目録 |
資料群名 |
解題 |
件数 |
点数 |
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竹口峯子資料 |
柴田家(峯子氏の実家)はもともと東北地方の宮大工で、幕末に北海道で宮大工の仕事に従事している。本資料は、幕末から明治期にかけての北海道の寺社に関する図面・絵様類である。
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一丸俊憲資料 |
筑前琵琶の橘流宗家の流れをくむ一丸家に伝わったもので、盲僧琵琶から筑前琵琶にいたる資料群である。その内容は(1)琵琶、(2)版木類、(3)近世・近代文書、(4)版元刊本類に大別できる。(1)は4弦・5弦の琵琶で、中には新工夫のものや外国製のものもある。(2)は江戸時代の盲僧琵琶門付けの際の札の版木。(3)は粟田青蓮院(あわたしょうれんいん)の盲僧支配関係の文書が中心。(4)は橘流筑前琵琶の楽譜類が中心。いずれも盲僧琵琶から筑前琵琶にいたる一連の、しかも具体的な資料として貴重である。
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3 |
長野巌資料 |
旧熊本藩家老長岡家に伝えられた江戸時代から明治時代にかけての文書である。特に江戸時代の文書は、藩主が江戸から国元の家老へ政務について指示している書状や、藩財政に関わる覚が多く含まれており、幕藩体制の一端を窺い知る資料である。
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赤松元興資料 |
赤松氏が昭和の戦前期に収集した片(ビラ)類である。列車食堂の片は、寝台列車による旅が主流であった当時の食堂の営業案内のあり方が窺えて興味深い。
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柴田昂太郎資料 |
江戸時代、福岡近郊の大銘谷村の組頭で、鮎屋の屋号で藩の御買物役所御用(おかいものやくしょごよう)も勤めた柴田家に残された文書で、(1)口上覚(こうじょうおぼえ)類、(2)賞誉筋書付(しょうよすじかきつけ)類、(3)系譜類、(4)その他からなる。(1)は御買物役所御用関係で御用勤めの由来などがわかる。(2)は組頭在役中に藩から与えられたものや鮎屋関連のものがある。(4)では近世後期の世相を風刺したちょぼくれ類の写がある。いずれも福岡近郊農村の歴史や生活・文化を知る上で貴重な資料である。
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6 |
毛利淳一郎資料 |
昭和初期の福岡県の産業奨励・輸出奨励に関する資料群である。毛利氏が福岡県産業奨励館に勤務していた昭和7(1932)年頃のものを中心に、諸書類・印刷物と、毛利氏が中国で購入した「西湖風景織物」(額装)などがある。
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花田イト資料(追加分) |
江戸時代の重箱の台と明治末期から大正初期の土地・家屋の登記関係の書類である。花田イト資料としては昭和62年度に花田氏の妹安武松恵氏より民俗資料が寄贈されている。
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16 |
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高橋三郎資料 |
日野式飛行機”舞鶴号”は、陸軍飛行隊の草分けといわれた日野大尉が設計したものである。この設計図をもとに製作したのが、高橋鉄工所であった。本資料には、舞鶴号のシリンダー、およびその設計図が含まれている。
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15 |
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上杉眞治資料(追加分) |
昭和63年度収集分の追加である。昭和44(1969)年の米穀通帳と、戦後の宮崎市内の映画館で上杉氏が入手した映画の散(ちらし)類である。
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15 |
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堺陸雄資料 |
堺陸雄氏の父恒雄氏に関するものが大半を占める。資料は、武術関連(柔術・杖術・抱大筒など)の資料群である。このほかに戦前の自動車運転免許証が含まれている。
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横山武雄資料(追加分) |
昭和62年度収集分の追加である。天正14(1586)年の高鳥居(たかとりい)城攻囲戦や立花(たちばな)城籠城戦、同15(1587)年の日向高城(たかしろ)攻防戦、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦などの戦功により、横山氏に与えられた感状(かんじょう)類が中心で、戦国時代末から安土・桃山時代の同氏の足跡が窺える。他に長府藩士時代の資料も含まれる。
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11 |
11 |
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入江厳資料 |
福岡市南区三宅にある三宅廃寺とその周辺で、入江氏の父金之輔氏が採集したものである。完形に近い老司式軒平瓦をはじめ、古瓦片、石製品、土器、陶磁器など58点に及ぶ。三宅廃寺は昭和52(1977)年に発掘され、多くの瓦片が出土しているが、完形品は少なく、白鳳時代から奈良時代にかけての古瓦の好資料である。
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的野政則資料 |
軍事郵便用絵葉書や戦時債券などの戦時資料である。戦時下の市民生活を知ることができる。
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藤井靖司資料(追加分) |
平成2年、3年度収集分の追加で、明治期の絵葉書セットである。いずれも歴史上の物語を英雪堂が描いたもので、1組4枚から8枚で続き絵となるよう構成されている。
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辻昭夫資料 |
辻昭夫氏の父が使用していたカメラ、およびカメラに関する書籍等である。とくに昭和10(1935)年から同11(1936)年にかけて発刊された『アルス最新写真大講座』は、当時のカメラに関する情報を提供する貴重なものである。
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中垣武雄資料 |
大正期から昭和初期にかけて福岡で使用されていた着物類。留袖(とめそで)、中振袖(ちゅうふりそで)など当時の着物の色柄を知ることのできる資料である。
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中村經吉資料(追加分) |
昭和62年度収集分の追加で、昭和17(1942)年発行の愛国百人一首と、昭和期の切符類である。愛国百人一首は戦時中に中村家で購入したが、ほとんど使用されなかった。切符はいずれも中村氏が使用したものである。
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4 |
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坂本ツグノ資料 |
木製黒漆塗猫足膳、吸物膳、四ツ組椀。30年ほど前に福岡市中央区鳥飼の知人から譲り受けたもの。吸物膳の箱には「嘉永貮己酉歳」の墨書がみられ、嘉永初年製のものであることが窺える。
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外林国衛資料 |
江戸時代福岡藩の御用絵師石里洞秀(?~1827)筆「李白観瀑図」と、同じく福岡藩の御用絵師衣笠家第8代守正(1851~1912)筆「琴棋書画図」屏風は、筑前の御用絵師の資料として重要である。また、梅春筆「山笠図」は、昭和初期に描かれた作者のわかる近代の山笠図として好資料である。
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玉川桂資料(追加分) |
昭和61年、平成元年、3年度収集分の追加である。玄界島で使用されていた漁撈と社会生活の資料である。玄界島漁協の名が入った大漁旗は貴重である。また灯火具のコトボシは、明治期、当地で夜回りに使用されていたものである。
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橋本友美資料(追加分) |
昭和61年、平成2年、3年度収集分の追加である。南区で戦前に使用されていた仕事着(野良着)と生糸の枠で、当時の農村を知ることのできる資料である。
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3 |
3 |
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伊藤君江資料 |
もと山口県大島郡で網元をしていた伊藤家に伝えられた櫛と笄(こうがい)である。幕末から明治初期にかけての漁村の人生儀礼が窺える資料である。
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中富昭一資料(追加分) |
昭和63年、平成元年度収集分の追加である。博多祇園山笠の新しい「流(ながれ)」である千代流で昭和24年(1949)頃に用いられた二引と、ホテルでおこなわれた結婚披露宴の扇形献立表。
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2 |
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吉井利雄資料 |
明治期の博多祇園山笠に使用された上魚町の山笠当番法被(はっぴ)と、戦後に作られた山笠水法被である。当番法被は大正期に文字柄が作られる以前に使用されていたもので、明治25(1892)年の写真にその姿を見ることができる。上魚町は現在山笠を出しておらず、当番法被はこれまで確認できていなかった。
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2 |
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吉村善次郎資料 |
本資料は、吉村氏が戦前から戦後にかけて使用していたもの。とくに博多織の帯は、吉村氏が相撲用に使用したものである。
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中野佐資料 |
中野佐氏の母が、大正期に東京で琴を習う際に購入したものと思われる。象牙、鼈甲等で装飾が施され、琴柱、爪などの部品が揃う。
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藤本利明資料(追加分) |
昭和59年度収集分の追加である。長崎県諫早市の漆器商であった藤本家で婚礼に用いられた重箱。明治36(1903)年頃の婿養子婚に使用されたものといわれている。
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弘清三資料 |
太宰府市の観世音寺にある鎌倉時代の舞楽面を、博多人形師の中ノ子市兵衛が写したもの。面のつくりなど原本を丁寧に写している。作者の中ノ子市兵衛は、江戸時代からの人形師中ノ子家の一人で、大正期に活躍した。福岡県無形文化財保持者であった故中ノ子タミ氏は市兵衛の姪である。なお、弘清三氏は寄贈者の野田三惠子氏の父である。
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井島良雄資料 |
昭和7(1932)年発行の絵画集である。明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に展示されている絵画が収録されている。
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渡辺文吉資料(追加分) |
昭和61年度収集分の追加である。明治22(1889)年製の組立式三味線で、斉田幸四郎の作。明治期の庶民文化を示す資料である。
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安部洋子資料 |
昭和11(1936)年に福岡市長浜で開催された博多築港記念大博覧会の重箱である。黒漆地に福岡市と築港博のマークが蒔絵で表されている。
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1 |
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池田家資料 |
池田家伝来の脇差。中心(なかご)の表には「武蔵大掾是一造」という銘があり、作者の是一は江戸石堂派の刀工で、福岡石堂派の中心的刀工である是次の師になる。
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泉谷忠楠資料 |
矢田一嘯画の「元寇」4枚を貼継いで掛幅としたもの。泉谷氏の父が入手したもので、明治期における「元寇」のとらえ方を知る上でも興味深い資料である。
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1 |
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岩永正利資料(追加分) |
昭和62年度収集分の追加である。博多松囃子(まつばやし)のとき、恵比須神を出す当番に当たった下竪町の各戸が、軒先に飾る幕として製作したもの。博多松囃子の際の町の様子が窺える資料である。
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1 |
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江頭光資料 |
トンビとは、鳶合羽(とんびがっぱ)の略である。鳶の羽をひろげた様子に似ているところから、この名がついた。明治後期から昭和前期にかけて和装用洋風コートをして流行したこのトンビは、当時の風俗を表している。
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江頭隆資料 |
江頭氏の友人が福岡市内で採集したものである。石戈(せっか)は市内の発掘調査でも数点出土しているが、そのほとんどは破片であり、完形の石戈は珍しく、福岡の弥生時代資料として貴重である。
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奥村武資料 |
戦時中に和菓子を製造した菓子型である。鉄兜に星が描かれ、時代相を反映した資料である。
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加藤明道資料 |
紺地の絹本に金泥で鼎(てい)・尊(そん)・彝(い)・ゆうなどの中国の器物を描く。器物に刻まれる年記や銘文をそれぞれの図の横に記す。器物を図示した屏風として興味深い。
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金堂好美資料(追加分) |
昭和63年、平成2年度収集分の追加で、昭和44(1969)年の米穀通帳である。戦後長く行われた食料配給制度についての好資料である。
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川口義典資料 |
いわゆるインド更紗(さらさ)に濃彩で須弥壇(しゅみだん)に坐した菩薩像と脇侍2像を三尊形式に描く。各像の下には像の性格を表すと思われる獅子、牛、蛇を象徴的に描く。また、3尊の周りには樹木、岩山、花木、馬、鳥などが描かれ、山水図や花鳥図の要素をもつ仏画として興味深い。
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迫新治資料 |
中国・漢代の銅銭「五銖銭」である。北部九州の弥生時代遺跡では、各種の中国系文物が出土し、その一つに銅銭がある。福岡周辺では「貨泉」「貨布」「半両銭」の出土があるが、五銖銭は北九州市で出土しているだけで、参考資料として貴重である。
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佐藤漢吾資料 |
佐藤哲男氏の父漢吾氏が満州で使用したもので、一般にいわれる広東服(カントンふく)である。上腕部が取りはずし可能で、長袖になったり、半袖になったりと工夫してある。
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鈴木一良資料 |
鈴木一良氏の父が日本統治下の台湾で収集し、戦後日本に持ち帰ったもの。台湾北東部に居住するタイヤル族の礼装用上衣である。
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前門牛助資料 |
千代町の商家である前門家で使用されていた持ち運び可能な銭箱である。引き出し内部に購入の日付と考えられる「昭和七年五月参拾」の墨書がある。
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山本喜三資料(追加分) |
平成元年、3年度収集分の追加である。男物の木綿長襦袢(ながじゅばん)で、明治期から大正期に山本喜三氏の父が博多松囃子で着用したものと伝えられている。
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岡田一資料(追加分) |
昭和59年度に引き続き、平成2年度に寄贈をうけたもの。明治、大正、昭和の教科書類をはじめ、広告、切符類、戦争関係品、教材類等には、今では入手困難な資料が含まれており貴重である。本資料は約15,000件と数量が膨大なので、今回は教科書類を中心に収録した。残りは、次号以降にしたい。
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