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No.465

企画展示室3

三国時代の器

平成28年2月16日(火)~平成28年4月24日(日)

陶質土器のカタチ

 陶質土器は三国時代に先行する原三国時代(げんさんごくじだい)の瓦質土器(がしつどき)から発展するものです。製陶技術の向上とともに多様な器形が生み出されます。
 短頸壺(たんけいこ)は原三国時代からの伝統を引く器形で、外面に叩き締めて作った痕跡を残します。貯蔵や運搬のための実用的な器でしょう。炉形器台(ろけいきだい)も原三国時代からの伝統を引きますが、三国時代のものは丸底の壺を支えるための台です。炉形器台と同様の用途で5世紀頃から主流になる鉢(はち)(高杯(たかつき))形のものや、筒形(つつがた)のものなど、器台が三国時代になって増加し、壺を載せた状態で古墳に副葬されます。また、三国時代の後半には、丸底の壺と器台を一体に成形した台付壺(だいつきつぼ)が新羅を中心にみられます。
 壺のほか、飲食物などを盛りつけたりお供えするための鉢、椀(わん)、杯(つき)や、セットになる蓋(ふた)などが陶質土器で盛んに生産されます。一方、火にかける鍋など調理用の容器は陶質土器にほとんどありません。
 杯に脚台が付く高杯(たかつき)と呼ばれる器種には、時代や地域(国)の特色がよく表れています。例えば写真上段左の高杯は、太めの筒状の脚部が突帯によって上下2段に分割され、それぞれの段に長方形の切り抜き(透窓(すかしまど))が巡りますが、透窓が上段と下段で互い違いになっています。このような特徴をもつ高杯は慶州を中心とする新羅周辺に多く分布することが明らかになっており、写真の高杯と蓋のセットも5世紀代の新羅古墳から出土するものと類似しています。
 新羅は7世紀後半に朝鮮半島の三国を統一する国ですが、おおむね5世紀から特徴的な土器様式や古墳文化が確立し、加耶地域などへも影響を及ぼすようになります。


市内の遺跡から出土する朝鮮半島系土器

 考古資料では旧石器時代から通史的に朝鮮半島と福岡市域の関係をうかがうことができますが、画期の1つが3世紀後半の古墳時代はじめ頃です。早良区の西新町遺跡(にしじんまちいせき)に、この時代の陶質土器など朝鮮半島の土器が日本列島で最も集中するようになります。ここが倭を代表する対外交流の一大拠点であったことがうかがえます。古墳時代中~後期(5~6世紀)には早良区の有田(ありた)遺跡群や西区の吉武(よしたけ)遺跡群から多くの朝鮮半島系土器やその関連資料がみつかっています。これらが立地する早良平野は、古墳時代の博多湾岸域のなかでも特に、朝鮮半島からの人々や文物の渡来が盛んであったようです。
 この時代にもたらされる朝鮮半島系土器の代表は加耶の土器です。土器に表れる加耶諸国の違いが明らかになるにつれ、福岡にも様々な国からもたらされていることが分かってきて、特徴的な阿羅加耶や大加耶の土器などが注目されています。また、朝鮮半島の南西部、現在の全羅道周辺の土器も、西新町遺跡をはじめ、数多く出土しています。倭と、百済や中国大陸を中継する勢力との関係が考えられています。
 新羅の土器は6世紀後半以降増え、加耶への新羅の支配が進行する半島情勢との関連が考えられています。 こうした考古資料は歴史記録だけでは明らかにできないような、倭と朝鮮半島の交流の実態をもモノ語ってくれます。
(森本幹彦)

加耶系の耳付鉢

加耶系の耳付鉢

加耶系の高杯

加耶系の高杯

新羅系の把手付壺

新羅系の把手付壺

吉武古墳群出土の大加耶系壺

吉武古墳群出土の大加耶系壺

新羅系の高杯

新羅系の高杯

広石古墳群出土の百済系壺

広石古墳群出土の百済系壺

休館日

開館時間
9時30分~17時30分
(入館は17時まで)
※7月22日~8月26日の金・土・日・祝日、8月13日~8月15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
月曜(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※5月4日~5月6日は開館し、5月7日休館。
※9月21日~9月22日は開館し、9月23日休館。
※11月30日以降は設備等改修のため休館(2021年4月頃開館予定)
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pressrelease

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