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平成10(1998)年度収集 収蔵品目録16

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 社家町渡辺家資料  社家町渡辺家は、福岡藩の御用商人であった渡辺家の分家である。明治10年代に本家が営んでいた醤油業の権利と建物・生産用具など一切を娘婿に譲り、社家町渡辺家を分家し、醤油店として独立させた。その際、本家の屋号「紙与」を改字した「神世」という屋号が与えられている。本資料の概要は次のとおり。 1 o・寄託から寄贈に切り替え分 『平成4年度収集 収蔵品目録10』に掲載 o・本年度寄贈分 2 o・『福岡市民図書館マイクロフィルム所蔵 渡邊文書目録』(平成2年3月31日発行)に収録済の明治以降の渡辺家の経営に関する文書類 o・株主関係書類などの文書と、戦時期の品を中心とするその他の近代資料 3 美術資料(桃田柳栄、伝狩野探幽、亀井少栞等の書画屏風)  これらの資料には、明治から昭和初期にかけての博多商人の生活が窺える資料を中心に、近世、近代の博多の歴史と文化を物語るものが多数含まれる。 4,056 11,165
2 梅野初平資料  梅野氏の祖父が代議士として活動していた明治30年代から大正初期の長崎県会や帝国議会の速記録や決議録、医師であった父の学生時代のノートや医学関係の雑誌、その他、新聞記事を分類して集めたスクラップブックや絵葉書などからなる。初平氏が保管していた資料群である。 1,279 1,288
3 隈末男資料  秋月藩家臣吉村家および明治期の当主臨四郎の資料。近世文書には勘定方規定等、役方の記録類がみられる。また書籍は武鑑、軍記物、節用集、古典文芸、漢学・儒学、宗教、医学・本草学など多岐にわたる。吉村臨四郎は広瀬氏の出で、幕末~維新期、一時期新撰組にも属すなど各地を転戦、明治期に司法関係の職を得たのち吉村氏の養子となり、後には上秋月村の村長となった。吉村氏が近代に福岡市地形に居住し、後に隈氏に譲ったため、資料が伝来する事となった。 276 362
4 福岡市立大浜小学校資料  平成10(1998)年3月、博多部の4小学校が博多小学校へ統合されるにあたり、大浜小学校が保管していた教材や学校に関する資料が寄贈された。大浜小学校は、中市小路尋常小学校廃校に伴う通学区変更により、奈良屋小学校から分離する形で明治44(1911)年に開校した。中市小路尋常小学校の印のある教科書があり、中市小路尋常小学校の教材が大浜小学校に受け継がれていたことが分かる。 116 124
5 齋藤義資料  齋藤義氏が昭和3、4年にかけて筆写し、巻子・冊子にまとめ装丁した明法寺榊文書と飯盛神社文書。義氏は医業のかたわら、郷土の歴史研究と資料収集活動をおこなっており、その業績のひとつである。なお、この資料は平成3年度に博物館に寄託されたもので、平成10年度にあらためて寄贈をうけた。(目録は『平成3年度収集 収蔵品目録9』に掲載)。 95 96
6 福岡市立奈良屋小学校資料  平成10(1998)年3月、博多部の4小学校が博多小学校へ統合されるにあたり、奈良屋小学校が保管していた教材や学校に関する資料が寄贈された。奈良屋尋常小学校の設置は明治31(1898)年だが、図書の中に妙楽寺尋常小学校の印があるものがあり、妙楽寺尋常小学校の教材が奈良屋小学校に受け継がれていたことが分かる。 68 241
7 石橋勝蔵資料  石橋勝蔵氏が数十年にわたって収集した墨壺のコレクション、勝蔵氏の父貞次郎氏が使用した大工道具、その他の資料である。墨壺コレクションには、日本で製作されたもののほか、朝鮮半島で製作使用されたといわれるものが含まれている。儀礼用の大型のもの、普段使いの一般的なもの、ミニチュアなど種類も豊富である。 56 56
8 白川信也資料  江戸時代福岡藩後期の福岡藩藩医八木家に関する文書・記録資料。幕末期の当主宗山の医学関係の書付や処方書、勤方に対する藩の褒状などが含まれ、その活動を知る事が出来る。また八木家の家族が参加した会合で詠まれた、兼題和歌をまとめた歌集等もみられ、その中には野村望東尼の和歌もあるなど、幕末の福岡藩の和歌に関する文化活動の諸資料が見られる。 36 36
9 石賀信子資料  いずれも石賀氏が保管していた戦時資料などである。絵葉書帖には絵葉書収集ブームの火付け役になった日露戦争時に発行された記念葉書も含まれる。また、昭和20(1945)年8月に平尾浄水町の自宅の庭で拾得した伝単は、入手時期と場所が特定できる資料として貴重なものである。 32 35
10 重松一資料  重松氏が、太刀洗陸軍飛行学校経理部に勤務していたときに入手した絵葉書、ビルマ戦線に従軍していた昭和19(1944)年7月~21年7月に入手した伝単、及び戦後入手した終戦直後の福岡を撮影した航空写真である。戦時資料及び終戦直後の福岡を知る資料として貴重である。 29 29
11 小島與一資料  博多人形師小島與一(1886~1970)が制作した博多人形および生前に収集した宗七焼、山笠図、スクラップ帳など。博多人形のうち「初袷」(はつあわせ)は大正3(1914)年に與一氏の最初の妻をモデルにした初期の作品。宗七焼は江戸時代の博多で正木宗七が制作した高級素焼物で、能面や茶道具を模した飾り物など。スクラップ帳には博多人形関係の新聞記事に混じって交友関係を示す葉書類などが含まれ、博多人形史を研究する上で重要である。 21 38
12 石丸萬七資料  萬七氏とその兄鹿次郎氏の出征に関する資料と戦時債券などで、石丸氏が保管していた資料である。軍事郵便葉書は、萬七氏が戦地から出したもので、葉書の一部を切り取って返事に貼付して出せば航空便で届けられるといわれたが、萬七氏の手元には1通も届かなかったという。 21 22
13 国枝鉱造資料  国枝氏が入手し保管していた資料群。旧制第五高等学校在学中に下宿先で交付をうけた衣料切符、昭和18(1943)年4月~19年7月に学校で積み立てていた郵便貯金通帳など。戦時期に実家を離れて下宿生活をおくっていた旧制高等学校生の生活の一端を伝える資料として貴重である。 13 15
14 柴田昭夫資料(追加分)  平成7、8、9年度収集資料の追加である。華道東山流関係の資料、柴田氏が箱崎尋常小学校に在学中の通信簿(昭和10年度~15年度)、昭和15 (1940) 年の国勢調査関係資料などからなる。通信簿には身体検査の結果も記入され、当時の小学校教育のなかで、児童の健康についてどのように留意されていたのかを知る手がかりとなる。 13 13
15 常松喜代資料  常松喜代氏は大正10(1921)年旧博多釜屋町生まれ。昭和20(1945)年の福岡大空襲で釜屋町一体は被災、戦後になって復興をとげたものの、昭和41年の町界町名変更で釜屋町自体が消えた。当資料は、町界町名変更以前の、昭和3年・13年という釜屋町が当番町時の博多祇園山笠の記念写真である。年寄、中年、青年、子供が別々に写っており、釜屋町に年齢階梯制が存在したことを物語っている。また、他に昭和25年~27年の中洲流新橋町の山笠記念写真もある。新橋町は戦後喜代氏が上海から引き揚げてきた場所。中洲流は、かつては博多部の加勢町だったところ。いずれも、博多の写真館が撮影したモノクロ写真である。 13 13
16 安藤良介資料  安藤氏が収集した明治期の芝居の錦絵と大正期から昭和初期のハーモニカ用楽譜などである。芝居の錦絵は明治座の初春公演のもので、黒田長政、後藤又兵衛など歴史上の人物が実名で登場しており、近代の演劇資料として興味深い。 12 12
17 中窪菊江資料(追加分)  昭和63年度収集資料の追加である。中窪菊江氏の逝去に伴い、遺族から寄贈申し込みのあった遺品等で、写真アルバムが中心となる。アルバムは合計5冊で、しめて310枚の写真が貼られている。大正時代末頃から昭和20年代頃にかけてのものとみられ、それぞれ、菊江氏の姉時子氏の写真、菊江氏が福岡女学校(現福岡女学院)在学中のもの、菊江氏の結婚写真等、菊江氏の家族写真等(2冊)といった内容になっている。 9 9
18 松本妙子資料  福岡出身で昭和戦前期の政治家、広田弘毅の書である。松本氏の母幾代氏が広田より受け取ったもので、もとは扇面に書かれていたが、のちに松本氏が掛幅に表装した。また、幾代氏の昭和初期の写真もあり、当時の市民生活の様子が窺える 8 8
19 江村雅子資料(追加分)  平成6年度収集資料の追加である。江村氏が収集あるいは入手し保管していた資料群である。子供の頃に友人と交換するなどして収集した切手、結婚したばかりの頃に使っていた米穀購入通帳や福岡市営住宅の入居申込受付票などからなる。 6 6
20 小林孝資料  福岡市東区志賀島における人生儀礼に関する資料である。女児が初正月を迎える際に作られる餅花、初誕生を迎えた子どもにおこなう餅踏みの儀礼で使用した草鞋などがある。また、初老賀・還暦賀関連の資料は、北部九州の民俗の大きな特徴である同齢集団の極度に親密なつきあいが、現代的にどう展開するかを知るうえで意味を持つ。 5 5
21 江藤敬直資料  江藤氏の祖父上野平造氏(明治32〈1899〉年生まれ)が収集し、江藤氏が保管していたメダルと硬貨である。資料のうち中華民国の硬貨は、上野氏が昭和7(1932)年上海事変に際し出征した折りに入手したものと思われる。福岡日日新聞社の赤ン坊会のメダルの入手経緯については不明である。 4 4
22 林町子資料  昭和12(1937)年8月から13年1月までの写真新聞「写真時報 大阪毎日」と、昭和28年と30年発行のグラフ誌「国際写真情報」「同盟週報」である。いずれも林氏の親族が所持していたものを、林氏が保管していた。 2 194
23 桑原廉靖資料  幕末の福岡藩の歌人大隈言道の旧宅「ささのや」の居間に掛けられていた、福岡藩出身の政治家金子堅太郎の昭和7(1932)年筆の書額(書「言道翁旧居」)。この額は昭和40年代には中央区警固にあった「ささのや」に懸けられていたが、都市開発で公園化された際に行方不明となった。それを言道の研究者である桑原氏が探し出して入手したもの。また短刀は旧福岡高校射撃部の競技優勝者にカップ代わりに与えられていた品で、在学中に死去した江上氏を記念して昭和17年に作られた。寄贈者が射撃部に所属していたことから受け継いでいた。 2 2
24 上杉眞治資料(追加分)  昭和63、平成4年度収集資料の追加である。検閲のスタンプが押された昭和23(1948)年および24年の郵便葉書である。ともに書籍の注文に対する出版社からの回答の葉書であったらしい。第2次世界大戦後の占領下の郵便事情を示す資料として貴重である。 2 2
25 宮徹男資料(追加分)  昭和59、63、平成9年度収集分の追加で、宮氏が収集した資料である。明治38(1905)年に熊本東雲座で川上音二郎一座がハムレツトを上演したときの番付、及び久留米の国産絣商の引札からなる。川上一座の番付は、川上音二郎が正劇運動を展開していた頃のものである。 2 2
26 岩永正子資料(追加分)  平成9年度収集分の追加である。昭和2(1927)年に春吉5番町に新築され、平成8年に解体された岩永邸で使用されていた照明器具で、当時流行していたアール・デコ風のデザインである。それぞれ、洋間と廊下に取り付けられていた。 2 2
27 井上園之輔資料(追加分)  平成3年度に園之輔氏から寄贈を受けた資料の追加である。平成10(1998)年1月に91歳で亡くなった園之輔氏が昭和6(1931)年頃に川端の渕上百貨店で購入したトンビと、それを着用している昭和13年の写真の複写である。購入時期や場所、着用している様子がわかるという点で貴重な資料である。 2 2
28 小林茂春資料  携帯用電灯に用いる大型乾電池と、自転車用電池ランプである。自転車用電池ランプは大正12(1923)年に発売され、昭和30年代まで使われていた日本生まれの電化製品である。大型乾電池には「陸軍省 海軍省 逓信省 満鉄指定工場」とあり、昭和10年代の製品と思われる。 2 2
29 横山京子資料 一度開封され検閲済みのシールを貼られた封書で、第2次世界大戦後の占領下の昭和22(1947)年11月に横山氏の祖母から母に送られた手紙である。2通とも数日中に投函されており、日常的なやりとりが書簡で行われていたことを示す資料でもある。 2 2
30 高原眞成資料  中国、南宋~明代(13C~17C)と考えられる木造釈迦三尊像。中尊釈迦如来は、定印を結び、蓮華座の上に坐す。脇侍の文殊・普賢菩薩は、胡服を着た人物に牽かれた獅子、象の背に載る蓮華座上に坐す。両脇侍の像高から考えると、当初は、釈迦像の蓮華座を受ける台座があったと考えられる。作例の少ない中国の木彫像として貴重である。 1 3
31 博多高砂連資料  博多高砂会が、櫛田神社に奉納した奉納額2点である。高砂会員の名前が、男女別で年齢順に記され、下に太田清三会長以下、役員名が見られる。男性分は昭和10(1935)年5月吉日奉献で、1,252人の名が刻まれている。女性分は、昭和11年5月吉日奉献で、1,388人が刻まれている。博多の老人会である博多高砂会(現:博多高砂連)に関する資料であり、都市部の年齢集団的結合の様相を知るのに良い資料である。 1 2
32 川波壽資料  川波家は旧黒田藩士の家柄であり、代々医師を家業とし、学問にゆかりが深い。今回寄贈を受けた「七言詩屏風」の作者原采蘋(寛政10年~安政6年〈1798~1859〉)は、名を猷(みち)といい、霞窓または采蘋と号し、筑前秋月の儒者である原古処の長女であって、幕末の筑前を代表する詩人として名高い。本作品の伝来は、当時の知識階級である儒者と医家との交流を物語るものである。また、原采蘋は30歳で江戸に上り、その後20年間にわたって彼地で活躍しており、51歳で郷里に戻って私塾を開いて人々に学問を教授した。したがってこの作品は、書風からしても、伝来からしても51歳以後の作と考えられる。 1 1
33 甲斐島美子資料  所蔵者の父が昭和50年より以前に福岡カントリー倶楽部(和白ゴルフ場)内で採取した資料。小形の磨製石斧で、加熱により表面が劣化しているが蛇紋岩製か。蛤刃で基部を欠く。蛇紋岩製磨製石斧は縄文時代前~中期に通有な石器だが、この石斧の時期の詳細は不明である。同ゴルフ場内には唐ノ原野添遺跡という周知の埋蔵文化財包蔵地があるが、本資料がこの遺跡にともなうものか定かではない。 1 1
34 三角照明資料  江戸時代後期の文人・詩人として有名な広島の頼山陽が文政元(1818)年に博多を来訪した際に残した自筆漢詩文で、『山陽詩集』等では「五月十四日、飲于上村大寿宅」の題で知られているもの。詩を贈られた上村尚庵も福岡藩医ながら漢学に優れ、山陽とは特に親しかったといわれる。江戸時代後期の博多・福岡と西日本各地の文化人相互の交流をしめす貴重な資料である。 1 1
35 貝島壽夫資料  福岡藩第6代藩主黒田継高が宝暦4(1754)年に作った別邸、友泉亭の建物の一部を嘉永4(1852)年に修築した際の棟札。友泉亭は近代になって小学校や村役場等に使われた後、炭鉱を経営していた貝島家が昭和3(1928)年に買い取ったため同家に伝わったもの。友泉亭の江戸時代の遺物については殆ど残っておらず、現在のところその唯一のものとされる貴重な資料である。 1 1
36 高橋平明資料  明治29(1896)年2月に発行された「鎮西博物館歴史参考之備品」と題する印刷物である。高橋氏の曽祖父百作氏が入手したものと思われる。当時福岡県太宰府で始まった鎮西博物館建設の動きのなかで、制作・発行されたものと考えられる。 1 1
37 大日本除蟲菊株式会社資料  昭和初期に大日本除蟲菊株式会社が金烏粉をアジア向けに輸出したときのパッケージで、近代の日本とアジア諸国との輸出入商品の具体例として貴重な資料である。本資料は、平成2年度から寄託されていたが、今回、寄贈に切り替えとなった。(目録は『平成2年度収集 収蔵品目録8』に掲載) 1 1
38 吉田静江資料  東区箱崎の旧吉田家の庭に祀られていた砂岩製の地蔵菩薩像。着衣を通肩にまとい両手で宝珠を持つ姿をほぼ丸彫りであらわす。舟形の光背正面に「慶長17(1612)年10月17日」と陰刻銘があり、当地における石造地蔵像の基準作例として貴重。また、本像が伝来した箱崎周辺は板碑などの石造文化財が多く残されており、石造物の地域的な分布を考えるうえでも参考になる。 1 1
39 関屋武次資料  福岡市域において、草そりだけではなく、雪そりがおこなわれていた事を示す資料である。早良区石釜地区で、1月14日におこなわれる小正月行事トビトビが、10年余りの中断の後に再開されたのが昭和56(1981)年。行事の復活に尽力した子ども会育成会の提案で、子供たちみんなが集まって昔ながらの遊びをしようということになり、雪の積もった山の斜面でそり遊び等がおこなわれた。これはそのとき製作したもの。 1 1

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 梅野初平資料  対馬の在地領主で、近世には対馬を領した大名宗家の家臣、近代は長崎県議・代議士となった梅野家に伝来した資料。梅野家は中世には筑前守護職を務めた少弐氏の被官仁位中村宗氏に属した。中世文書では応仁3(1469)年のものが古く、その他、中世の安堵状、官途状、名字加冠状がふくまれる。近世では対馬藩士となり、文書は知行充行状、坪付類、奉役文書等からなる。また甲冑、馬具、武家装束等や近世絵画も含まれる。近代は代議士になった初実氏に関する書翰類が中心で、交際のあった人物から送られた書跡類もふくまれる。なお資料は所蔵者により大きく(1)中世文書、(2)近世文書、(3)武具、絵画・書跡、(4)近代資料にわけられ、さらに(1)~(4)のなかで、補修のための成巻等がなされた上で整理、配列されており、本目録もそれを尊重した。したがって編年的には重複する部分もある。 220 1,162
2 福岡県立福岡中央高等学校資料  福岡中央高等学校の前身である福岡中央高等女学校が購入し、社会科の教材として保管していた資料である。博多人形師井上清助が設立した井上式地歴標本製作所で製作された日本の歴史風俗および世界風俗の博多人形のほか、世界の有名な風景をうつした陶板などからなる。 149 243
3 株式会社アサヒコーポレーション資料(追加分)  平成2年度収集分の追加である。大正11(1922)年秋頃につくられた第1号地下足袋の試作品と、博覧会あるいは品評会に出品したと思われる足袋である。 2 2

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 中国古代印章  古美術商から持ち込まれた699点の中国古印章の中から、明・清代のもの、錆等で状態の悪いもの、後世の追刻と考えられるものを除いた231点である。内訳は戦国印60、秦印53、漢印57、漢両面印17、獣鈕印15、帯鈎印6、漢官印3、僻邪鍍金印3、漢銭鈕印1、亀鈕銀印4、亀鈕銅印12である。
 官印は司馬印の3点にとどまり、他は全て私印である。ただし、銭鈕印など極めて珍しい印章も含まれており、将来、銀製の官印を加えていけば、国内における有数のコレクションになるものと考えられる。当館の金印が漢代の外交政策を反映することは言うまでもないが、これらのコレクションを充実させることにより、金印の歴史的な理解を深めることが可能となろう。
231 231
2 旧吉川観方コレクション  京都の日本画家で風俗研究家であった吉川観方氏(1894~1978)が蒐集した資料。内容は近世以降の絵画、工芸、書跡など多岐にわたる。本目録にはそのうち金工を収録する。なお平成7年度目録には絵画資料、平成8年度目録には小袖などの染織資料、平成9年度目録には装身具類を収録している。 212 212
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開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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