- ≪お知らせ≫
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国宝 金印「漢委奴国王」を大阪市立美術館に貸出しするため、常設展示室においてレプリカを展示します。
期間:令和7年4月24日(木)~5月8日(木)
詳細は、展覧会公式HPをご覧ください。
教科書にも載っている「国宝 金印」。当館を代表する所蔵品です。
ここでは「国宝 金印」について詳しくご紹介します。
金印のプロフィール
金印の印面には、「漢」「委奴」「国王」という5文字が三行にわたって刻まれています。「かんのわのなのこくおう」と読みます。つまみのデザインは、蛇がとぐろを巻いて頭を印の中央部へ向ける姿。紐のようなものを通す孔があいています。
今から約240年ほど前の江戸時代、1784(天明4)年2月23日に、現在の福岡市東区志賀島で発見されました。記録によると、島に住む農民が田んぼに水をひく溝を修理していたところ、偶然、発見されたようです。
金印は当時の役所に届けられ、福岡藩の儒学者亀井南冥(かめいなんめい)が鑑定を行いました。南冥は、金印を、中国の歴史書『後漢書』東夷伝を根拠に、皇帝光武が西暦57年(弥生時代後期)に「倭奴国王」に贈ったものであると考えました。これは現在も金印を理解する定説となっています。
その後、金印は福岡藩主黒田家におさめられ、昭和6(1931)年、国宝に指定されました。昭和53(1978)年に黒田家から福岡市に寄贈され、当館では開館以来、常設展示室で常時公開しています。
金印はどのように使われたのか?
金印が作られた頃、中国では文字を木や竹の板に記していました。ところが、それらは簡単に削れば書き替えられます。そこで、大切な文書は粘土で封をし、そこに印をつけることで、発信者のほかには誰も開いていないことを示す必要がありました。
金印は本来、そうした用途を持っていました。金印の印面は、現在の一般的なハンコとは異なり、文字の部分が溝状になっています。粘土に文字が浮き出るよう、作られているのです。
金印の歴史的な価値とは?
中国の古代の印は、材質(玉・金・銀・銅)、つまみの形(龍・亀・駱駝・蛇)、印に通す紐の色(黄・紫・緑・青・黒)によって、それを持つ人の立場を示す役割を果たしていました。中国皇帝は、そうした印に授けることによって、皇帝を頂点とするピラミッド型の秩序をつくろうとしたのです。
当時、印の材質や印につける紐の色は地位を、つまみの形は地域や民族を示しました。金でできていて蛇の形のつまみの印を贈られた「委」(古い日本の呼び名)の「奴国王」は、後漢王朝から見て南方の異民族の国王と位置付けられていたとわかります。
つまり金印は、1世紀頃(弥生時代後期)の日本の外交交渉の様子や東アジアでの立場を示す極めて貴重な資料であり、日本の歴史を語る上でたいへん重要な資料なのです。