目録 |
資料群名 |
解題 |
件数 |
点数 |
1 |
小森正也資料 |
寄贈者の父故小森正也氏が収集した郷土玩具のコレクシヨン。出張や旅行の際に民芸品店で購入したものが大部分を占める。戦後の郷土玩具・民芸ブームのなかで、郷土玩具関係の書籍を参考に拡充してきたコレクションで、その成長の様子を窺うことのできる資料群である。
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1,765 |
1,765 |
2 |
水崎雄文資料 |
寄贈者が、県立福岡高等学校および県立修猷館高等学校に勤務していたときに、社会科の教材室に残されていた資料。教材室にあった経緯は不明だが、廃棄されることになったものを水崎氏が収集し、保管していた。絵葉書は福岡高等学校、数学関係の書籍と『史学雑誌』は修猷館高等学校の社会科教材室にあったもの。
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448 |
470 |
3 |
ユニバーシアード福岡大会組織委員会資料 |
平成7年8月23日から9月3日までの間に開催された「第18回ユニバーシアード大会1995福岡」の関係資料で、組織委員会が保管していたものである。大会関係者・出場者用のポロシャツ・Tシャツや帽子、競技運営マニュアル・プログラム等の印刷物、バッジやボールペン等の大会記念品・グッズ類が含まれている。
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280 |
447 |
4 |
草場勇喜枝・安藤満喜子資料(追加分) |
平成9年度収集の追加分である。小郡市の、寄贈者と姉勇喜枝氏の実家草場家に遺された、明治後期から昭和初期にかけて出版された書籍等である。昭和3~6年の福岡県穀物検査所の関係冊子は、寄贈者の父で、検査所長であった草場七郎次や、他の検査所技手が講述したもので、一括して綴られていた。その他に、大正12年の教化国体連合会の『教化資料』や昭和12年の国民精神総動員中央連盟発行の書冊など、戦前期の社会状況が窺える印刷物が多く含まれている。
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208 |
208 |
5 |
長野菊次郎資料 |
寄贈者の祖父長野菊次郎氏(1868~1919)関係の資料。菊次郎氏は、県立福岡中学校卒業後、県内で小学校教諭の職に就き、後に岐阜や大阪、東京の中学校で教鞭をとり、明治末からは名和昆虫研究所の技師として研究を続けた。この間、独学で植物学・昆虫学の研究を続け、第4回内国勧業博覧会に植物標本を出品し褒状を受けている。なお、菊次郎氏が描いた昆虫や植物の細密画は昭和53(1978)年に国立科学博物館へ寄贈されている。菊次郎氏の祖父は、福岡藩の国学者・青柳種信の長子で、文政元(1818)年に長野家の家督を継いだ青柳種正である。
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69 |
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6 |
橋本友美資料 |
近世後期の福岡藩家臣小川家に残された江戸時代の写本、刊本類および古文書。小川家は右筆などを勤め、その関係から手習いの教本類、文芸書類などが多数残されており、それらは、一部を除き、平成11年度に小川峰登資料として当館に寄贈された。残りは、寄贈者が小川家と親戚であることから寄贈者のもとに伝わり、平成2年度に当館に寄託されていた。今回、小川峰登資料とあわせて残したいという意向により寄贈された。
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34 |
47 |
7 |
西村長實・楢崎久矩資料 |
筑前今宿で江戸時代中期から酒造業を営んだ西村家が、加布里天満宮(現前原市)等に奉納した俳句などが含まれる、近世後期から明治前期にかけての俳句集と関連資料。西村家でこの時期の当主に当たるのは5~9代の人々である。句集は「万句集」、「笠句集」等の名前が付けられ、季語が無く川柳的なものもある。当時の万句合わせのように、選者が秀句に記しを付けるなどしている。加布里天満宮等を中心とした、この時期の俳諧を通じた文化的なネットワークが知られる貴重な資料である。
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30 |
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8 |
富永龍一資料(追加分) |
平成9年度収集の追加分である。寄贈者の祖母富永シケ(安政5年9月15日~昭和21年10月8日)氏が製作使用した足袋の型紙である。シケ氏は明治期に志摩郡田尻村(現福岡市西区)三苫家より富永家に嫁いだ。富永家は戦前まで周船寺で金物屋を開業していたが、戦時中の企業整理で廃業。型紙は底・外・内という3部からなり、それを一綴として家族8人分が一箱に保存されていた。しかし、底に関しては、厚紙と薄紙の2種があり、厚紙を母型として製作用の型紙を作っていた形跡も窺える。型紙には、使用者の名前や文数の他、製作年代が墨書されているものもある。
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26 |
74 |
9 |
武部自一資料 |
福岡藩家臣建部家(大組700石)に伝来した、甲冑、刀剣、漆器類などの武家資料。建部家は福岡藩3代藩主黒田光之の母方の縁者であったため黒田家に仕えたとされる。幕末の当主武彦は筑前勤王党の有力メンバーとして活躍、その子小四郎も福岡の変を起こすなどした。資料の内、甲冑は六十二間星兜・紺糸威胴丸具足と、烏帽子形兜・茶漆塗紺糸威胴丸具足の2種、脇差は無銘であるが、第1次征長の際、毛利家の降伏の斡旋をした礼として、毛利家から贈られたと言われる。このほか陣羽織、家紋入什器などがそろっている。幕末維新期の福岡の政治史のうえで大きな足跡を残した建部家の活動内容を実際に示す資料として貴重である。
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25 |
71 |
10 |
野間吉夫収集資料(追加分) |
昭和60年度および平成2年度収集の追加分。寄贈者の夫故野間吉夫氏が収集した、日本・東南アジアを中心とした笠のコレクション。同氏の収集による資料として、九州一円から集められた民具と郷土玩具(昭和60年度)と図書類(平成2年度)がこれまでに寄贈されている。
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18 |
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伊藤博子資料 |
昭和10年から20年頃にかけて使用された装身具類。日常使いのものではなく、正月や仲人を勤めたときの晴れの装いとして用いたもの。使用者は明治・大正生まれの、寄贈者とその親族の3氏である。寄贈者は大正8年生まれで10歳まで台湾で暮らした。父親は佐賀県生まれで、母親は福岡県宗像郡玄海町出身。
伊藤カネ氏は明治末期に福岡県宗像郡玄海町の農家に生まれ、同町の農家に嫁ぎ、昭和16年に41歳で死去した。
伊藤サガオ氏は福岡県宗像郡宗像町(現宗像市)の農家に生まれ、同じ町内の農家に嫁ぐ。昭和20年代前半に55歳で死去した。
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16 |
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有久直幸資料 |
朝倉郡の郡長をつとめた、寄贈者の曾祖父が入手したと思われる写真帳など。福岡関係のものとしては、明治43(1910)年に福岡市で開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の記念写真帳、大正9(1920)年発行の九州帝国大学(現・九州大学)の写真帳、聖一国師650年諱記念の承天寺の写真帳が含まれる。
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9 |
11 |
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納冨寛資料(追加分) |
平成3年度収集の追加分である。博多にわか半面とその関係資料。俄芸は主に西日本各地で伝承されるが、半面をつけて演じるところに博多にわかの特色がある。全盛期には、面を売る店も多く見られたが、近年では絵心のある演者たちが自分で描いている。
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10 |
10 |
14 |
瀧一郎資料(追加分) |
平成7年度収集資料の追加分である。陶製手榴弾と陸軍の襟章、軍用郵便封筒の3種で、いずれも寄贈者が収集したもの。
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7 |
8 |
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吉木久吉資料 |
平成2年度寄託資料の切り替え。本資料群のうち2件は、寄贈者の祖父吉木久吉氏が国会議事堂設計図案の一般公募に応募し、2等に入選した時の図案「議院建築意匠案」の側面・断面図と透視図、久吉の明治期の写真で、いずれも複写したカラー写真である。また、「カーテンデザイン集」は冊子にぺン書きされた窓枠とカーテンの意匠図案で、久吉氏が作成したものである。
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4 |
4 |
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高田茂廣資料(追加分) |
平成12年度収集の追加分である。近世から近代の能古島に関連した資料で、同島に長く在住し、近世筑前の海事史研究に携ってきた寄贈者によって収集されたもの。一つは幕末の能古島で廻船業を営んでいた石橋家から同氏が譲り受けた割子弁当一式で、安政年間の虎繁丸で使用されていたことが箱書きによって確かめられる。もう一つは18世紀後半に能古島に開かれた窯である能古焼の徳利。能古窯は活動期間が短く、日用品生産が主だったため、ほとんど作品が残っておらず貴重である。
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3 |
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五十川弥文資料(追加分) |
昭和62年・63年度収集の追加分である。広告業を営んでいた五十川家は昭和初期「いわしや画房」を福岡市中央区伊崎に開いていた。布海苔は、通常は土壁などの接着剤として土に混ぜて使用されていたものだが、五十川氏は看板などを製作するのに使用した。児童用の椅子は、現在福岡教育大学付属小学校がある場所にかつてあった福岡第一師範学校横の防空壕で採集したものである。2カ所押された焼き印には「福岡師範学校」と判読できたというが、現状では判読不能となっている。
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2 |
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18 |
肥塚薫資料 |
肥塚氏は播州以来、黒田孝高(如水)に仕え、利右衛門の時に孝高とともに豊前中津(現大分県)に入り、さらに慶長5(1600)年に黒田長政が筑前に封じられると、長政に従って筑前へ移り、翌年2,105石を与えられている。その後黒田如水の父職隆の弟・高友の孫十左衛門が養子として入り1,500石を与えられ、その後寛永末年に2家に分かれた。本資料は大組700石の権之丞家に伝わった福岡藩主黒田家の姻戚関係等を調べた書付、および黒田長政遺言の写しなどである。
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2 |
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戸次秀之資料 |
寄贈者の祖父母の代に入手され、戸次家に伝えられた、昭和初期の新京市と釜山市の地図。戸次家では、戦前に満州や朝鮮に渡航した家族・親族がいるとは伝えられていないため、由緒は不明である。おそらく購入されたまま、保管されたものと考えられる。
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大和英二資料 |
江戸時代後期の福岡藩の儒学者・亀井南冥の自作五言律詩が6曲1双の屏風に大書されている作品。寄贈者の母方祖父徳太郎氏が収集したもの。同氏は実業家で玄洋社に属したが、敗戦直後に死去している。その後に寄贈者の元に残された玄洋社関係資料は機関誌などを中心に、玄洋社記念館などへ寄贈されたが、この屏風は徳太郎氏の収集品として、最後まで保持されていた。
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小山田德男資料(追加分) |
平成3年度収集資料の追加分。寄贈者の父丈助氏が使用したものと思われる辞書である。小山田家に保管されていたもの。
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鈴木一良資料 |
平成6年度寄託資料の切り替え。金梨地に金銀蒔絵と螺細等の技法を用い、八ッ橋図、浜松図、菊文、紅葉文、葡萄文、秋草文などが描かれた扇面意匠を、全面に散らした5段の金梨地扇文螺細蒔絵重箱。蓋の裏には大きく1つ、そのほか各段の内側に8個ずつ三つ葉葵紋を金蒔絵であらわす。また、外箱が付属しており表には「表御膳所」と朱漆書、内側に「鈴木隠居/定寛」の墨書が残る。鈴木家は江戸時代には美作津山藩の家臣であったが、本資料は藩主からの下賜品と伝えられる。江戸時代の漆工芸品は元禄期を中心に華美を誇ったが、本資料も華やかな意匠を多彩な漆工技法を用いて表現した優品であり、その流れの中に位置づけられる。
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野北漁業協同組合資料 |
福岡県糸島郡志摩町野北浦の地誌『野北浦沿革誌』。大正4年の夏以前に、当時の野北漁業組合長であった白石五郎吉が執筆したとみられる。後に編纂される地誌類の基礎資料であり、特に大正6年に、より大きな規模で編まれた地誌である筑豊水産組合編『筑豊沿海志』と密接に関連する。
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松井粛子資料 |
中国宋代から元代にかけて作られた褐釉陶器の壺である。褐釉のかかった陶器は、博多遺跡群、箱崎遺跡などの中世遺跡から、多くの破片が出土している。これらは茶葉や香料などを運搬するための容器であり、大陸から交易船に載せられ博多に荷揚げされたものと思われる。褐釉壺には多くの種類があり、紐掛け用の耳を有するものや、器高が数十センチメートルを超えるものなどがある。資料はそのなかで、もっとも小型のものである。
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笠富造資料 |
糸島郡今津村(現・福岡市西区今津)で酒造業を営んでいた(昭和12・1937廃業)寄贈者の生家に飾られていた今津の元寇防塁の写真。寄贈者の祖父富造氏(昭和初期に県議をつとめた)が入手したらしいが、詳しい経緯は不明。『糸島郡誌』(昭和2年発行)の口絵写真とほぼ同時期の撮影と思われる。富造氏は、元寇防塁の発掘に深く関わった木下讃太郎とも交友があった。
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中村洋一資料 |
平成10年の寄贈資料。昭和50年代以降に日本国内で公開された映画のチラシ。寄贈者が収集し、保管していたもの。本資料群の内、目録第17号に作品タイトルの50音順で「ア」から「ハ」までの5,314件を、また第18号に「ヒ」から「ワ」までの2,212件を収録した。本号では特集上映、アニメフェア、1枚のチラシに2作品、または3作品以上掲載されているものを収録した。
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