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No.392

歴史展示室

福岡藩主の参勤交代

平成23年7月26日(火)~ 9月19日(月・祝)

9 旧稀集(部分)
9 旧稀集(部分)

はじめに
 今年3月12日、九州新幹線鹿児島ルートは博多~新八代間が開通し、全線で営業を開始しました。これにより、新大阪~鹿児島中央間が最速で3時間45分で結ばれ、熊本・鹿児島など沿線各地から広島・大阪など西日本各地への陸路でのアクセスが便利になりました。
 一方、江戸時代に眼を向けてみると、全国各地に街道や宿場が設けられ、陸上交通網の整備が進展するとともに、東廻り航路(日本海沿岸~津軽海峡~太平洋沿岸~房総半島~江戸)や西廻り航路(日本海沿岸~下関~大坂~紀伊半島~江戸)が開設されるなど、物資輸送のための海上交通網の整備も飛躍的に進みました。これらにより江戸時代の人々は大名をはじめとして公用、私用を問わず様々な旅をすることが可能となり、「お伊勢参り」に代表されるように庶民も盛んに旅を楽しみました。
 今回の展覧会では、このうちで江戸と福岡を行き来した福岡藩主の参勤交代について、江戸までの旅程など、関連資料を通して紹介します。


福岡藩の参勤交代は少し特別
 参勤交代は江戸幕府が諸大名に対して一定期間、江戸に参勤するように命じた制度で、寛永(かんえい)12(1635)年、3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)が改訂した武家諸法度(ぶけしょはっと)(寛永12年令)によって制度化されました。原則として、諸大名は領国と江戸、それぞれ1年交代で生活するよう定められ、妻子は人質として江戸に居住するよう命じられました。これにより諸大名は領国と江戸の二重生活や往復の費用など、財政的負担を強いられるようになりました。一方で、全国的な陸海交通網の整備や、江戸をはじめとする各地域で育まれた文化の伝播などが、参勤交代の制度化によって促進されました。
 さて、福岡藩主の参勤交代ですが、他藩と少し事情が異なります。福岡藩は寛永18年以降、佐賀藩と隔年交代で国際交易の拠点であった長崎を警備するよう幕府から命じられていました。さらに、正保(しょうほう)4(1647)年6月、来航を禁止されていたポルトガル船が長崎に入港する事件が発生すると、翌慶安(けいあん)元年以降は警備担当ではない藩主も異国船が帰帆する季節(9月末頃)まで在国して万一に備えるよう幕府から命じられました。これにともない福岡・佐賀両藩主の参勤交代は、10月に江戸へ出発し、翌年2月に下国するよう定められ、江戸滞在期間が大幅に短縮されました。


旅の支度はぬかりなく
 さて、これ以降は、天保(てんぽう)9(1838)年9月に福岡を出発した、11代藩主黒田斉溥(後の長溥)の江戸参勤を事例として福岡藩主の参勤交代について見ていきましょう。
 まず、参勤前年の天保8年12月、斉溥は中老櫛橋又之進(ちゅうろうくしはしまたのしん)・納戸頭杉山文左衛門(なんどがしらすぎやまぶんざえもん)に参勤の御供を命じました。これ以降、翌年7月にかけて、御用聞(ごようきき)や小姓頭(こしょうがしら)など主要な役職の家臣から足軽や小役人(こやくにん)にいたるまで、順次、参勤に御供する家臣が決められていきました。
 同9年4月には、中国路と東海道を利用する旅程が決定、翌閏4月には幕府への届出も済ませ、9月22日に福岡城を出発し、10月8日大坂に到着、1日の滞在をはさんで同10日に同地を出発し、同25日江戸に到着する旅程が正式に決定しました。
 これに併せて旅中で使用する諸道具の準備や、参勤に携行する奥向の道具類の調整、藩主や家臣の荷物を運ぶ人馬数の取りまとめなど、9月の出発直前まで準備が進められました。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

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