「筑前国絵図(ちくぜんのくにえず)」【№21】をよく見てみると、他の山々と異なり木々が密に描かれている場所が散見されます。藩が利用を規制した山がちゃんと描き分けられているのです。
 山林の利用に差が見られるのは以上のような事情が背景にあったわけです。


おわりに
 福岡藩の山林政策はその方向性が一定せず、担当する役職や人数もめまぐるしく変化していきました。山林は藩の大事な財源でもあったため、藩の財政状況によっては、材木の販売を目的にして過剰な伐採が行われる場合もあり、常に不安定な状況に置かれていました。利用と保全のバランスが取れた長期的な視野に立った山林政策はなかなか実現出来なかったのがこの時代の限界だったと言えるでしょう。江戸時代はエコな時代だったという見方も、リサイクルといった部分に注目すれば、一面では当てはまるのでしょうが、当時の山林政策を踏まえて見てみると、すぐにはうなずけない部分があるような気がします。
(宮野弘樹)

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