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平成9(1997)年度収集 収蔵品目録15

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 進藤一馬資料(追加分)  昭和61・62年度、平成6年度収集分の追加である。故進藤一馬氏が収集した1960年代から80年代にかけての日本の切手のコレクション。(進藤一馬氏は福岡市第25~28代市長〈1972~86〉)。戦後の切手ブームの状況をうかがい知ることができる。 542 647
2 山田昭一資料  昭和20年代から30年代にかけての日本映画の全盛期の資料。山田昭一氏が映画を鑑賞した際に入手したリーフレツトを、入手年月日を書き添えて保存していたもの。福岡の映画館の活動が分かる貴重な資料である。 395 396
3 岩永正子資料  戦前の給与生活者一家の余暇活動をうかがうことのできる資料群である。写真帖や書籍、絵葉書、ブロマイドなどからなる。1936年のジョージ4世の戴冠式にあわせて新聞社が企画したヨーロツパ旅行関連のガイドブックや土産なども含む。 195 200
4 石橋紀昭資料  明治20年代前後に盛んだった、博多の東公園(現博多区)の競馬に関する資料で、競馬興行の願書や会員名簿、出馬名簿、開催通知、決算書類などがそろっている。福岡市制施行前後の福岡市の大衆娯楽・文化の資料として、また東公園が県営となる以前の資料として貴重である。また捕鯨に関する資料として、鯨の捌き方を明治時代に写した絵図が2巻あり、解体された鯨の各部の名称・解説が付けられている。 172 193
5 河野良春資料  河野司氏の父良春氏が、昭和10年代から日本の古武術の修得、研究のために作成した、江戸時代の九州の諸流派の技術書や秘伝書の写本類、師から受けた奥義書、武術に関する問い合わせの書簡類、自らの工夫した古武術復原の覚え書類が中心。さらに昭和10年代の北部九州、博多周辺での武術・武道大会のパンフレット類などがまとまって残されている。このうち武術書関係では、真道無双流関係の棒術、居合術、天下無双流捕縄術が多く、特に捕縄術は、雛形として紙紐で縛り方が復元された木人形が多数残されている。体技であるため伝来しにくい古武術の研究資料として貴重である。なお平成6年度に寄贈された河野司資料の追加分にあたる。 120 319
6 豊福博信資料  豊福博信氏が戦前に収集し、聴いていたクラシックレコードおよびレコードに付属していたと思われるチラシ類。チラシの発行年から、いずれも昭和10年代のものと考えられる。豊福氏は、福岡市六本松(現中央区)で薬局を営んでいた。戦時体制下にありながら、都市の市民文化が発展した時期の資料である。 95 183
7 十時マツヨ資料  十時(旧姓安武)マツヨ氏が福岡高等女学校および福岡女子師範学校卒業時に黒田奨学会から表彰された際の賞状と記念品、および漫画家の長谷川町子氏からの書簡等からなる資料群。十時氏と長谷川氏は、福岡高等女学校の同級生であった。 91 91
8 安部正昭資料(追加分)  平成6年度寄贈の追加分。戦時債券および戦後昭和20年代の宝くじ等である。いずれも、安部正昭氏が保存していたものである。 27 101
9 安部洋子資料(追加分)  平成4年度寄贈の追加分。安部洋子氏の母の花嫁衣裳と結婚記念写真、博多築港記念大博覧会の会場でのスナップ写真など。 14 143
10 小宮博康資料(追加分)  平成7年度寄贈の追加分。いずれも小宮博康氏が収集した資料である。日露戦争の戦況を伝える新聞の号外、昭和初期の防空演習の様子を写したスナップ写真など。戦後復興のために貝塚で開催された福岡市営競輪の優勝カップも含む。 9 9
11 田中丸勝彦資料  田中丸勝彦氏が収集した資料。昭和15年(1940)4月の靖国神社臨時大祭関係の資料と愛国婦人会佐賀県支部が発行した毛屑集めを呼びかけるチラシ、呼子町の家で子宝を祈って飾られたチンポ凧である。 8 8
12 宇佐美マスミ資料  宇佐美マスミ氏の夫千年氏(1924~84)が、旧制中学在学時に使用した国語の教科書。千年氏は、昭和12年(1937)に糸島中学校に入学、翌年鞍手中学校へ父の転勤のため転校したが、昭和16年に再び糸島中学校へ転校している。 7 7
13 石橋善弘資料  昭和10年代の姪浜町案内、姪浜の新年祝賀会の名簿、明治23年の福岡・唐津間の馬車時刻表からなる資料群。西区姪浜で廻船問屋を営んでいた石橋家に保管されていた資料である。 6 6
14 藤野志づゑ資料  40年ほど前に南区大橋で土取りの際に採集されたもの。発見場所は「三宅廃寺」推定地の周辺の数カ所で、弥生土器1点を除いていずれも7~9世紀に属し、三宅廃寺との関連が考えられる資料である。福岡市教育委員会刊「三宅廃寺発掘調査報告書」(1979)でその一部が報告されており、2は三宅瓦窯跡、3は岩野第1瓦窯跡、5は三宅廃寺推定地内の採集品である。 6 6
15 速水精藏資料  昭和11年(1936)の博多築港記念大博覧会の記念絵葉書と博覧会関連の刊行物。いずれも精藏氏の祖父が入手したものである。 5 5
16 山田ラク資料  本資料は山田ラク氏が魚行商に使った運搬具である。糸島郡志摩町野北は、民俗学者桜田勝徳の調査によって全国的に知られるようになった魚行商人シガの故郷。昭和に入っての行商は自転車によって行われたが、生魚はトロバコ、塩干ものには自転車メゴが使われた。それ以前は、竹籠を天秤棒で担って行った。野北独特の形態を持つといわれる竹籠はホーヅキメゴと呼ばれたが当地では既に失われており、本資料のオキメゴはそれに代わって使われてきたものである。 5 8
17 西崎ウメノ資料  魚行商人シガの用具である。野北では産業構造の変化やシガの高齢化がすすみ、行商をする女性が減っている。西崎ウメノ氏は、現在でも自転車で行商を続けている数少ないシガの一人である。本資料に含まれるアキナイ帳は、その記載から野北シガの活動と経済を分析できる資料である。 4 5
18 占部チヨ資料  箱崎町による昭和11年(1936)の町市合併に関する調査報告書と、箱崎町会の資料、旧日本陸軍の防寒用コート。いずれも占部チヨ氏が保管していたものである。 4 4
19 富永龍一資料  西区周船寺の富永家に伝来する資料。山樵用具(台切大鋸と前挽大鋸)と染織用具(陶製糸乾燥機)である。北部九州の製材習俗等に関する資料として利用価値を有する。 4 4
20 原田嘉平資料(追加分)  博多人形師原田嘉平氏(1894~1982)の作品及び工房の看板制作道具類。人形「豊神女」は天平時代の宮女をモデルにした原田氏晩年(昭和50年代)の作品。看板は原田氏が昭和27年(1952)から没年まで過ごした博多区冷泉町の住居兼工房に掛けられていたもの。昭和63年度、平成2年度、平成6年度収集分以降の追加である。 4 4
21 田中朝代資料  田中朝代氏の姑フジノ氏は、明治生まれで野北シガの最古老である。朝代氏はフジノ氏について行商を営んできたが、本資料は朝代氏が使用したシガの仕事着であるヒョーヒョー、フジノ氏が使用したイリコを製造するための平メゴである。また、トビウオの鰭は子どもの成長を祈って贈答品に付ける熨斗である。 3 6
22 玉川桂資料(追加分)  福岡市博物館の前身である福岡市立歴史資料館は昭和59年(1984)8月に玄界島周辺で海底調査を行った。本資料は調査のきっかけとなった陶磁器で寄贈者の玉川桂氏が海底で採集されたものである。玉川氏は、もともと海士であり、島の情報に精通されていることから当時、歴史資料館の民俗資料調査の収集委員を委嘱されていた。
 発見場所は玄界島西南部のタケノシリ、ヨッスクリと呼ばれる海岸線に沿った水深3~8mの範囲である。3点の陶磁器は削りだし高台をもつ皿で、近世初期の唐津焼と考えられる。
3 3
23 濵田弘之資料  福岡県新宮町の相ノ島沖合の海底で採集された資料。律令期の瓦2点と、他に近世の黒釉のかかった土瓶形の陶片からなる。
 いずれの瓦も表面には海中の生物が白く付着している。丸瓦は玉縁を有するタイプで表面に格子の叩き目が観察できる。平瓦はいわゆる文字瓦で表面には格子の叩き目に加えて「警固」の2文字が打ち出されている。警固銘のある瓦はこれまで西区の斜目ヶ浦瓦窯や平安京跡で出土している。平安京の「警固銘」瓦は、貞観18年(876)に火災をうけた朝堂院の再建のため九州から搬入されたとする説が有力である。本例は瓦の移送時に予期せぬ状況下で船が遭難したか、積荷が海中に投げ出された場合が想定できる。
3 3
24 赤松元興資料(追加分)  平成4年度寄贈の追加分。大正5年に福岡県庁を大本営にして行われた陸軍特別大演習と、大正6年の博多財産区貯蓄祝宴の記念品である朱盃。一揃いで作られているが、どのような経緯でこの2つの記念品が一緒になっているのかは分からない。 2 3
25 金堂好美資料(追加分)  昭和63年度、平成2年度寄贈の追加分。金堂好美氏が保管していた38式歩兵銃の弾と大正3年戦役(第1次世界大戦)の記念章。 2 2
26 佐藤修志資料  江戸時代の版本書籍で、佐藤修志氏の先祖より所持していたもの。古典文学「源氏物語」に関する研究書・注釈書である「湖月抄」(北村季吟)の注解本と、中国の歴史書「史記」注釈書の2点。 2 2
27 柴田昭夫資料(追加分)  平成7年度寄贈の追加分。昭和3年(1928)の大礼記念章と大正末期の九州の鳥瞰図で、いずれも柴田家に保管されていたもの。 2 2
28 田中さだ子資料  本資料は田中さだ子氏が製作・使用したもの。シガが行商に使う前掛は、酒屋が配った生地の厚いものを改造して、めいめいが作るものである。本資料の前掛は、福岡市の福菱味噌醤油製造元が配布したものをもとにしている。 2 2
29 宮徹男資料(追加分)  昭和63年度収集分の追加である。戦前の博多祇園山笠の様子を知ることができる写真である。恵比須流山笠前での集合写真で、昭和5年(1930)と昭和16年(1941)に撮影されたものである。後者には、山小屋に「武運長久」の文字が見え、民俗行事までもが戦時体制に入っていく姿が見て取れる。 2 2
30 アンドルー・マスキ資料  アンドルー・マスキ氏が高取焼の調査・研究のため福岡に滞在中、福岡城内で採集した資料。福岡城西側の土塁(福岡市美術館裏側)付近の表面採集品で、肥前系などの磁器及び唐津・高取などの陶器を中心とし、他に明の染付磁器、土師器、瓦等があるがほとんどが小破片である。一部を除き近世の福岡城で消費された生活用品と見られる。 1 253
31 森永製菓株式会社資料(追加分)  平成2年度収集の追加分。昭和7年(1932)頃の森永ミルクキャラメルの紙箱の複製。未開封であることの証である帯封もついた精巧なレプリカである。 1 5
32 津上禮三資料(追加分)  江戸時代に廻船業で栄えた筑前五ヶ浦の一つである宮浦の、津上家の持ち船だった、国久丸(約900石)の船額に使用された文字金具。同家は廻船頭取を勤めた家で、幕末には国久丸、国吉丸を所有し、瀬戸内海方面で活躍したことが知られている。当時の廻船の部分品として現在に残されたものであり、この時代の博多湾の産業や交易の中心的活動をになっていた五ヶ浦廻船の歴史を知る上での貴重な資料。平成2年度寄贈資料の追加分である。 1 3
33 吉田稔資料  京都祇園祭の山鉾巡行を描いた絵巻物3巻である。総延長が10メートルに及ぶ本作品は、長大な巡行をあますところなく描いており、作者、制作年ともに不詳であるが、様式より江戸時代中期の作と判断され、大和絵系の絵師で土佐派またはその門人あたりが作者として想定される。 1 3
34 加野かをり資料  幕末から明治初期におこなわれた婚姻に際して、嫁入り道具として用いられた皮革製の葛籠。加野かをり氏の祖母にあたるモト氏の持参品である。加野家は博多奥の堂で作り酒屋を営んだ家で、萬屋と号した。 1 1
35 秋武エミ子資料  博多区下呉服町の秋武家に伝来の資料。箱書きから天明9年(1789)に竪町中・同子供中によって作製されたことがわかる。現在、箱崎が中心とされる玉せせり行事が、博多でもおこなわれていたことを示す資料。 1 1
36 草場勇喜枝・安藤満喜子資料  愛国婦人会福岡県支部が東中洲の松居で製作した「愛婦帯」。昭和17年(1942)に、愛国婦人会は、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会と合併し、大日本婦人会に統合されるので、それ以前の製作である。 1 1
37 重信幸彦資料  重信幸彦氏が収集した資料。昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃の際の「九軍神」の伝記をまとめた読み物。「九軍神」の話は、戦時期に紙芝居などにもなり、戦争遂行キャンペーンに利用されていった。平成7年度に寄贈された柴田昭夫資料中の紙芝居「軍神の母」は、本資料の口絵写真と同じ構図を使用しており、戦中期の情報伝達上の関連性を見出すことができる。 1 1
38 杉原岩雄資料  江戸時代後期の華道書の写本で、「長崎流折留」と題されている。文政12(1929)頃、「嶽臨亭如猿」が写したとの奥書がある。内容は「光家流華道大意」を中心に、「水揚之伝法」、「曲物伝」、「花ウキ生伝」など、華道に関する秘伝の他に、料埋、薬法に関する記述も見られ、しかも絵入りで解説されている。杉原岩雄氏の祖先は、江戸時代には長崎で商家を営んでいたとのことで、九州の生活、文化に関わる資料として貴重である。 1 1
39 松尾正治資料  西区唐泊で製作・使用されたドンザ。漁民が着用した刺し子の着物である。松尾正治氏の祖父にあたる長七氏が着用したものと伝えられる。福岡県有形民俗文化財指定の鯛釣り恵比須ドンザと共通の技法が用いられている。 1 1

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 松本定策資料  松本家は柳川藩の御船方を勤めた家で、本資料は、同家に伝来した甲冑、刀剣・刀飾具である。このうち、六十四間星兜と黄糸威胴丸具足は、柳川藩家老十時摂津守が着用したと伝えられている。また定紋前立付八間筋兜と紺糸威胴丸具足とは、幕末の江戸の幕府御用達甲冑師明珍宗周作で、幕末江戸明珍派の基準作として貴重である。また刀剣では、肥前忠吉や、長船清光などが含まれている。 21 45
2 山崎千泰資料(追加分)  江戸時代後期の福岡藩の儒学者亀井南冥(1743~1814)、昭陽(1773~1836)父子の書跡、および渋沢栄一により大正時代に発行された亀井昭陽の著述「論語述志」。この「論語述志」は荻生徂徠の学問を学んだ亀井家の学問を集大成し、亀井学を築いたとされるもの。山崎家は福岡藩の国学者青柳種信(1766~1835)の子孫で、平成2年度にも同家の亀井関係蔵書が本館に寄託されており、本資料はそれらと一連のものである。 4 12
3 小林茂春資料  江戸時代中期頃の博多の絵図1点、および江戸時代後期に博多で製作された木版筑前国図1点。博多図は中洲と博多を結ぶ橋が、東中島橋1本しかなく、しかも中島町の片側も藩の御船入になっているなど、その内容から、元禄期からさほど隔たっていない時期の状況が描かれていると推定されるもので、当時の博多の様子を知る基本資料である。小林家は江戸時代に博多東町流北船町に居住し商家を営んでおり、幕末に建築された家屋敷は現在まで、残っていた。 2 2
4 大歳神社資料  江戸時代に五十集(いさば)と呼ばれた中・近距離輸送用の中型廻船の模型。唐泊の大歳神社に奉納されたもので、文政9年(1826)に志賀島弘浦の市平が製作している。五十集は50~400石程度の大きさだが、当時の浦には、必需物資を入手するため必ず1艘は存在していたといわれ、人々の生活により密着した船であったことが解る貴重な資料である。なお唐泊は、江戸時代に廻船業で栄えた筑前五ヶ浦の1つで、大歳神社には、航海安全を祈る奉納品が収められている。 1 1
5 三所神社資料  享和3年(1803)に三所神社に奉納された絵馬で、奉納者は廻船の船頭中。作者は江戸の浮世絵師で葛飾北斎の弟子柳々居辰斎(生没年不詳)で、図柄は加藤清正の虎退治。宮浦は、江戸時代の博多湾のなかで、廻船業で栄えた筑前五ヶ浦の一つ。氏神の三所神社には航海安全等を願って数多くの奉納絵馬が奉納された。なお、この資料は平成8年度に福岡市指定文化財となっている。 1 1
6 篠原統資料  資料の振袖は、富宮美内親王が、明治44年(1911)から45年にかけて内親王に仕えた篠原初枝氏に下賜されたもの。初枝氏は篠原統氏の曾祖母にあたる。振袖には、内親王直筆の和歌短冊、内親王及び初枝氏の写真などが付属している。 1 1

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 庄崎家文書  中世から近代まで一貫した地方文書という点で、福岡市近郊では貴重な家文書である。庄崎家は、近世においては怡土郡の庄屋をつとめ、明治期には戸長や糸島郡長糸村(現・前原市)村長をつとめた家。中世には、原田氏の被官であったことが本資料からわかる。 997 1,386
2 福岡城佐賀堀・中堀関係文書  明治25・26年(1892・1893)の佐賀堀・中堀の払い下げ問題に関する文書、明治30年代以降の堀からの収益の使途をめぐる問題および堀の埋立に関する文書。大正後半に中堀が埋め立てられるまでの間の、黒田家と福岡県などとの間の交渉の内容をうかがうことができる資料。 15 17
3 旧吉川観方コレクション  京都の日本画家で風俗研究家であった吉川観方氏(1894~1978)が蒐集した資料。内谷は、近世以降の絵画、工芸、書跡など多岐にわたる。本目録には、そのうち、装身具類を収録する。なお、平成7年度目録には絵画資料、平成8年度目録には小袖などの染織資料を収録している。 783 783
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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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