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No.455

企画展示室1・2

全国藩校サミット福岡大会開催記念 福岡学校ものがたり

平成27年8月18日(火)~10月18日(日)

はじめに

代数の計算に頭を悩ませる戦前の修猷館の学生(館蔵 藤井家資料)
代数の計算に頭を悩ませる戦前の修猷館の学生
(館蔵 藤井家資料)
 平成27年10月3・4日、福岡市を会場として第13回全国藩校(はんこう)サミットが開催されます。藩校というのは江戸時代に全国に設置された武士の子弟の教育機関なのですが、同サミットは平成14年の湯島聖堂(ゆしませいどう)(東京都)での大会を皮切りにして、「それぞれの地域に息づく藩校教育の伝統や精神を現代の視点で見直し次代に活かすことを目的に開催」(福岡大会ホームページhttp://www.hankosummit-fukuoka.jp/ (2015年8月5日))されている催しです。今回、同サミットの開催を記念して博物館では学校の歴史にちなんだ展覧会を開催します。


第一室 学校の歴史

「修猷館」扁額 (福岡県立修猷館高等学校所蔵)
「修猷館」扁額 (福岡県立修猷館高等学校所蔵)
東学問所修猷館に掛かっていた扁額。書いたのは中国・清の官僚。「修猷」とは中国古代の歴史書『書経(尚書とも)』の「践修厥猷=そのみちをふみおさむ」という言葉が語源。
「修猷館」扁額 (福岡県立修猷館高等学校所蔵)
医学館(現福岡市中央区大名2丁目付近)の図
(館蔵 福岡藩大組大野家資料)
「妙楽寺尋常小学校」の蔵書印がある字典 (館蔵 奈良屋小学校資料)
「妙楽寺尋常小学校」の蔵書印がある字典 
(館蔵 奈良屋小学校資料)
 まず、第一室では藩校の設立を出発点として、江戸時代から現代にかけての様々な福岡の学校の歴史について展示します。
 江戸時代、福岡藩には二つの藩校がありました。一つは儒学(じゅがく)の中の朱子(しゅし)学を中心に学んだ東学問所「修猷館(しゅうゆうかん)」、一つは儒学の中の古文辞学(こぶんじがく)を中心に学んだ西学問所「甘棠館(かんとうかん)」です。共に開校したのは天明(てんめい)4(1784)年で、藩政を担う多くの人材を輩出しました。
 また、幕末には福岡城下に西洋の進んだ医学などを学ぶ医学館「賛生館(さんせいかん)」も設置されます。医学館は現在の九州大学の母体となりました。この他にも庶民教育の拠点として櫛田(くしだ)神社(福岡市博多区)や桜井(さくらい)神社(糸島市)には現在の図書館のような施設が作られ、読み・書き・そろばんを習う寺子 屋(てらこや)も19世紀以降に増加していきます。その数は福岡藩領内で243校を数えました。
 明治時代になると、「学制」の公布(明治5・1872年)によって国民全員が学校に行くことを目指すようになります。しかし、制度の不備や授業料負担の問題などもあり、明治19(1886)年からは文部大臣森有礼(もりありのり)の主導で、いわゆる「学校令」が公布され、学校制度が徐々に整えられていきました。また、明治23(1890)年には「教育勅語(ちょくご)」が発布され、各学校には勅語と天皇陛下の写真を収める「奉安殿(ほうあんでん)」が設置されるようになります。こうした過程で徐々に小学校の就学率は上昇し、明治時代の終わりには9割を越えるようになりました。ただ、小学校以上の学校に進学する人は戦前の段階でも男女合わせても二割程度だったといいます。
 戦後、「教育勅語」は効力を失い、教育改革によって、選択肢がたくさんあった「複線型」の学校制度はいわゆる「6・3・3・4制」を採用した「単線型」へと変化します。また、近年ではほとんどの人が高等学校へと進学するようになったり、都市中心部の人口の減少により学校の統廃合が行われたり、学校を取り巻く状況は大きく変貌しつつあります。


福岡学校ものがたり関連年表

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分~17時30分
(入館は17時まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

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福岡市博物館

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