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No.473

企画展示室4

ふくおか発掘図鑑7

平成28年6月21日(火)~平成28年9月19日(月)

楽浪系の土器(今宿5郎江遺跡第11次調査)

楽浪系の土器
(今宿五郎江遺跡第11次調査)

外交と国際交易のはじまり

 日本列島の門戸として、旧石器時代から大陸との交流がある北部九州ですが、弥生時代の半ばには「国」が成立し、中国・朝鮮半島と本格的に外交や交易を行うようになります。本市は後漢書(ごかんじょ)や魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に登場する「奴国(なこく)」周辺に当たりますが、市西部の今宿平野から糸島市域にかけては「伊都国(いとこく)」の領域とみられます。西区今宿五郎江(いまじゅくごろうえ)遺跡は紀元前1世紀から後3世紀の環濠集落で、朝鮮半島北部周辺からもたらされた楽浪系土器(らくろうけいどき)や鉄斧などが多く発見されています。西区元岡(もとおか)・桑原(くわばら)遺跡群でも活発な対外交流を示唆する遺物が多くみつかっており、これらは伊都国の外交を支えた集落と考えられます。3世紀を中心とする邪馬台国(やまたいこく)の時代は、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を特徴とする古墳時代とリンクし、東西日本を結ぶ新たなネットワークが急速に形成されます。古墳時代においても北部九州は外交上の要衝(ようしょう)でした。古墳時代のはじめ頃、海に突き出た砂丘に立地する早良区の西新町(にしじんまち)遺跡には対外交渉の特区が形成されました。古代の鴻臚館(こうろかん)に通じる性格がうかがえます。


1400年前の馬具(鞍)を復元する(原品は元岡・桑原遺跡群出土)

1400年前の馬具(鞍)を復元する
(原品は元岡・桑原遺跡群出土)

律令時代の到来と地域支配

 古墳時代は前方後円墳を頂点とする古墳の形や大きさに被葬者(ひそうしゃ)の身分が表示されていました。西区(今宿(いまじゅく))大塚(おおつか)古墳や元岡石ヶ原(もとおかいしがはら)古墳などはそのような時代の最後を飾る6世紀代の大型前方後円墳です。以後、古墳の大きさが全体的に縮小し、ほどなく前方後円墳は消滅します。
 また、有田遺跡群などで柵(さく)に囲まれた倉庫群がみつかっており、「那津官家(なのつのみやけ)」(博多湾沿岸に設けられた大和(やまと)政権(せいけん)の支配拠点)の一部とみられます。
 古墳時代の終焉に向けて大和政権の支配力が強まっていきますが、「庚寅(こういん)」銘大刀が副葬された元岡G6号墳や、稀少な五鈴鏡(ごれいきょう)と木棺装飾金具(もっかんそうしょくかなぐ)が副葬された夫婦塚(めおとづか)古墳などがあり、有力な豪族が存続したことがうかがえます。 
 これらの古墳が所在する元岡地区や金武地区の遺跡群は7世紀以降も生産や軍事等の拠点となっており、律令社会を象徴する文字資料なども多くみつかっています。古墳時代以来の有力豪族が律令時代の地域支配の一端を担っていた実態がうかがえます。


戦乱の時代

 室町・戦国時代頃には、堀で囲まれた屋敷が集合する「集村(しゅうそん)」と呼ばれる集落がみられるようになります。不安定な社会情勢下、防御性を高めて戦乱に備えるための集落形態と考えられます。
 城南区樋井川(ひいがわ)A遺跡では堀に囲まれた7ヶ所以上の屋敷がみつかりました。この遺跡で多数みつかった地下施設は、戦乱時に避難したり、家財を隠匿するための施設ではないかと考えられています。文献記録には残っていない村ですが、樋井川下流域の地域経営を担った有力村とみられます。
 発掘調査の結果、このような構造の集落が早良区有田遺跡群、西区大塚遺跡など博多湾沿岸の平野各所に分布していたことが分かってきました。
(森本幹彦)


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