平成 元(1989)年度収集 収蔵品目録7
【寄贈】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 原田嘉平資料 | 昭和63年度寄贈資料の追加分。生前、福岡県の無形民俗文化財保持者に指定された博多人形師、原田嘉平氏(故人)が人形製作のために用いた道具類と、日常の生活関係の資料が中心である。先に寄贈された作品と共に、人形の製作工程や同氏が活躍した社会の状況などを知る上で、これらの日常の活動の様子を知ることのできる多くの資料を収集できた意義は大きい。 | 2,377 | 3,255 |
2 | 松岡純資料 | 本資料中には、戦時下の音楽興行願や集会届、および昭和前期福岡女子ピアノ学院や福岡音楽研究会主催の音楽会の要項、案内、ポスターなどが含まれており、戦前の松岡氏の活躍の足跡を知ることができる。 | 159 | 307 |
3 | 石橋源一郎資料 |
故、石橋源一郎氏(平成2年没)は、戦前まで造酒屋「鳥羽屋」を営み、福岡の多くの人物と親交があり、玄洋社員末永節もその1人であった。石橋氏は山笠をはじめ博多の祭事や振興に力を尽くし、趣味であった写真で博多の風景、人物、史料を記録したことでも記憶される。 資料は現存する山笠図では最も古い山笠巡行図屏風をはじめ、博多の近代日本画家祝部至善が描いた明治時代の博多風俗など博多に深く関係した貴重な絵画資料を含む。また、民俗資料にも、博多の細工蒲鉾の下絵がある。他にも、戦災で焼亡した鳥羽屋関係の用具や、博多では廃絶してしまった地蔵盆に飾った「池燈籠」人形もある。 |
95 | 186 |
4 | 荒川福十資料 | 志賀島で明治以後使用された漁具の一群である。延縄漁、イカ漁、網漁、一本釣漁、突漁、貝・海草採集、船体関係などの用具が揃う。漁具のほとんどが工業化される以前の木や竹、木綿糸などで作られており、近世からつながる伝統的な漁法を垣間見ることのできる好資料である。 | 60 | 220 |
5 | 市丸まさヲ資料 (追加分) |
本資料は昭和63年度に寄贈された市丸まさヲ資料の追加分である。内容的には近世の武術関係資料、近代では新聞付録画やグラビアからの収集資料等がある。なお、民俗資料も含んでいる。 | 57 | 476 |
6 | 岩本忠正資料 | 幕末に岩本家と縁戚のあった力丸家の資料で、幕末から明治初年にかけての役中日記や武術免状などの古文書が中心。力丸家は天保年間で無足組に属しており、福岡藩士の生活、文化を知る上で貴重な資料である。 | 19 | 29 |
7 | 藤島勲資料 | 本資料は江戸時代から現代に至る算盤類である。同氏の父が戦後、西新付近で算盤の商いをしており、多くの算盤を扱っていた。その多くは雲州算盤であるが、江戸時代のものも2点含まれており、また、中国の算盤のコレクションもある。算盤を商っていたときの半纏もあり、当時の商業活動を窺うことができる。 | 18 | 18 |
8 | 川上喜一郎資料 (追加分) |
昭和61年度収集分の追加資料である。川上喜一郎氏は、自らも陶芸に携わり、福岡県の民陶を収集されていた。今回の資料には江戸時代の肥前系染付磁器を中心に、小鹿田や苗代川の陶器がある。他に、平安時代後期の様式を持つ木像如来形立像と博多仏師「高田又四郎」の修理銘のある江戸時代の木造聖観音菩薩坐像がある。 | 16 | 16 |
9 | 小川善三郎資料 | 本資料は博多織職人である故小川善三郎氏作の遺品である。小川氏は明治33年博多魚町に生まれ、13歳の頃から博多織の修業に励んだ。昭和27年に自家工場を設立して以来、手織と草木染による献上模様の伝統的工法を守り続けた。その功績により、昭和46年に国指定重要無形文化財技術保持者に指定され、昭和58年、82歳の生涯を終えるまで博多織に携わった。小川氏作の博多帯11本と、着物2枚は博多を代表する工芸品である。 | 13 | 13 |
10 | 松田又一資料 | 本資料は船大工の道具箱である。同氏は西浦一帯の船大工の棟梁として、周辺地域の船大工を統括していた。同家は近世以来、船大工を続けており、「握り込みの櫓」を開発するなどの功績がある。又一氏も和船の造船技術を伝授しており多くの和船を作ったが、現在FRP船の波に押され、その技術を役立たせる機会が少なくなった。 | 9 | 9 |
11 | 上田泰三資料 (追加分) |
本資料は昭和62年度寄贈資料の追加分である。大正から昭和期にかけての民俗資料で、乳児のお守りや、葬礼用の御身の糸などの人生儀礼関係資料が含まれる。 | 8 | 10 |
12 | 能古島白髭神社 おくんち祭礼具資料 |
能古島白髭神社の10月9日の例祭「おくんち」用の祭具である。この祭は島内4ヶ所の各字で組織されている宮座により運営される。本資料は江ノ口地区からの寄贈である。神社に奉納する果物を曲物の桶に納めて、笹竹で作られた大きなフネに載せる。このフネを担いで神社に奉納し、本殿や各末社などに献じた後、饗食する。北部九州には宮座行事が今も数多く残るが、能古島の祭礼はその形態を知る上での貴重な一例と言える。 | 4 | 6 |
13 | 岩瀬兼登資料 | 旧比恵村は町部である博多と相互交流を行ってきた近郊農村である。本資料は当地で農耕に使用された農具と近辺の諸岡村の富永家で大正15年に米寿の祝いを記録した写真からなっている。 | 3 | 3 |
14 | 田坂タミ資料 | 教育勅語(明治23年に発布され、日本帝国の基本理念を示したもの)および戊申詔書(明治41年国民道義作興のために出されたもの)などが含まれており、第2次大戦前の国民教育に指針を与え続けてきた教育関係資料として貴重である。 | 3 | 3 |
15 | 山本善三資料 | 寄贈者の山本氏(大正14年生)が、幼少時に博多祇園山笠で使用した法被・化粧まわしである。博多では長男が誕生すると、父親の肩車で山笠に参加するという習俗がある。このとき、子供は母親が縫った法被と化粧まわしを身に付ける決まりである。化粧まわしは鯉や龍の文様を描いたものが多く、当資料のように錦糸で家紋を刺繍したものは少ない。法被も、犬の背守が付いており、産着としての要素が見られるものである。 | 3 | 3 |
16 | 木原邦雄資料 | 木原氏は神職としての経験を活かし、福岡県が昭和18年に行った「神社調査」や、福岡県神祗会が昭和 11年に編纂した「福岡県神社誌」に携わってこられた。昭和29年には「福岡県神社祭事暦」を出版されている。当資料の8ミリフィルムは、この祭事暦の調査に基づいて撮影されたものである。現在では、変容してしまっている祭礼の古い姿を窺い知ることができる記録となっている。 | 2 | 6 |
17 | 玉川桂資料 (追加分) |
同氏製作の漁師用腰蓑と栗あい箸である。漁師が藁製の腰蓑を着けていたのは明治期までで、同資料は同氏と玄海島の古老との共同作業により復元されたものである。栗あい箸は正月2日の船祝いの際、膾を食すための箸で栗の木で作られる。栗あい箸は漁師に限らず、丑祭など農村の祭にも用いられる。 | 3 | 5 |
18 | 豊満静信資料 | 豊満静信氏が梅林5丁目で採集、保管していた考古資料である。平成元年度に発掘調査された梅林古墳の周辺で開墾中に発見された。古墳時代の手づくね土器と中国龍泉窯系青磁碗各1点からなり、いずれも完成品である。手づくね土器は梅林古墳との関連があるものと思われる。出土地点が明確であり、考古学的価値は高い。 | 2 | 2 |
19 | 手島勇次郎資料 | 故手島勇次郎氏の収集品であり、夫人の手島ルイホ氏によって寄贈された資料で、江戸時代の火縄銃と玉入。火縄銃には銅板の飾り板が付けられ、また玉入にも彫物がなされているが、ともにシンプルで実用的なもの。 | 2 | 2 |
20 | 株式会社はせがわ 資料 |
原資料は福岡市教育委員会が1980年に発掘調査した拾六町ツイジ遺跡で出土したもので、弥生時代のものである。黒漆の上に赤漆で文様を描いている。1989年に開催されたアジア太平洋博覧会に出品するため、株式会社はせがわが復元製作したものである。 | 2 | 2 |
21 | 森本朝子資料 | 本資料はタイ国で現在も使用している稲の穂摘み具である。木製の本体に鉄製の刃をはめこみ、本体の上部には握りやすいように竹の棒をつけている。弥生時代から古墳時代に出土する木製手鎌によく似ており、比較例として重要である。 | 2 | 2 |
22 | 永倉三郎資料 | 平安時代の銅製経筒1点で、身と蓋からなる。筑紫野市武蔵寺経塚出土と伝えられる。経筒全体の遺存状態は良好であるが、銘文等は見られない。表面には多数の木炭片が付着しており、埋納状況も想定される。平安時代後期に流行した末法思想など当時の精神生活を知るうえで重要な資料である。 | 1 | 1 |
23 | 石津司資料 | 本資料は石津氏が早良区荒平山の安楽平城址推定本丸址で採集したものである。荒楽平城は、戦国時代の早良郡支配の拠点となった山城で、天正7年大友氏の被官小田部鎮元が城主の時、龍造寺氏により落城。その後廃城となった。本資料は熨斗瓦と思われるが、焼き具合から戦国期より古い可能性もある。 | 1 | 1 |
24 | 相川義雄資料 | 本資料は大正時代の嫁入道具の1つとして購入されたものである。アメリカ製のシンガーミシン機で、大正7年から昭和40年頃まで使用された。大正期に、このような工業製品が嫁入道具として使用され始めたことを示している。 | 1 | 1 |
25 | 折居正雄資料 | この資料は鯨を捕獲するために用いられた漁具である。志賀島では捕鯨を専業として行うことはないので、迷い鯨が博多湾内に入り込んだ際に用いたものと思われる。形態から察すると、捕獲後の止めを刺すのに用いたものであろう。 | 1 | 1 |
26 | 城戸亮賢資料 | 盲僧琵琶による荒神祭の御幣である。九州には盲僧琵琶の流れが2種あり、北部九州の玄清法流と南九州の常楽院流とがある。福岡県は前者に属し、盲僧は正・5・9月を中心に村々へ寵祓に出かける。その際、寵の前に立てられるのが、この御幣である。形態は藁苞に5種類の幣を立てている。 | 1 | 1 |
27 | 中島秀人資料 | 志賀島の旅館で使用された重箱である。客に鮮魚の料理を主に出したと言う。 | 1 | 1 |
28 | 中富昭一資料 (追加分) |
昭和63年度寄贈資料の追加分。近代の消防用半纏である。使用地は不明であるが、中富氏が吉塚在住の兄から譲られたものであるとのことから、博多、あるいは吉塚で使用されたものであろう。裏地には神功皇后三韓出兵の図柄が描かれている。 | 1 | 1 |
29 | 新島龍介資料 | 新島氏の先祖が博多に住んでいたと言われ、そのときに子供の守り札として用いられたと言い伝える。資料は真鍮製の小判型をしており、表には「祇おん町 石屋善八 娘しか」と線刻されている。裏面には兎と波の図が線刻されており、兎は娘しかの干支であることも考えられる。 | 1 | 1 |
30 | 瓦林潔資料 | 九州電力株式会社の元社長瓦林潔氏が収集されたもの。刀剣および磁器は佐賀県、漆工品は柳川、竹工品は大分県とすべて九州関係でまとめられている。 | 6 | 7 |
31 | 大神茂弘資料 | 本資料は大神茂弘氏の岳父が収集されたもの。守次は元禄期(1688-1704)に活躍した筑前石堂派の代表的刀工。吉包は寛文期(1661-1673)頃の筑前信国派の代表的刀工。どちらも郷土の新刀刀工の資料として貴重である。 | 2 | 2 |
32 | 吉村善次郎資料 | 福岡県出身の日本画家半田鶴城(1873~1945)の山水図屏風である。鶴城は早良郡鳥飼村に生まれ、絵を博多の石丸仙舟に学んだ。大正初期上京し、画業で生計を立てたがのち帰郷した。院展画家半田鶴一(1898~1979)は鶴城の長男である。本資料は湖水を臨んだ景観を描いた山水図で、橋梁や楼閣、漁港などを表現している。鶴城は筑前の町絵師石丸春牛-仙舟の流れをくむ画家で郷土の絵画資料として貴重である。 | 1 | 1 |
33 | 田口一幸資料 | 絹地の画面に美しい色どりで李朝時代の韓国の風俗を刺繍したものである。6曲の屏風の各扇に1画面づつ、両班、婦女、そしてコマ回しやチェギチャギ、ノルティギなどの遊びの様子が描かれている。 | 1 | 1 |
【寄託】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 徳永資料 | 徳永(得永)氏は清和源氏の流れで、筑前国西部糸島地方の有力地侍であった。南北朝時代の暦応4(1341)年少弐頼尚軍勢催促状(得永源五宛)をはじめ、南北朝時代の文書10点など中世文書12点を有する。また伝来不明ながら寺沢広高(唐津城主)宛の豊臣秀頼黒印状が存在する。近世以降、農民化したものと思われるが、まとまった資料を欠く。明治以降の近代資料として注目されるのは、日露戦争の遺族に関する資料である。 | 131 | 146 |
2 | 鍍金鐘 | 志賀海神社は貞観元年(895)に従五位上の神階をうけたと伝え、綿津見(わたつみ)三神を祭る神社である。往時の社殿、回廊、末社のようすは中世に描かれた志賀海神社境内図(本館寄託品)にもしのばれる。本資料はいわゆる朝鮮鐘と呼ばれる高麗時代の釣鐘である。小型であるが、鐘身の浮彫や竜頭など意匠に富み、全体に鍍金(金メッキ)が施され、装飾性にすぐれる。海神を祭る当社にふさわしい高麗からの請来品である。 | 1 | 1 |
3 | 日本ガイシ株式会社 資料 |
日本ガイシ株式会社は、1905年合名会社日本陶器で高圧碍子の研究・製造に着手して以来の、高圧碍子の老舗である(1919年独立)。寄託された資料は1926年製の送電線用懸垂碍子で、当時から今日までも国内で主流であるクレビス型と呼ばれるもの。 | 1 | 1 |
【購入】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 野間吉夫民陶 コレクション(追加分) |
昭和63年に収集したコレクションの追加である。当コレクションは民芸的視点から収集されたもので、九州の民窯の代表的な陶磁器が揃っている。今回の収集資料の中には、小石原窯の作家大田熊雄氏の作品も含まれている。 | 85 | 91 |
2 | 博多祇園山笠当番 法被 |
博多祇園山笠は、毎年7月1日から15日まで行われる、博多の代表的な祭礼である。この時に用いられるのが当番法被である。山笠を舁くときに着る水法被に対して、当番町を務めるときに新調するのでこの名前がある。町名にちなんだ伝統的な文様を絣で表現するところに特徴があり、町ごとに様々の文様がある。本資料は、博多に残っていた旧町の当番法被を資料として、当時の製作方法によって復元したものである。 | 70 | 140 |
3 | 月成家資料 | 本資料は、福岡藩士月成家に伝来した資料で、近世の武術や茶道の相伝書、免許状類が中心。月成家は福岡藩の中老格で2,000石、赤坂門外堀端に居住していた。資料の中では二天一流の伝授に関するものがまとまっている。 | 44 | 213 |
4 | ポジャギ他 | ポジャギとは朝鮮半島で使用される風呂敷・袱紗類の総称である。今回は63年度収集分に追加される資料で、陰陽五行説に基づいた色彩の絹布を継ぎ接ぎした儀礼用のものが中心である。ポジャギは雨乞いの儀礼や婚礼にも使用されるという関係から、全羅南道の農村地域で雨乞い行事に使用された「雨乞幡」や婚礼で花嫁の箪笥に上から掛けられる虎革を象った「箪笥掛け」も併せて収集した。 | 23 | 23 |
5 | 博覧会・ 共進会関係資料 |
明治時代の内国勧業博覧会から昭和戦前期の地方博覧会まで、明治以降の日本の近代化に寄与した博覧会・共進会に関する資料。福岡市の近代都市化をテーマとする、常設展示室(総合)における歴史展示(近代)に関連して収集したもの。 | 171 | 573 |