アーカイブズ

平成26(2014)年度収集 収蔵品目録 32

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 池田善朗資料(追加分)  平成21、25年度寄贈資料の追加分。
 寄贈者が収集した、福岡市の市街地および福岡市内鉄道関係の写真を含むアルバムと、西日本鉄道、福岡市営地下鉄、国鉄筑肥線の乗車券などからなる資料群。
 アルバムについては、昭和20年代後半から30年代にかけての天神、中洲の写真を収めたもの、昭和30年代後半に3代目博多駅内を撮影したもの、廃止間際の福岡市内線、宮地岳線を撮影したものなどがある。
 乗車券については、国鉄、西日本鉄道、福岡市営地下鉄の記念乗車券を多く含むことが特徴である。
 写真や福岡市営地下鉄に関する資料については、当館平成21年度特別展「福岡近代絵巻」に出品されたものを含む。福岡市近辺の交通史を考える上で貴重なコレクションである。
465 478
2 森隆一資料  博多区千代にあった森菓子舗でかつて使用された菓子型ほか。寄贈者の祖父・森千太郎氏、父・伊三郎氏が使用していたものとみられる。昭和33年(1958)に伊三郎氏が亡くなった後、落雁などの菓子を自製することがなくなり、ほとんど使うことがなかったという。寄贈者の姉・千鶴子氏が店を引き継いだ後は、駄菓子店として営業を続け、福岡高等学校の生徒たちに「モリガシ」と呼ばれ親しまれた。 373 517
3 早見晴夫資料(追加分)  平成11年度寄贈資料の追加分。寄贈者の義父早見晴夫氏が集めた浮世絵版画や古美術品の売立目録・雑誌・画集など。早見氏は中学校や高等学校で美術の教師をつとめており、広く頒布された画集のほかに関西や東京の古書店に出向いて錦絵や売立目録など美術に関わる資料を集めていた。錦絵には江戸~明治時代のもののほか、歌川広重の「東海道五拾三次」など昭和の復刻版が多く含まれるが、美術や浮世絵の愛好・受容のあり方を示す資料的価値が見いだせる。また、売立目録は古美術品の来歴にかかわる情報を伝える好資料である。 246 258
4 片山照彦資料  寄贈者の父である片山覚氏に関する資料群。片山覚氏は、明治42年(1909)熊本県八代郡下松求麻村に生まれ、福岡精工所に勤務した。昭和5年(1930)と同13年(1938)に召集を受ける。昭和13年の召集では、熊本で訓練を受け、門司から中国大陸に出征したが、病気のため国内に還送された。小倉、熊本、岡山と陸軍病院を転々とした後、同年12月に召集解除となった。
 本資料群は、昭和13年に片山覚氏が発信、受信した書簡類を中心とする。発信した書簡の宛先は妻サヨシが多い。受信書簡については、妻サヨシのほか、親族や町内会、勤務先などからのものがある。この他、片山覚氏の写真、通帳、戦時債券、雑誌、従軍記章、コートなどを含む。
160 188
5 西村長實・楢崎久矩資料(追加分)  平成13、17、22年度寄贈資料の追加分。本年度寄贈資料は、筑前今宿で酒造業を営んだ西村家に伝来した昭和時代初期の謡本からなる。
 西村家は江戸中期から志摩郡谷村に居住しており、江戸後期には長次郎、長三が庄屋を務め、戦前には長臣が今宿村最後の村長をつとめている。酒造業では「松乃玉」という酒を販売したが、戦前に廃業した。
 謡本とは、能の詞章を記し、それに節付を記す譜を傍記したもので、謡曲を学ぶための稽古本として用いることを想定して作成された。謡本の多くは、西村あるいは楢崎の印が捺されており、両家の蔵書であったことが明らかである。寄贈者は150冊の謡本を所持していたが、このうち13冊を国立国会図書館に寄贈した。
137 137
6 樋口和則資料  福岡市博多区千代に伝来した、昭和戦中期を中心とする資料群。寄贈者の義理の祖父にあたる故・松本時次郎氏に関するもので、松本氏の妻フタエ氏が亡くなった際に遺品整理業者から当館に持ち込まれた。
 内訳は奉公袋などの戦時資料、写真資料、書簡などである。
 写真資料は、大正時代から昭和戦後の写真、ネガフィルムのほか、戦時中に時次郎氏が所属した部隊の記念アルバムも含まれる。写真には、現在は存在していない浜流(浜新町流)のものも含まれる。書簡については、家族、戦友から松本時次郎に宛てたもの。戦時資料として展示活用が期待できる。
123 182
7 小野順子資料  本資料群は、寄贈者の生家・小野家と母の生家・日隈家のものからなる。小野家は、阿蘇地方で代々医者をなりわいとした家。父の代に阿蘇から福岡へ転居し、福岡で医療活動を続け、寄贈者も医者となった。小野家の資料には、祖母・ナヲ氏、母・敏子氏の嫁入り道具、小野家女性親族が使用した和楽器、什器類のほか、家族写真、父・蘇牧氏が使用した医療道具などがある。 122 174
8 髙嶋俊光資料  寄贈者が収集した明治時代の幻灯機と種板(スライド)。
 幻灯機とは光源とレンズを用いて物体などの像を浮かび上がらせるもの。『明治事物起源事典』によれば、日本における幻灯機の頒布は、明治13年(1880)に文部省が幻灯を全国の師範学校に頒布するため、写真業者の鶴淵初蔵と中島真乳に外国製幻灯機の模造を行わせたことにはじまる。その後、文部省経費欠乏のため幻灯の頒布は中止されたが、鶴淵は幻灯会社をつくり普及につとめたという。日清戦争期には、各地で幻灯会が開催され最盛期となった。
 本資料群中の幻灯機は石油ランプ式である。種板は日本神話、神社や日清戦争に関するものであるが、シリーズは判然としない。一部の種板には「鶴淵製」とあり、鶴淵初蔵が設立した鶴淵幻灯舗で製作されたものとわかる。種板を納めた木箱に香椎宮追遠会の文字が見られることから、香椎宮で開催された幻灯会で使用されたものを含むと考えられる。
105 120
9 鎌田昭夫資料  旧福岡藩士鎌田家(大組・800石)に伝来した近世・近代文書。同家の祖・昌房(1611~1681)の父は豊臣秀頼の家臣であった鎌田政貞、兄は黒田忠之・光之に仕えた昌勝。兄の家は光之の代に重用されるが、綱政から疎まれ、知行を没収されている。昌房は始め200石で仕え、その後の子孫も順調に加増され継高の代には800石となり、そのまま明治を迎えた。歴代当主は、宗旨奉行、勘定奉行、浦奉行、大目付、裏判役などをつとめた。幕末の当主昌寧は乙丑の獄に連座して隠居させられるが、明治以降は警察官や郵便局長などをつとめ活躍している。資料群は近世文書が2割程度。残る近代文書は系譜の写しや橋梁・堤防の図面など。2の「年中行事并万積り帳」は上級武士の1年の生活の様子がうかがえるもので『新修福岡市史資料編近世② 家臣とくらし』(福岡市史編集委員会、2014年)において全文が翻刻紹介されている。 74 74
10 箱崎伝統文化保存会資料  東区箱崎に伝わる民俗行事「人形飾り」で使用された素焼の人形。箱崎の人形飾りは、いわゆる「地蔵盆」の行事のひとつで、毎年7月23日、24日に行われる。この日は各家庭で庭先等に箱庭をつくり、中央に据えた「お地蔵様の石」のまわりをざまざまなミニチュアで飾る。人形は、かつては博多人形師が手すさびに作った簡単な素焼きのものが多かった。 69 75
11 古賀善一資料(追加分)  昭和63年度、平成5、16年度寄贈資料の追加分。姪浜地区の海苔養殖で使用した道具類および古賀善一氏宛の賞状類。古賀善一氏は柳川出身で大正9年(1920)生まれ。義父・高椋氏が博多湾海苔養殖の先駆者であったこともあり、百道地区で海苔養殖業を営んだ。賞状類は柳川時代の学校関連のものと出征中の軍関連のものが含まれる。 39 39
12 原孝彦資料(追加分)  平成20年度寄贈資料の追加分。本資料群は、寄贈者の亡夫・原孝彦氏が生家である原三信病院から譲り受けた、什器や袱紗、掛軸などからなる。原三信病院の病棟増築にともなう転居の際に、15代原三信(孝彦氏の兄)ほか兄弟で本家にあった物を分けたという。掛軸は、原本家の蔵にあったもので、戦災から逃れたものの一部である。これらの資料群は、平成6年度寄贈の原三信資料と一群を成していたものと考えられる。 34 63
13 竹浦浩二資料  寄贈者が収集した昭和30年代のプロ野球関係資料。新聞・雑誌と野球カードからなる。
 新聞は、西鉄ライオンズの動向を報じる昭和31年(1956)10月の中日スポーツである。この年、西鉄ライオンズは2度目のリーグ優勝を果たすと、日本シリーズで読売巨人軍を破り球団史上初の日本一となった。野球カードには西鉄ライオンズの中心選手であった稲尾和久が含まれる。
 西鉄ライオンズ関係資料として展示活用が期待できる。
30 30
14 中村清子資料  寄贈者の父である故永露忠利氏に関する書類、写真などからなる資料群である。
 永露忠利氏は、明治39年(1906)福岡県朝倉郡福田村に生まれ、蹄鉄術を修めた。第二次世界大戦に出征し、昭和20年(1945)に復員した。昭和30年代、「憲政日日新聞」という新聞紙を発行し、国会に記者席があったという。
 本資料群の主な内訳は、昭和戦前期の蹄鉄に関する書類、「憲政日日新聞」、永露氏および寄贈者に関する写真である。永露氏の写真は、福岡市天神町にあった憲政日日新聞社内の事務室、同新聞社久留米支局などで撮影されたものがある。また、寄贈者は昭和20年(1945)、甘木高等女学校に在学しており、大刀洗航空機製作所に動員された。寄贈者の写真には、集合写真等、この時期の写真が含まれる。昭和戦中・戦後期の資料として展示活用が期待できる。
27 28
15 大木英明資料  幕末の福岡藩士で、攘夷運動に活躍した平野國臣(文政11年~元治元年・1828~1864)が、獄中で作った紙縒文字による和歌およびその由来の書付、添え書きなどの入った漆塗り箱。寄贈者の曾祖父大木保爾が大正天皇に近侍した際の宮中からの御下賜品として伝来した。箱の添え書によると青山御所の整理品であり、三崎亀之助が献上したことがわかる。三崎亀之助はもと丸亀藩士で、外交官を経て香川県衆議院議員となり、貴族院議員に任ぜられた人物。明治以降~大正、さらには昭和戦前にかけて、平野國臣という人物がどのように評価されていたかを示す貴重な資料である。 25 25
16 星野宜義資料(追加分)  秋月藩士星野家に伝来した資料群。平成20年度寄贈の追加分。『黒田三藩分限帳』(福岡地方史談話会、1978年)に収録される「秋月文政分限帳」には、星野姓の藩士として星野才助(黒崎御蔵奉行付御普請奉行支配、8石3人扶持)と星野惣右衛門(御陸士、12石3人扶持)の2名が記載されるが、本資料群の寄贈者の家は後者の家系にあたる。資料は、①参勤交代の道中日記、②武鑑など近世の出版物、③江戸図や摺り物、④武術免許状などからなる。時代は19世紀以降で、星野惣右衛門と惣之進に宛てた文書が多数を占める。 25 25
17 村石正子資料  寄贈者とその夫に関する資料類からなる。寄贈者は昭和18年(1943)に元山公立高等女学校卒業後、京城日赤病院看護婦学校にすすみ、昭和21年(1946)に同校を卒業した。同年4月、日本赤十字甲種救護看護婦の辞令を受けた後、引揚者の救護活動に従事した。
 本資料群は、京城日赤病院看護学校関連資料を中心とする。特に、昭和21年の日赤看護婦制帽や襟留徽章の残存数は少なく貴重である。
25 26
18 前田家平資料(追加分)  平成16年度寄贈資料の追加分。寄贈者の父・前田家平氏(明治36年生)は、旧博多区下魚町の自宅の向かいにあった井上染料店(後に井上喜商店)に勤めていた。戦争で同店は焼けてしまったが、自宅は戦災を免れた。その後、大博通りの整備にともない、昭和47年に転居している。資料は、井上喜商店で商品輸出の際に使用された書類のほか、家平氏の文房具、母・フサエ氏(明治43年生、上魚町出身)の婚礼道具(袱紗や風呂敷)などからなる。博多松囃子の傘鉾の鈴は、下魚町が当番町になった際に、記念にもらってきたもの。 17 35
19 岡崎円秀資料(追加分)  平成18年度寄贈資料(古文書1件・絵画1件)の追加分。寄贈者が毎日新聞福岡総局の記者から譲りうけた、明治~昭和時代の福岡市に関係する複写写真など。多くの写真の裏に貼紙が付されている。
 写真には、中洲、博多駅、大濠といった福岡市内の名所と、川上音二郎・貞奴、山笠、昭和20年(1945)6月の福岡大空襲後の博多部などが含まれる。『思い出のアルバム 博多、あの頃』(石橋源一郎・波多江五兵衛共編、葦書房、1981年)に掲載されている同様の写真も多く見られる。
 近代の福岡市に関する写真として展示活用が期待できる。
13 15
20 山本儀七郎資料(追加分)  昭和63年度、平成17年度寄贈資料の追加分。早良区西新の材木商であった山本家の資料。宝船、寿老人、蓬莱山からなる三幅の掛軸は冨田渓仙の作。聖福寺・幻住庵虚白院の再建(昭和4年完成)に際し、寄付者に再建の記念として贈られたもの。屏風は、糸島出身の日本画家・浦志武火子の作。その他、膳、硯箱、水盤など、生活の中で使用された資料からなる。 12 15
21 藤井靖司資料(追加分)  平成2~4、22、24年度寄贈資料の追加分。これまで、古文書、古地図、琵琶や亀鶴きもの、平成2~21年(1990~2009)の松囃子道順のパンフレットなどの寄贈を受けている。
 今回の寄贈は、太平洋戦争開戦の詔書2点、松囃子道順2点、地図1点、手拭6点である。このうち、太平洋戦争開戦の詔書は、御供所国民学校内の奉安殿に安置されていたもの。手書きの詔書写は、同校の教師が清書したものである。伝来の経緯は不詳であるが、寄贈者の父が表具店を営んでおり、表装のために持ち込まれたものと思われる。なお、詔書は全校生徒の前で校長が読み上げていたという。
11 11
22 都地國太郎資料(追加分)  平成25年度寄贈資料の追加分。本資料は、明治10~15年(1877~1882)に発行された寄贈者の父・都地伊六氏が所有した土地の地券。寄贈者は戦後、牧場経営のために今宿青木村より今宿上ノ原へ転居しており、資料は転居前のものである。祖父の伊三氏は三男であったが、長男・次男の早世により都地家を相続した。 10 10
23 岡田祇治資料  旧福岡藩士岡田(片岡・田村)家に伝来した近代資料。
 岡田信義資料(平成23年度寄贈、近世~近代書籍)の関連資料。
 内訳は陸軍士官学校の教員であった寄贈者祖父・三太郎に贈られた刀の鍔形の文鎮と書簡、寄贈者母が所持した玉屋百貨店の金属板などからなる。
 文鎮は昭和5年(1930)に京城で行われた遠足の記念品。同地の李王家を訪ねた際に下賜された菓子料を原資として制作され、関係者に配布されたことが付属の書簡からわかる。
 玉屋百貨店の文具部が販売促進用に調製したとみられる金属板は、表面に玉屋百貨店が浮き彫りにされている。
9 22
24 田隅タネ資料(追加分)  平成2、19、22年度寄贈資料の追加分。田隅家に伝来した明治期の錦絵で、女性と年中行事が描かれたもの。これまで寄贈の田隅家資料には、明治時代の文化や生活的な版本・書籍資料などもふくまれており、それらと関連するものといえる。旧福岡藩士の家の明治期における福岡での旧武家層の生活や文化、教育などを示すものである。 9 9
25 安松奈津子資料(追加分)  平成21年度寄贈資料の追加分。本資料群は、旧博多下土居町の博多織元・二代中西金次郎が特注したとされる有田焼の食器など。にわか面型角皿は、正月に黒豆や数の子を盛る皿として使用されたという。寄贈者は二代金次郎の四女。 8 37
26 廣川熊吉・太助資料  博多区千代で代々大工職を営んでいた廣川家の天井に打ち付けられていた棟上げ飾り。寄贈者の祖父・廣川熊吉が棟梁を務めた三隅神社(東区吉塚)の社殿の建て替えの際に用いられた。その他、父・太助氏らの使用した墨壺などがある。廣川家の家屋は、福岡直方線の道路拡張工事にともない解体された。 8 8
27 西村輝俊資料  寄贈者が知人の西洋骨董商を通して収集したアンティーク電気ランプ。いずれもアールヌーボー調のガラス製シェードをもつスタンドランプである。20世紀前半頃のフランスおよびイギリスで製作されたものとみられる。電気配線等は日本の仕様に変更されている。 7 8
28 池松直士郎資料  寄贈者宅に伝来した、幕末から明治初年に作成された、鳥居秀作(知足軒)の自作の漢詩集の稿本類、およびそのほかの写本類。鳥居は、久留米藩領の在野の儒学者の家に生まれ、筑前の亀井学派で学んだ日田の広瀬淡窓門下で漢詩を学び明治以降も作詩をおこない幾度か自選の漢詩集を計画し稿本にまとめており、しかも筑前出身の前田耕陽などの漢学者などに序文を乞うなどしている。
 漢詩集の内容は、青年期の北筑一帯の旅行中に作ったものや、西南戦争にかかわるもの、明治20年代には日清関係などを題材に作ったものなど、当時の政治、社会を反映した内容のものがみられる。
5 7
29 溝上理江子資料(追加分)  平成21年度寄贈資料の追加分。旧博多片土居町の博多織元であった中西金次郎の次女・キヌが使用した合羽、風呂敷等。キヌの嫁ぎ先である福岡の質店(帆足家)で保管されていた帯や袱紗などもある。寄贈者は帆足又一郎、キヌの長女。 5 5
30 山本俊子資料  福岡城下本町の弓師・山本家に伝来した由緒書と古文書。由緒書によれば山本家は、天明期頃より大坂や京都にやってくる福岡藩士に接近し、人のつてを頼って京都で細工の修行を始めた。天明5年(1785)には藩から道具代として銀1貫目を借用し、その資金を元に9代藩主・黒田斉隆(雅之助)へ弓を新製して送った。その弓が評判となり、寛政5年(1793)に福岡城下へやってきた。その後も寛政11年には新製の鯨半弓2張を10代藩主・黒田斉清に献上し、褒美として銀子2枚を受け取っている。
 資料は上記の由緒書の他、弓術書、武家評判記や軍学書の抜き書きなどからなる。
5 5
31 石村鸞子資料  平成21年度寄贈資料の追加分。寄贈者の生家である博多の菓子店・石村家で使用されていた箱枕および、博多織の端布からなる。寄贈者の母は、博多旧片土居町の博多織元であった中西金次郎の五女カメ。博多織の端布は、中西家から入手したものと考えられる。 4 4
32 酒匂勝秋資料  寄贈者の親族が収集した昭和戦中期の雑誌、戦後の写真などからなる資料群。このうち、雑誌は昭和19年(1944)と昭和20年(1945)発行の『主婦之友』である。『主婦之友』は大正6年(1917)に創刊された婦人向け雑誌。昭和戦中期には、空襲下での生活法など時局を反映した記事を多く掲載した。写真は兵士と少年が写ったもので、戦後に撮影されたものと思われる。
 戦中・戦後の生活を示す資料として展示活用が期待される。
4 4
33 井上清方資料(追加分)  平成25年度寄贈資料の追加分。博多人形の発展に尽くした井上清助(1867~1922)の長男、井上清方氏が所蔵していた人形。小島与一が制作した酒井田柿右衛門像や陶板の豊臣秀吉像、像底に「宗七」印をもつ黄色釉の魚籃観音像が含まれる。井上清助は明治から大正時代にかけて博多人形の近代化と販路拡大につとめ、小島与一ら名工を育てるとともに井上式地歴人形などの販売によって博多人形のブランド化に大きく貢献した。井上家は清助の没後も法要などを通じて博多人形師と交際があり、本資料もそうした中で贈られたとみられる。 3 3
34 木谷勝輔資料  旧福岡藩士木谷家に伝来した写真3点。同家は幕末、福岡藩主の書記をつとめたという。写真のうち1点は黒田長溥を写したものである。他2点は福岡藩士を撮影したものと思われるが詳細は不明である。黒田長溥(1811~1887)は江戸時代末期の福岡藩主。鹿児島藩主島津重豪の9男で、黒田斉清の養子となり、天保5年(1834)家督を相続した。洋学を好み、ペリー来航に際しては開港を説いた。
 幕末・明治の福岡に関する資料として活用が期待できる。
3 3
35 渋田寿子資料  渋田家で使用されたポッポ膳。ポッポ膳は、お食い初めや三歳のお膳座り(真菜の祝い)において使用される膳で、福岡地方の子どもの人生儀礼に欠かせない道具である。本資料は、昭和50年代に、寄贈者の子どもたちのお食い初めの際に使用されたもの。柴田徳商店で買い求めた。渋田家は福岡市の出身ではないが、市内在住の市職員であったことから、福岡の風習にならって使用したという。 3 3
36 井手道子資料(追加分)  平成16、18年度寄贈資料の追加分。福岡藩士井手家は、福岡藩の藩祖黒田孝高(如水)の父黒田職隆の弟・勘右衛門友氏を祖とする。なお、詳しい来歴については『平成16年度収集 収蔵品目録22』の解題部分を参照のこと。今回の寄贈資料は、井手友氏とその養父で播磨国高倉城主であった井手左近将監光昌の肖像画。いずれも江戸時代後期の制作と推測され、友氏像は博多の町絵師村田東圃が描いたもの。 2 2
37 大内士郎資料(追加分)  平成20、21年度寄贈資料の追加分。西区今宿で使用されていた箕は、福岡や筑後地方でみられる形状で、糸島地方一帯でも使用されていたと考えられる。同地方には、かつて八女から女性が箕を売りに来ていたといわれており、そこから購入した可能性がある。もう1点は、今宿谷で農家をしていた野坂家の倉庫にあった屋根葺き道具のコテ。屋根の葺き替えの際、茅などを叩いて整えるのに使用されたもので、打突には滑り止めとして溝がほられている。 2 2
38 警固神社資料  江戸時代、荒戸山(現 西公園)に鎮座した東照宮の御神体であった東照大権現(徳川家康)の坐像1躯および厨子。「黒田家譜」などの記述によれば、慶安3年(1650)に江戸・東叡山寛永寺において開眼、承応元年(1652)5月、新造船・三光丸に載せられて福岡に到着、同17日に遷宮が行われ神殿に納められたことがわかる。明治元年、東照宮が廃社となった際に、警固神社(現 福岡市中央区)に移された。
 なお、本像は平成18年度に「木造東照権現坐像(附厨子)」として福岡市指定文化財に指定されている。
2 2
39 髙山慶太郎資料(追加分)  平成23年度(石油ストーブ)および平成24年度(雑誌)寄贈資料の追加分。寄贈者が古書店で購入した雑誌2冊である。
 雑誌『暮しの手帖』は、石油ストーブに関する特集を掲載する。ここで、国産ストーブとアラジン社のストーブの性能比較を行い、アラジン社のストーブが最も優れるとの結論に至る。平成23年寄贈の石油ストーブの同時代的な評価を示す資料である。
 雑誌『茶わん』は、江戸時代から明治初期の福岡の須恵器の動向を追った許斐友次郎「筑前の須恵焼」を収録する。須恵器研究の歴史がうかがえる資料である。
2 2
40 中村勉資料  本資料は、寄贈者の祖父もしくは父の代に使用された棹秤と分銅。米を量る際に使用したといわれている。中村家は、大刀洗町甲条で油商を営んでいたが火事により廃業。祖父の代に早良区脇山に転居し(のち中央区地行に転居)、自転車商を営む中で米穀商をはじめた。戦後には中村米屋を開店。現在に至っている。 2 2
41 安武松恵資料  寄贈者の母・安武松恵氏(1916~2014)の初節供に母方から贈られた節供人形。京都の人形店から取り寄せたものといわれている。松恵氏が大切にしていたもの。松恵氏は、平成3年度の寄贈者である花田イト氏(花田イト資料)の妹。 2 2
42 大津山晴夫資料(追加分)  平成12年度寄贈資料(騎兵軍服、肖像写真)の追加分。寄贈者の父である故・大津山信蔵氏が着用していた外套1点。
 大津山信蔵氏は、明治11年(1878)生まれで、八女郡役所につとめた。日露戦争に出征したのち、同郡役所に復職、大正15年(1926)に郡役所が廃止された後は、福岡県庁に勤務した。
 本資料は同氏が福岡県庁に勤務した頃に使用されたものと考えられる。
1 1
43 大野左千夫資料  寄贈者宅に伝来した慰問箱。慰問箱とは、戦地の兵士に贈られる日用品などの慰問品を収納した箱を指す。
 類似の目的で製造されたものに慰問袋がある。慰問袋は、戦地の兵士を慰問するため、娯楽用品、雑誌、日用品、お守り、手紙などを送る袋であり、布製であるので持ち帰られることもあり残存率が高い。しかし、慰問箱については、ダンボール製のため戦地に送られると持ち帰られることがなく、残存は極めて少ないと思われる。
 本資料は福岡松屋百貨店製で、未使用品である。
1 1
44 加来恭治資料  寄贈者がのみの市で購入した蛇腹折のサイン帳。サイン帳には福岡を含む、日本各地の観光スタンプ61点が捺されている。捺した人物、時期については不明であるが、名島飛行場や爆弾三勇士など昭和戦前・戦中期に製造されたと考えられるスタンプもある。福岡市に関係するものでは、東公園、玉屋、箱崎、西公園などがあり、東公園のスタンプについては亀山上皇柄と日蓮上人柄がある。 1 1
45 隈本浩司資料  江戸時代後期から幕末に製作されたと推測される火縄銃改良型の管打銃。黒田家の藤巴紋、石餅紋が付けられた黒革の銃入袋が付属する。寄贈者の父親が、博多在住時に購入したもので、その際にはすでに袋が付属していたという。管打銃は、雷管を外火式発火装置として使用する銃。日本でもオランダ技術書などによって紹介されて研究が始まり、また独自の和式雷管も発明された。本資料は火縄型の管打ち銃の実例として貴重である。 1 1
46 小淵幸子資料  寄贈者の母が所持していた昭和7年(1932)の春吉尋常小学校の卒業アルバム。集合写真に「長谷川町子」と書き込みがなされている。
 「サザエさん」の作者として知られる漫画家長谷川町子(1920~1992)は佐賀県で生まれたが、父の転職にともない福岡市に移住した。市内春吉尋常小学校に入学し、卒業後は福岡高等女学校に進学した。父の死を機に上京して山脇学園に転校、漫画家田河水泡に師事した。
 本資料は長谷川町子の幼少期をうかがうことのできる貴重なものである。
1 1
47 寺澤晃藏資料(追加分)  平成22年に寄贈された寺澤晃藏資料の追加分。今回は前回寄贈の甲冑等の付属と推定される小旗で、茜地に白餅のもの。縦方向の一方に旗竿を納める袋状の縫い閉じと、上部に固定用の紐が付けられている。類似のデザインには福岡藩御船方の使用した茜地に白餅の船旗がある。村上家は無足組に所属し、荒戸近辺に屋敷があった。明治以降に上京し、二天一流を修めるなどしている。 1 1
48 前川修一資料  寄贈者が収集した近代の商家の見取り図。阿部柳吉という人物の求めに応じて博多蓮池町(現 博多区)にあった鈴木天祐堂が作成した。
 本資料は陰陽思想に基づき、方角によって屋敷の吉凶を占ったものである。屋敷は土間から座敷、炊事場、池、倉庫まで間取りが詳細に描かれており、近代博多の商家の様子をうかがうことができる。
1 1
49 松本和雄資料  能古島(現 福岡市西区)で庄屋をつとめたと伝えられる松本家に伝来した、福岡藩の賞美の沙汰書。内容は能古島で行われた藩主の御猟・宿割りその他の役目で、長年出精したとして、専三郎へ一代庄屋格を与える、というもの。江戸時代の能古島は福岡藩主の狩場である御留場があったとされ、この資料は、能古島の村役人層と藩主の鹿狩りとの関わりを示すものとして注目される。 1 1
50 三宅一德資料  福岡藩士三宅家は、黒田二十四騎の三宅若狭家義の弟・重行の家系で、3代目重勝から分家した。分家初代の元重は元禄元年(1688)に3代藩主黒田光之に召し出され無足組に属し、御畳奉行や薪奉行などをつとめた。以後の当主も藩政の実務を担う奉行職等を歴任して福岡藩政を支え、3代当主元範の事績をまとめた「三宅元範要用録」が『新修 福岡市史 資料編近世②』に翻刻掲載されている。なお、寄贈資料は福岡藩西学問所初代館長・亀井南冥の書。 1 2

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 柳田幸栄資料  南方録をはじめとする南方流および茶道関係の写本類および近代の刊本からなる資料群。幕末から明治期に南方流に関する記録類の収集につとめた福岡藩士立花有得(遊)に師事した聴風亭寒泉(浅島孫六郎則充)にかかる写本・蔵書本が11冊あり、資料群全体が彼の旧蔵であった可能性がある。
 注目すべき資料は「南方録 目 乾・坤」(資料番号10・11)で、題箋に立花実山の印章が捺されるなど、実山自筆と伝える円覚寺本と実山の弟寧拙書写と伝える立花家本(当館寄託)と共通する点が多く見受けられ、関連性をうかがわせる。
40 44
2 天満宮資料  福岡市東区箱崎の天満宮大師堂に伝来した仏像類。誕生仏立像は頭部が大きく、側面では腹を突き出したゆるいS字のカーブを描き、顔は口角を上げて微笑を浮かべるなどの特徴から奈良時代(8世紀)に制作されたとみられる。肉髻と地髪部の段差がほとんどなく、鏨で網目状の螺髪をあらわす点や、着衣が不明瞭となるなど、造形の簡略化や混乱も見られ、在地的な制作環境が想定される。福岡市指定有形文化財。 3 3
  • facebook
  • twitter
  • instagram
  • youtube

最新情報を配信中

pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

  • 福岡市博物館 市史編さん室
  • はかた伝統工芸館
  • ふくおか応援寄附
  • 福岡市の文化財

福岡市博物館

〒814-0001
福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011
FAX:092-845-5019