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昭和59(1984)年度収集 収蔵品目録2

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 岡田一資料
(岡田一コレクション)
 明治時代より昭和59年までの雑誌創刊号など4,553点の書籍類と、2,712点の民具・玩具類がある。なかでも「東巡回誌」・「明六雑誌」・「多能志美叢書」など多数の珍本がある。明治時代の燭台付きオルガンをはじめ、蓄音機・看板・博多織の包紙・久留米チラシ絣・郵便ポスト・盲人用信号機・小学校の木机・給食用具など、身近にありながら収集し難い資料が多い。郷土玩具にも数多くの貴重な資料があり、とりわけ全国の代表的なものが一望できる凧のコレクションは興味深い。 4,454 7,265
2 柴田治道資料
(計理事務所・土地建物会社関係資料)
 大きくわけで柴田計理事務所関係と春吉土地建物合名会社関係資料からなっている。とくに、柴田計理事務所に経理を委託した各種会社資料は、親子3代にわたるもので、明治から昭和にかけての会社の動向を具体的に示してくれるものとして貴重な資料である。 529 3,205
3 上原直彦資料
(学校教育関係資料)
 上原家は、近世においては対馬藩士であり、墓地は現在も佐賀県田代(対馬藩飛地)にある。
 本資料は、直彦氏の祖父(教員)と父(教員)とが収集したものである。とりわけ、祖父の京都大学学生時代、小学校教員時代のものが、大半を占めている。本資料により、明治-大正-昭和時代を通して行われてきた近代的な教育のあり方の一面を窺うことができる。
196 624
4 秋月吉井資料
(秋月藩士吉井家資料)
 筑前秋月藩の藩士吉井家の衣食に関する資料である。戦さに使われた武具の中では、甲冑をはじめ陣旗、床几、采配などがそろっているのが貴重である。日常の公務に着用された裃は、車前草紋、三重輪紋の2通りの紋を、それぞれ配したものが残る。日常の什器では、接客用の膳や盆、紋入りの漆器、揃いの染付白磁の茶碗などがある。これらの資料を通じて、江戸時代の武士の生活のようすを知ることができる。 181 372
5 前田盛幸資料
(生活・映像資料)
 本資料は、地元資本による唯一の証券会社、前田証券の社長宅で使用されていた什器類が大半を占めている。このほかに、同証券会社の創始者である故前田良三氏が撮影した16ミリフィルムは、昭和10年代の福博の風景、風俗を映像素材として知ることができ貴重である。 44 98
6 加島昭二資料
(戦時関係資料)
 加島昭二氏は、東京都出身である。本資料は、高等小学校卒業後の外務省勤務時代、その後の就業禁止令による軍需工場(藤倉航空工業株式会社)勤務時代に収集されたものである。
 戦災で3分の2以上を焼失したが、現在手元に残っているものは疎開先に移していたものである。なお、資料の一部は、すでに北九州市立歴史博物館に寄贈されている。
43 104
7 河原田家資料
(筆司関係資料)
 河原田家は、文禄年間肥前名護屋城に滞陣中の秀吉に筑紫筆を献じて佳賞され、その名は一躍有名となった。御用筆司の職は、幕初から幕末まで継承された。
 11代藩主斉清は、寛政2(1790)年書道方二川相近に命じて河原田家に「復古堂」の号を書き与えさせた。
 本資料により、明治から昭和にかけての平助筆師の活動の跡を知ることができる。
21 62
8 井上忠資料
(絵葉書)
 本資料中には、昭和2年の東亜勧業博覧会の実況、筑前名島及び福岡師範学校附属小学校の水泳実況などが含まれており、昭和初年の庶民生活(風俗を含む)を、具体的に示してくれる貴重な資料である。 6 43
9 藤江寿三郎資料
(映像資料)
 本資料は、昭和初期の藤江家の家族の旅行、子供の運動会、日常生活などを16ミリフィルムで撮影したものである。このフィルムは、寿三郎氏の父正吾氏がコダックの映写機を使って撮影したものである。 1 20
10 宮徹男資料
(松囃子関係文書)
 本資料は、博多松噺子の際の町内寄附目録である。本目録は、松噺子そのものを示すものではないが、その裏方を具体的に知りうる資料である。 1 17
11 下沢轍・北崎義成資料
(福岡市街図)
 戦前の福岡を上空から見た視点で立体的に描かれた図である。きれいに彩色された図で要所が示され、当時の市街のようすを今日でも想像することができる。
 現在は、既に無くなったり、移築された建物がほとんどであるが、わずかに、今日も残るものも見出される。
13 13
12 吉崎又一郎資料
(写真関係資料)
 写真機材が中心で、昭和初期以降のものである。なかでも、「汽車ポッポ」といわれる幻燈機と小西六製の航空写真用カメラは、完品で破損もなく価値ある資料である。
 本資料により、カメラマン吉崎氏の活動の一面を知ることができる。
7 58
13 篠原雷次郎資料
(戦時債券)
 篠原氏が、戦中・戦後の時期に購入したもの。戦時公債とは、戦時中に国家がその戦争の経費を支弁するために募集した債券である。 6 6
14 中島洋一資料
(龍門円舒書)
 本資料は、博多の禅寺・承天寺の113世龍門円舒(1754-1828)の書である。少年時代悪筆で毎日1升の水を大硯に入れて字の練習を行い、遂に名筆家となったという逸話を残す。聖福寺の仙口和尚とは同時代の人。 2 2
15 上田誠之助資料
(屏風)
 上田家は、代々醸造業(酒造業銘「宗次」)を営んでいた。誠之助氏の父次郎氏は、醤油業(銘「福与」)を営業していたが、現在は廃業している。
 本資料に描かれた内容は、源氏物語を題材とした古代の宮廷貴族の情景で、物語の各場面が金箔の雲間や樹木、建物の間にそれぞれ描かれている。
1 1
16 石蔵タキ資料
(絵画)
 石蔵タキ氏(旧姓橋本)、福岡藩士小川家の出身である。この資料は、黒田藩のお抱え絵師衣笠氏によって描かれた下絵として小川家に伝えられたものである。現在は鴛鴦の部分のみが額装にされているが、もとは鳥類だけで幾種も綴った巻子装のものであったらしい。 1 1
17 千足信一資料
(ガラス杯)
 千足家は、もと酒造業を営んでおり、西宮(兵庫県)の出自である。本資料は、桐箱入りで、箱表墨書は「こつほのさかつき」、同裏墨書は「天保三年辰八月吉日 直蔵」とある。 1 1
18 本田国康資料
(軍服)
 昭和10年代末、旧陸軍7戦隊、9戦隊は別府湾で海軍の指揮下にはいった。本田氏は、7戦隊に属し、魚雷攻撃隊の一員であった。本資料は、この時期に着用していたもので、裏に「飛七戦隊本田曹長」とある。 1 1
19 畑照一資料
(瓦)
 本資料は、傷もほとんどなく、家紋もはっきりみられ貴重な資料である。 1 1
20 村上一夫資料
(大砲)
 本資料は、村上氏が城内の福岡大学2部に勤務しはじめた昭和49年にはもうすでに校舎にあったもの。この大砲は、銃身に螺線もなく幕末期のものであろう。 1 1
21 藤本利明資料
(鶴嘴)
 藤本氏は、田川郡川崎町豊州炭坑の坑夫であり、その時使用の鶴嘴ということである。 1 1
22 中村英夫資料
(写真)
 本資料は、中村氏撮影の写真の複製である。焼失前の光雲神社(戦時中に焼失)が撮影されている。 1 1

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 屏山文庫旧蔵資料  資料は筑前を中心とした近世の絵画、書跡、古文書、書籍等と多岐に渉る。絵画では黒田藩御用絵師、尾形氏、衣笠氏及び町絵師、書では同じく藩の書道方二川相近ら筑前の代表的人物の作品が揃う。また、学者では貝原益軒、亀井南冥をはじめ、藩儒竹田家などの書跡、書状、書籍がある。
 本資料の一部が、旧福岡藩士森家の旧蔵品ということもあって、勤王の志、森安平の書状、写本が多いのも貴重である。また、福岡を中心とした藩札、私札のコレクションも注目すべきであろう。
434 976
2 星野文書  星野氏は福岡県八女郡星野村に本拠地をおいていた豪族である。天文年間には大内氏の郡代を務めており、その後は毛利氏や小早川氏の支配下にあって、各地に転戦している。所領は筑後国生葉郡、豊前国田河郡等に分布していた。本史料8通は全て戦国時代に属し、毛利、小早川氏等が星野氏に宛てたものであり、内容的には、感状、安堵状、知行方目録等軍事関係、所領関係からなっている。 8 8
3 鶴久二郎旧蔵資料  江戸時代後期の筑前を中心とした地図・絵図のコレクション34点である。このうち、幕末の写しであるが、福岡城や福岡・博多両市中の絵図があり、江戸時代の福岡・博多を知る数少ない貴重な資料である。
 その他では版本の地図で、長崎や九州全図を描いたものが多い。中には、日本全土や世界地図があり、江戸時代の地理学、世界観を知ることができる。
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