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No.405

黒田記念室

博多人形名品展3-井上清助の世界-

平成24年8月7日(火) ~10月14日(日)

井上清助(1867~1922)
井上清助(1867~1922)

 井上清助(いのうえせいすけ)(1867~1922)は明治・大正期に活躍した博多人形師で今日の博多人形の名声を築いた功労者のひとりです。井上は貧しい境遇から苦労して独立し、若き日の小嶋与一(こじまよいち)らを指導しつつ博多人形の品質の向上と販路の拡大に努めました。優れた経営者・アイデアマンでもあり、早くから海外に販路を見出すいっぽう、人類学者坪井正五郎(つぼいしょうごろう)らの監修による学校用教材「世界人類風俗人形」「日本歴代服飾模型」など独創的な商品を生み出し、カタログ通信販売という当時としては斬新な手法でこれを販売しています。こうした華々しい活動の陰には数々の失敗や悪戦苦闘があったことが自著『博多人形井上清助奮闘五十年史』のなかに語られています。今回はこのような井上の発案・制作になる人形や関係資料を展示し、博多人形の知られざる一面を紹介します。

1.生い立ち・青年時代
 井上は慶応3年(1867)、博多中土居町の団扇(うちわ)職人の子として生まれました。幼少時家は貧しく井上は小学校に通いながら団扇の行商で家計を助けていたといいます。そして13歳のとき父親が病死したのを機に人形師の道を選び、讃井清兵衛(さぬいせいべえ)のもとで七年に及ぶ徒弟奉公に耐え、21歳で独立します。独立後の井上は、商売上の手痛い失敗を経験しながらも、委託販売や関係先に見本を送るなどの工夫を重ね販路の開拓に努めています。また明治24年(1891)には中国上海の日清貿易陳列所に製品を出品し海外への輸出も試みています。
 こうした積極果敢な姿勢は、「当時二十一才の青年タリシ余ハ此ノ微々(びび)タル人形事業ヲ以テ向上発展セシメ他日人形界ノ覇王タルベキ抱負ヲ以テ寝食ヲ忘レツツ勇往邁進能(ゆうおうまいしんよ)ク其(その)奮闘努力ヲ続ケタリ」という井上の言葉からも窺うことができます。

2.アイデアと革新
 井上が独立した頃の博多人形は、江戸時代以来の素朴な節句人形や面類が主な製品でした。井上はこうした現状に飽きたらず、斬新なアイデアをもとに次々と新商品を開発しています。例えば川上音二郎(かわかみおとじろう)一座の人気芝居を模した芝居人形や日清戦争の際に作った池燈籠(いけどうろう)の戦場模型は好評を博し、他県からも注文が相次いだようです。また陸海軍の軍人標本人形は軍の購入するところとなり、さらに明治31年(1898)の太宰府神社菅公一千年祭では土産物として作った菅公人形が大いに売れたといいます。
 いっぽう井上は博多人形の品質向上のために様々な挑戦をしています。井上は『五十年史』のなかで、現在博多人形で普通に用いられる石膏(せっこう)型も東京の細工師萩原氏のもとで直接学んだもので、人形制作の地練りや彫刻、焼成といった工程を分業制にする制度も上京の際の見聞によって取り入れたと述べています。また明治29年(1896)頃には同業の白水六三郎(しろうずろくさぶろう)らとともに「温古会(おんこかい)」を結成し、南画家の上田鉄耕(うえだてつこう)や洋画家の矢田一嘯(やだいっしょう)の指導を受け技術の向上をはかっています。こうして井上は博多人形界を牽引する存在となり、人形制作に新たな風を吹き込みました。なお後に名人と謳(うた)われた小嶋与一も、最初井上の工房で原型師として働いています。

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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2023年7月22日~8月26日の金・土・日・祝日と8月14日・15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2023年8月14日・15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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