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No.393

美術・工芸展示室

中山平次郎(なかやまへいじろう)と古鏡(こきょう)の世界

平成23年8月2日(火)~ 9月19日(月・祝)

中山平次郎博士 肖像写真(大正元年・41歳)
中山平次郎博士 肖像写真(大正元年・41歳)
写真1.中山博士採拓 五島山古墳出土斜縁神獣鏡拓本
写真1.中山博士採拓 
五島山古墳出土斜縁神獣鏡拓本

 中山平次郎は九州帝国大学医学部教授をつとめた医学博士ですが、むしろ北部九州を中心とした考古学の研究で知られる、大正~昭和期の日本を代表する考古学者です。中山博士の考古学研究は多岐にわたりますが、今回は古代中国で作られた古鏡の研究を紹介します。中山博士の業績として従来取り上げられることの少なかった分野ですが、とてもユニークなものであり、大正から昭和初期の世相も感じることができます。中山博士の古鏡研究とともに、同時代の考古学者との交流も紹介します。


第1章 金石併用時代の研究 ―古鏡に実年代をみる―
(大正6年・中山46歳)

 中山博士は明治4年に京都市に生まれます。東京帝国医科大学医学科に学び病理学を専攻、ドイツ・オーストリア留学の後、明治39年、35歳で京都帝国大学福岡医科大学(現在の九州大学医学部)教授となります。医学部教授を務めるかたわら、幼少の頃より関心の深かった考古学へ次第に活動の場を広げます。当初、鴻臚館(こうろかん)や元寇防塁(げんこうぼうるい)など歴史時代を研究対象としていましたが、次第に先史時代が主な研究対象となっていきす。
 この当時、石器を使用した先史時代と鉄器を使用する古墳時代とははっきりと分かれると考えられていました。しかし中山博士は、板付(いたづけ)遺跡(福岡市博多区板付)では銅剣・銅矛が甕棺(かめかん)(=土器)から、須玖岡本(すぐおかもと)遺跡(春日市岡本)では銅矛・銅剣・鏡・玉が甕棺から、五島山(ごとうやま)古墳(福岡市西区姪浜駅南)では鉄剣・鏡・玉・銅鏃が石棺(≒古墳)から出土したことなどに注目します。
 そして遺跡間の出土遺物の組合せの違いから、石器時代から鉄器を用いた古墳時代へと急速に変化したのではなく、石器と金属とを同時に用いた「先史原始両時代中間期間」が存在したことを提唱します。これは後に金石併用(きんせきへいよう)時代と名をかえ、現在の弥生時代という時代概念へと繋(つな)がっていきます。
 中山博士がこの中間期間の実年代を推定する資料としたのが、甕棺と古墳から共に出土する中国古代の鏡=古鏡でした。当時、中国で盛んに鏡が作られるようになるのは後漢(ごかん)(紀元後25~220年)以降という解釈が一般的でした。しかし中山博士は須玖岡本遺跡の鏡を前漢(ぜんかん)(紀元前206年~紀元後8年)とし、五島山古墳の鏡を六朝(りくちょう)(紀元後3~6世紀)に位置づけました。この前漢鏡の解釈は、期せずして同時に学会誌に掲載された富岡謙藏(とみおかけんぞう)の古鏡年代観と一致し、意を強くした中山博士は以後門外漢である古鏡の研究に没頭していきます。


図1.王莽鏡の起源及びその概略図
図1.王莽鏡の起源及びその概略図
図2.東京帝室博物館所蔵画像石第一石
図2.東京帝室博物館所蔵画像石第一石

第2章 王朝の鏡 ―古鏡に中国文明をみる―
(大正7年・中山47歳)

 大正6~7年にかけて古鏡研究は目覚ましい進歩を遂げますが、その中心人物の一人が富岡謙藏です(当時48歳)。富岡鉄斎(とみおかてっさい)の長男であり、古代中国の典籍に明るく、京都帝国大学文科大学で金石学の講師をしていました。中山博士は彼の研究に協力すると共に、独自の見解も産みだし、古鏡研究者として積極的に発言するようになりました。
 中山博士は主に鏡の紋様の変遷に注目しました。鏡の中には銘文に中国の年号が記されている紀年銘鏡(きねんめいきょう)があり、これが鏡の年代決定の基準となっています。しかし年号が入らない種類の鏡は年代だけでなく、古いか新しいかさえ判断することが出来ません。そこで中山博士は年号の判明している鏡の中で最古であった王莽(おうもう)期(「新(しん)」・紀元後8~23年)の鏡(図1―6)を基準として、その紋様がどのように発展してきたかという紋様変遷の道筋を示し、鏡種の新古を決定しました。この方法は「型式学(けいしきがく)」とよばれる考古学の研究手法であり、現在の古鏡研究においても盛んに用いられています。中山博士の鏡背紋様の変遷に注目した研究はとてもユニークで、銘文の解釈中心だった当時の古鏡研究に新風を吹き込みました。
 また、あまり注目されていなかった紋様の起源についても考察をおこなっています。TLV形の紋様で構成された方格規矩(ほうかくきく)紋様は、「天は円(まる)く地は方形である(天円地方(てんえんちほう))」という古代中国の宇宙観に起源があると推測しました。また、この方格規矩紋様は、漢代の遊戯に用いた盤(ばん)の紋様とも共通するとの指摘も行っています。これは中山博士が初めて提唱・指摘したもので、現在でも有力な学説の1つとなっています。

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