平成29(2017)年度収集 収蔵品目録 35
【寄贈】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 山本啓湖資料 | 昭和時代の駅弁の掛紙を中心とする資料群。寄贈者の父が、出張などの際に購入した駅弁の掛紙を収集・保存したもの。 駅弁の起源は明治10年代とされ、神戸駅(明治10(1877)年)、宇都宮駅(明治18(1885)年)などの発祥説がある。明治20年代後半には折箱に掛紙付きの駅弁が登場し、掛紙には木版や石版で印刷がなされるようになった。 本資料群の掛紙は、昭和10年代から50年代の長期にわたって収集された。特に、昭和10年代の掛紙は、食料や輸送に関する戦時標語が印刷されたものがあり、戦時期のくらしを示すものとして注目される。また、同じ駅で販売された複数の掛紙が含まれており、駅弁の値段や掛紙のデザインの変遷をうかがうことができる。 |
612 | 665 |
2 | 白水久米利資料(追加分) | 平成27年度寄贈の追加分で、白水家に伝来した古文書のほか、近世中期から明治時代にかけて収集された和漢の典籍類、近代文書、絵葉書類を中心とした資料である。白水家は元禄期より代々馬取役を勤めた。幕末の当主・興利は13石3人扶持を受け、櫓奉行と修復奉行を勤め、維新後は引き続き福岡県関係の業務につき、県知事として赴任した有栖川宮熾仁親王の巡検も案内した。明治時代中期には当主・璞は、永和女学校(現 福岡女学院)の英語教員を務めた。資料の中では幕末の当主が海外情報を収集をした写本類が中心を占め、明治時代初期の社会や世相がうかがえる記録類も含まれるなど、貴重である。 | 379 | 596 |
3 | 廣瀬正榮資料 | 西区内浜の故・廣瀬正榮氏(1926-2004)が収集した民間歌謡の録音。同氏は定年退職後に、自宅周辺地域に伝わる「郷土の古い唄」の採録を始め、福岡市西区、糸島市、佐賀県脊振山系地域の唄を記録した。「郷土の古い唄を蘇らせる会」を主催するとともに、録音した唄を採譜し「古老たちが唄われ 残し賜える 伝承の唄」「畦道を辿りたずね歩いた 伝承の唄」などにまとめている。 本資料は、そうした収集活動に伴う録音原本およびその複製、公開のための編集済みテープ等である。 |
280 | 280 |
4 | 髙取美智子資料 | 福岡藩東皿山窯・高取家に伝来した古文書類および陶器類。 寄贈者は筑前高取焼を始めた高取八蔵重貞の曾孫・高取藤八(八郎右衛門とも)英勝の家系にあたる。同家は、享保元(1716)年、早良郡麁原村に東皿山窯が開かれて以降、明治時代に至るまで同地で活動した。 古文書類には高取焼の由緒を記した「東山高取焼仕法記」や系譜類、藩や藩士からの注文に関わる書付、茶道具など焼物を描いた図などが含まれ、東皿山窯の活動が窺い知れる。陶器類では、明治維新後に衰退した高取焼の復興に努めた英一英澄の作品が数多く残されている。 |
254 | 260 |
5 | 中島栄二資料 | 明治時代から昭和時代戦後までの書簡を中心とする資料群。伝来経路は、寄贈者が収集した井手武右衛門関係書簡、寄贈者の父中島惣吉宛の書簡、寄贈者の妻の実家に伝来した書簡の三種に大別される。 井手武右衛門(1858-1925)は、筑紫郡筑紫村(現 筑紫野市)の名望家で、筑紫村助役や御笠銀行取締役をつとめ、明治37(1904)年の第9回衆議院議員総選挙に当選した。井手関係書簡の多くは明治30年代から40年代に作成されたもので、中央・地方の政治経済に関する内容である。 本資料群中の中島惣吉宛書簡は、玄洋社社員で運動家の末永節(1869-1960)からの年賀状。また、寄贈者の妻は旧福岡藩士の河村家出身であり、玄洋社社員河村武道(1876-1907)に宛てた画家和田三造(1883-1967)の書簡も含まれる。 |
208 | 234 |
6 | 塚本家資料(追加分) | 昭和58、62年度、平成18、19、20年度と5度にわたり寄贈を受けている、福岡藩医の塚本家資料の追加分で、寄贈となった資料群は東京在住の塚本哲也氏(故人)に伝わっていた近現代資料。おもに塚本道遠(農学者)と、その息子・憲甫(国立がんセンター所長、故人)にかかわる辞令、証書、写真など、明治・大正時代の当主や家族、親類が残したものである。塚本家は代々福岡藩医(外科)として仕え、近世後期にはオランダ医学も学び、幕末から明治初年には、福岡藩の西洋近代医学の吸収に寄与しており、今回は近代以降の同家の活動の内容がうかがえる。 | 51 | 54 |
7 | 太田隆二資料 | 博多旧蔵本町にあった太田家は、明治元(1868)年から醤油製造業を営み、戦後も、明治町を経て美野島で営業を続けている。家印は 。本資料群は、主に3代・太田六郎氏(明治27年生)の時代のもので、明治時代から戦前期にかけての博多祇園山笠西流蔵本町の法被や放生会の幕出し道具など、戦災を逃れた博多の年中行事の用具が含まれる。 | 46 | 46 |
8 | 荒巻信子資料(追加分) | 平成17年度に寄贈された福岡藩家臣荒巻家の近世文書類の追加分で、今回は江戸時代後期の当主・行厚と交流のあった、博多聖福寺住職で文化人であった仙厓の書跡や和歌類が中心である。ほかに近代の当主が台湾製糖に勤務した時期の写真類など。このうち仙厓関係の資料は、後世まで伝えるようにとの行厚の遺書も残るなど、仙厓と福岡藩士の交流がうかがえる貴重な資料である。 | 36 | 36 |
9 | 浅浦達惠資料 | 昭和時代の教育関係資料と写真からなる資料群。寄贈者の父である安武良雄氏に関係するもの。 安武氏は大正8(1919)年生まれで、皮革工場に勤務していたが、昭和戦中期に召集された。戦後は福岡市内に居住し、給油車両の運転手として板付基地に出入りしたという。 本資料群中の教育関係資料は、大正15年から昭和8(1933)年までの尋常小学校・高等小学校の修業証書および成績表などである。写真は、昭和10年代から20年代に撮影されたもので、板付基地内での記念写真や、昭和24年に 田神社で撮影された法被姿の親子写真などが含まれる。 寄贈者の家に伝来した大正時代から昭和戦中戦後期の軍隊関係資料。寄贈者の家は屋号を八百善と称し、料亭向けの八百屋を営んでいた。当初は馬出(現 東区)にあったが、昭和初期に箱崎町(同)に移った。 |
32 | 36 |
10 | 印正俊資料 | 寄贈者の曽祖父である印芳右衛門は、大正5(1916)年に対馬要塞重砲兵として入営し、同7年に満期除隊となった。その子正司は大正10年に生まれ、馬出尋常高等小学校、福岡商業学校(現 福岡市立福翔高等学校)を卒業後、昭和17(1942)年に西部第66部隊(小倉)に入営した。その後は士官候補生となり、昭和18年に少尉、同20年に中尉に昇進した。 本資料群中には、印芳右衛門が所持した軍隊手牒、徽章類の他、印正司が使用した陸軍の軍服、水筒、飯盒や、入営記念の幟旗が含まれる。 |
28 | 28 |
11 | 池田陽一資料 | 昭和6(1931)年から昭和12年にかけての通信日付印。通信日付印とは、郵便物に捺される日付入りの印を指す。寄贈者の父が収集したもの。 通信日付印には、通常使用のものと国家的行事の記念に取扱局と期間を定めて使用する特殊通信日付印がある。本資料群中には、日満航空郵便や防空演習を記念する特殊通信日付印が含まれる。 昭和時代に入ると、通常の通信日付印に風景等の図様が使用されるようになった。各地の郵便局で名勝史跡等の図案・文字を挿入した通信日付印が採用され、次いで各地における公的行事・催事も図様として使用可能となった。これらは風景入通信日付印と呼ばれる。本資料群は、筥崎宮や昭和11年に開催された博多築港記念大博覧会を図柄とした風景入通信日付印を含む。 |
19 | 19 |
12 | 山本俊子資料(追加分) | 平成26年度に寄贈された、城下町福岡居住の弓師・山本家資料の追加分。今回は弓師に関する免許や製法秘伝書で、ほかに刀装具や金具類、印章類がある。山本家は、天明期ごろから上方で福岡藩と関わりを持ちはじめ、京都で弓師の修業したのち、天明5(1785)年には9代福岡藩主黒田斉隆に弓を献上し評判となった。それが縁で寛政5(1793)年に福岡に移り、10代藩主黒田斉清にも同11年に弓を献上して褒美を受けている。残存の少ない江戸時代後期の福岡の武器職人の資料として貴重である。 | 18 | 18 |
13 | 具足師田中家資料(追加分) | 昭和61年度に寄贈を受けた具足師田中家資料の追加分。田中家は大和国の甲冑師・岩井氏の一族。岩井氏は、慶長9(1604)年に福岡藩主黒田家に招かれ福岡に移って以来、具足師として活動した。江戸時代中期に岩井氏の中から特に田中源工が8石4人扶持で士籍に入れられ、以後、藩祖黒田如水や初代長政の甲冑をはじめとする、歴代黒田家の甲冑修復や新製にかかわった。今回の寄贈は、大和在国時より伝わる古脇差など刀剣、刀装具が中心で、長政の大水牛脇立兜の修理に使った茶漆の余りを塗った鞘もある。このほか甲冑修理の際の絵図も含まれるなど、福岡藩の甲冑師の残した資料として貴重なもの。 | 12 | 15 |
14 | 中原直八郎資料 | 博多祇園山笠では7月13日に行われる「集団山見せ」の際には、各流の山笠に地元の名士が台上がりをすることになっている。本資料群は、寄贈者の夫・中原直八郎氏(1935-2006)が、平成6(1994)年の集団山見せで、博多警察署長として台上がり(中洲流)した際に使用したもの。水法被や手拭いのほか、たすきや鉄砲などの用具からなる。 | 11 | 11 |
15 | 永井彰子資料 | 筑前盲僧琵琶の研究家である寄贈者が収集した古文書と琵琶、盲僧琵琶の調査写真・映像。このうち平野國臣書状と四弦琵琶は近世の筑前国の盲僧頭であった一丸家に伝来していた品で、寄贈者が譲り受けた品。また寄贈者が『福岡県史 文化史料編 盲僧・座頭』関係の調査の際に、県内外で撮影した写真をまとめた写真帳やそのネガフイルム、おなじく撮影したビデオなどが含まれ、現存していた盲僧琵琶の状況を伝えるものとして貴重である。 | 7 | 7 |
16 | 中村利幸資料 | 寄贈者が購入した昭和39(1964)年の東京オリンピック関連の絵はがき。 東京オリンピックは、第18回の夏季オリンピックで、アジア地域で初めて開催された。昭和34年に開催が決定され、昭和39年10月10日から24日までの会期で各競技が行われた。 本資料群中の絵はがきは、東京オリンピック資金財団が発行したオリンピック東京大会記念絵葉書と、毎日新聞社が発行した大会速報絵葉書である。記念絵葉書は、亀倉雄策(1915-1997)がデザインした東京オリンピックのロゴマークとポスターを絵葉書にしたもの。大会速報絵葉書は、開会式と水泳、陸上、バレーボール、体操、マラソンなどの種目での日本人選手の活躍を報じる。これらの絵はがきは、小学校などで購入者の募集が行われた。 |
6 | 29 |
17 | 清水昭男資料(追加分) | 平成27年度寄贈資料(明治時代~昭和時代の記念章・記念品類)の追加分。今年度寄贈分は、寄贈者の父清水健男に関する書類。清水健男は奈良県に生まれ、早稲田大学を卒業後召集され日中戦争に従軍、戦後は福岡銀行に勤務した。本資料群には、昭和7(1932)年3月3日付けの奈良県立奈良中学校(旧制、現 奈良県立奈良高等学校)の卒業証書、昭和15年の支那事変従軍記章の授与証と辞令、昭和18年の勲記が含まれる。 昭和戦前・戦中期の教育・軍隊関係の資料として展示活用が期待できる。 |
6 | 6 |
18 | 安松奈津子資料(追加分) | 平成21、26年度寄贈資料の追加分。本資料群は、博多織元であった中西家に関連する資料。 中西家は中西久吉が天保11(1840)年に博多織元富屋の徒弟となって博多織業に関わり始めたとされる。久吉の三男金三郎(初代)は明治24(1891)年に中西博多織工場の跡を継ぎ、各地の織物技術を取り入れながら多くの技術開発を行った。 当資料群は初代金次郎の次女で帆足家に嫁いだフサが使用した鏡台と、寄贈者が保管していた和装用コートなどの衣類である。 |
5 | 5 |
19 | 八尋シノブ資料(追加分) | 平成27年度寄贈資料の追加分。寄贈者の生家(城南区片江)に保管されていた掛軸。伊勢神宮、竃門神社、庚申(猿田彦)に関係するもの。片江地区における伊勢講や庚申講などの行事については詳らかでないが、地域もしくは家庭の信仰にかかわる資料とみられる。 | 5 | 5 |
20 | 二宮健資料(追加分) | 平成25年寄贈資料の追加分。今回の寄贈は幕末期の福岡藩御用絵師尾形洞霄の「楠木正成像」や、「遠賀郡木守村百姓藤作」を顕彰した肖像画など、いずれも福岡藩に関係する絵画資料が中心である。このほか伝黒田長寛(後の福岡藩主4代綱政)の和歌も含まれる。いずれも寄贈者が古美術資料や古文書資料の収集の過程で入手したもの。 | 4 | 14 |
21 | 福岡印刷株式会社資料 | 自動活字鋳造機と活字の字面をつくる母型からなる資料群。 寄贈者は明治時代から現在(令和2年3月)に至るまで福岡市に本社を置く印刷会社である。明治16(1883)年に大隈活版所として開業し、大正8(1919)年に福岡印刷株式会社に改組、昭和20(1945)年に西日本印刷株式会社と改称し、昭和25年に現在の社名に変更した。 自動活字鋳造機は、林栄社が昭和25年に製造したもの。林栄社は、大正13年に創業した国産活字鋳造機の製造メーカである。本機はモノタイプと呼ばれる1文字ずつ鋳造する形式で、福岡印刷株式会社で実際に使用された。母型は、金属を流し込み活字を製造する際に用いる道具。昭和時代戦後の福岡の出版文化を示す資料として貴重である。 |
3 | 26 |
22 | 楢﨑さか枝資料 | 旧博多上洲崎町の楢﨑博多絞り店で作られた絞り染め地の着物および商品包紙断片。同店は昭和20(1945)年の福岡大空襲により店舗が焼失、廃業しており、その前年に楢﨑家に嫁いだ寄贈者がこれまで保管していたもの。筑前絞りとして一括される甘木絞りに比べ、絞り文様の細かさが特徴である。また、包紙にある楢﨑善平は楢﨑家7代目当主で、昭和12(1937)年に没している。 | 3 | 3 |
23 | 林信博資料(追加分) | 平成28年度寄贈資料の追加分。昭和初期に発行された釣具値段表(通信販売用カタログ)、釣りの様子を表した絵葉書および切手。 寄贈者は現在、北九州市八幡西区の黒崎駅前で時計店を営む。同地で創業した先々代は、後に先代に店を譲ると、新たに同区筒井町に釣具店を開いた。本資料群は、釣具店を開いた先々代が収集し、手元においていたものとみられる。 |
3 | 3 |
24 | 浅井孝資料 | 日本助産医学会が出版した『助産医学講義』第1~12号(4・11号欠)および陳情書からなる。糟屋郡宇美町炭焼で廃棄されていたものを寄贈者が回収、保存していた。『助産医学講義』2号中には、領収書が挟まれており、昭和10(1935)年12月10日に野田タネコという人物が助産の学習用に本書を購入したことが推測される。陳情書は、「産婆」を「助産」と改称するよう求めるもので、貴族院・衆議院や各官省へ郵送した旨が記されている。 | 2 | 11 |
25 | 石橋善弘資料(追加分) | 平成9、17、28年度寄贈資料の追加分。姪浜で商家を営んでいた石橋家の庭石として用いられていた碇石で、元は福岡市南湊町(現在の中央区港周辺)の商家にあったものと伝わる。碇石の研究では古くから知られた資料で「姪浜碇石」(通称「玄武号」)として認知されてきた。玄武岩の碇石は希少であり、済州島や壱岐産出の可能性が指摘されている。玄界灘の海上交通の歴史を今に伝える貴重な資料である。 | 2 | 2 |
26 | 不破保資料 | 福岡藩士喜多村家(不破家)に伝来した刀と脇差。 喜多村家は元来不破姓を名乗り、美濃国不破郡岩手村(岐阜県不破郡垂井町)に住んで土岐氏や斎藤氏などに仕えていた。喜多村家の祖・不破矢足は竹中半兵衛重治に仕え、天正6(1578)年、有岡城(兵庫県伊丹市)に黒田孝高が幽閉された際、織田家の人質となり羽柴秀吉に預けられていた松寿丸(後の長政)を匿って助けたことで知られる。この由縁により慶長17(1612)年11月、矢足の長男正重が黒田家に召し抱えられ、以降、喜多村姓を名乗った(廃藩後に不破姓に復した)。 |
2 | 2 |
27 | 山崎暢子資料(追加分) | 平成5年度寄贈資料(大正時代~昭和時代の酒販売方法と贈答慣習に関する資料)の追加分。寄贈者宅に伝来した汽車土瓶と福岡市立千代小学校の120周年記念誌。 汽車土瓶とは、駅で販売された茶を入れる容器のことで、茶瓶とも呼ばれる。明治22(1889)年に静岡駅で信楽焼の土瓶に静岡茶を入れ、駅弁とともに売り出されたのが始まりとされる。陶製の汽車土瓶は、昭和30年代頃からポリ茶瓶に置き換えられて姿を消した。本資料群の汽車土瓶は陶製で、急須形のものである。 福岡市立千代小学校は、明治20年に開校し、平成19(2007)年に創立120年を迎えた。これを記念して、同年に沿革や歴代職員名を収載した記念誌を発行した。 |
2 | 2 |
28 | 丸岡千草資料 | 本資料群は、寄贈者の祖父・許斐友次郎氏および義理の祖父・丸岡鑒一氏が収集した美術資料2点からなる。許斐友次郎氏は、花岡酒造の経営や不二家デパートの創業などで知られる実業家で、丸岡鑒一氏は医師である。 寄贈資料のうち「双鳩図」は、許斐友次郎氏が収集したもので、箱には筑前四大画家・斎藤秋圃(1769-1859)の名が記され、本紙にも秋圃が初期に用いた雅号が署名されている。また「蓮に蟹図」は、丸岡鑒一氏が収集したもので、同じく筑前四大画家と謳われる村田東圃の子・村田香谷(1831-1912)の作である。いずれも寝室に掛けて愛好されたり、季節に合わせて掛け替えられたりしてきたもので、幕末明治の福岡画壇がその後いかに受容されたかを窺わせる資料であるとともに、近現代の福岡のくらしを物語る資料でもある。 |
2 | 2 |
29 | 博多人形商工業協同組合資料 | 博多区の祥勝院で毎年12月におこなわれる「人形供養」に持ち込まれた夫婦の肖像彫刻。像主は不明ながら裕福な商家の夫婦と見られ、男性像は帯刀して羽織袴の正装で端座する。小像ながら量感があり、個性的な像主の顔立ちが写実的に表現されることから幕末期の制作と考えられる。構造はヒノキ材による寄木造りで挿首。台座と引き出し付きの厨子が付属する。 | 1 | 2 |
30 | 蛯子正子資料 | 薩摩藩士和田家伝来の刀。寄贈者の祖母は、鹿児島県士族・和田矢吉の娘で、長崎県の久松家に嫁ぐ際に守り刀として持参したもの。 本刀の作者、宮原主水正正清(1670-1730)は、江戸時代中期の薩摩藩のお抱え刀工。享保6(1721)年正月、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の命により、浜御殿で鍛刀し、一葉葵紋を許され、同年7月13日、主水正に任じられた。 |
1 | 1 |
31 | 深川修資料 | 寄贈者が父親から譲り受けた、福岡藩の儒学者・亀井昭陽が書いた二行書。 亀井昭陽は、福岡藩西学問所(甘棠館)の祭酒・亀井南冥の長男。寛政4(1792)年に家督を継いで祭酒となったが、同11年に西学問所が火災に遭って廃止された後は、城代組として勤仕しながら私塾を開き、日田の私塾・咸宜園の広瀬淡窓・広瀬旭荘などを育てた。 本資料に昭陽の落款は無いが、「亀井昱印」(昱は昭陽の諱)と「元鳳」印(元鳳は昭陽の字)が捺されており、昭陽の揮毫と考えられる。 |
1 | 1 |
32 | 波田洋一資料 | 寄贈者宅に伝来した黒漆塗桃形兜・白糸威二枚胴具足1領。 桃形兜は鉢の正面と両脇に角元が立てられるが、前立や脇立は付属していない。胴は切付伊予札を菱綴にした二枚胴で、前胴の左側面に鼻紙入れが付いている。草摺は7間5段下がりとし、5段目に熊毛が施されている。籠手や佩楯といった小具足は残されていないが、戦国時代末期から江戸時代にかけて数多く製作された当世具足の典型例のひとつと言える。 |
1 | 1 |
33 | 木村和男資料(追加分) | 平成21年度に寄贈を受けた、福岡藩政に関わる古文書や絵画資料の追加分。今回は3代藩主黒田光之の時代に、儒学はもとより『黒田家譜』や『筑前国続風土記』などの編纂で藩に仕えた、学者貝原益軒(1630-1714)の書跡として伝わった唐古詩1幅。 | 1 | 1 |
34 | 松村直寿資料(追加分) | 平成28年度寄贈資料(商家の近代文書・道具・写真)の追加分。松村久寿資料(平成23年寄贈資料、広田弘毅一行書)とも関連する資料である。松村家は江戸時代から福岡部で蝋燭を取り扱った商家で、明治時代以降陶器商や洋品店に転じた。今年度寄贈分は、大正~昭和時代に使用された算盤である。裏面に「呈 福岡貯蓄銀行」と刻まれる。 福岡貯蓄銀行という名称の銀行は、大正時代と昭和戦中期に存在した。前者は大正10(1921)年新設で、大正13年に安田貯蓄銀行に合併された。後者は昭和16(1941)年に嘉穂貯蓄銀行、筑豊貯蓄銀行、三池貯蓄銀行が合併して成立したもので、昭和20年に嘉穂銀行、十七銀行、筑邦銀行と合併して福岡銀行となった。 |
1 | 1 |
35 | 堺光憲資料 | 寄贈者宅に伝来した福岡地方の立体地図。福岡在住の寄贈者の叔父から土産として贈られたもの。 立体地図は石膏製。福岡市の市街地を中心に円形に地図を切り出し、縁は古鏡のような装飾を施す。海と陸地の間、陸地内の山間部が立体的に表現される。河川・海洋部、山間部、市街地がそれぞれ水色、緑色、赤色に彩色され、地名と鉄道・航路が描かれた。裏面には福岡市の概要や観光名所が印刷された貼紙がある。 製作者・製作年代は不明である。裏面の紹介文は、福岡市の東端を昭和15(1940)年に合併された箱崎(現東区)とし、鉄道交通網に昭和17年に西日本鉄道に統合された福博電車の記載がある。ここから、昭和15年から昭和17年の間に製作されたと考えられる。 |
1 | 1 |
36 | 山本寅雄資料 | 寄贈者宅に伝来した昭和21(1946)年発行の福岡市の地図。 発行者は地元出版社の同潤社。多色刷りで、戦災地域を赤色であらわす。鉄道、路面電車、学校、寺院に加え、占領軍事務所やダンスホールが地図記号で表示される。凡例と主要な地名にはローマ字が付けられた。地図の裏面には、道案内に使用する簡単な英会話が印刷されており、日本人だけでなく、占領軍関係者の購入も想定した地図となっている。 終戦直後の福岡市の地図として、展示等での活用が期待される。 |
1 | 1 |
37 | 今坂幸子資料 | 寄贈者の父が使用した足踏み式ミシン。シンガー社が大正2(1913)年にアメリカ合衆国ニュージャージー州のエリザベス工場で製造したもの。 シンガー社は1851年に創立された縫製機械会社である。同社のミシンは高品質で知られ、世界各地で使用された。日本では明治時代中頃に販売店が開設され、国内で購入が可能になった。 寄贈者の父は昭和時代に西戸崎(現 東区)で洋裁店を営んでおり、第2次世界大戦後は縫製したシャツを近隣の米軍基地(キャンプハカタ)に納入したという。 昭和時代の福岡の人の営みを示す資料として活用が期待できる。 |
1 | 1 |
38 | 池田善朗資料(追加分) | 平成21年度(SPレコード、8ミリフィルム)、25年度(鉄道関係資料)、26年度(写真アルバム、鉄道乗車券)寄贈資料の追加分。 今年度分は、日本ビクター(現 JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社)が製造したレコード「日本の鉄道」である。鉄道研究家の鷹司平通(1923-1966)が監修した鉄道に関する音源集で、昭和34(1959)年1月30日から8月26日にかけて録音されたもの。A面には、駅の立ち売りの声、明治時代の列車の走行音、大正時代から昭和時代初期にかけて製造された8620型蒸気機関車の走行音などが収録される。B面には、東京の地下鉄の停車音、ディーゼル車の車内音、新幹線こだまの車内音・すれ違い音などが収録された。 |
1 | 1 |
39 | 青木綜一資料 | 博多祇園山笠の飾り山の写真。標題「天慶治国光」(表)、「猛威麾瓢風」(見送り)から、大正15(1926)年の6番山笠土居流のものと分かる。同年の当番町は西方寺前町。寄贈者が博多に移り住み、大黒流古門戸町から山笠に出るようになった頃、西方寺前町在住の親類から譲られたもの。 | 1 | 1 |
40 | 岩片ハル資料 | アメリカのシンガー社製のミシン15K71型。大正4(1915)年にスコットランドのクライドバンク工場で生産された電動ミシンで、本体にスフィンクスの図柄があしらわれているのが特徴。昭和6(1931)年、寄贈者の祖父・鈴木義隆氏が、娘(寄贈者の母)・ハル氏(1914-2017、早良区百道出身)のために東京銀座にあったシンガーミシンの代理店で購入したもの。平成27(2015)年頃までハル氏が使用し、家族の洋服などをつくっていたという。 | 1 | 1 |
41 | 石井里子資料 | 寄贈者が平成元年頃に百貨店の外商から購入した博多人形師白水八郎(1908-1972)の作品「熊野」。白水は明治41(1908)年に博多下小山町(現 博多区上呉服町)の博多人形師の白水家に生まれ、昭和41(1966)年に小島與一や原田嘉平らとともに博多人形師として初めて福岡県無形文化財技術保持者に認定された。住吉神社の能楽殿に通うなど能楽好きで知られ、能人形を得意とした。淡彩を施す上品な作風に定評があり、本作品にもそうした特徴がよく表れている。 | 1 | 1 |
【寄託】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 眞武綾子資料(追加分) | 宗像郡曲村(現 宗像市曲・自由ヶ丘)に居住した医家・眞武家に伝来した古文書および書画類。平成23年度寄託資料の追加分。 資料は、①江戸時代後期から昭和戦前期にかけての文書資料、②江戸時代後期から昭和時代にかけての書画類、③刀剣類、④重箱などの什器類からなる。①の文書資料は、薬の調合法を記した「玄洋方 全」や、明治20~30年代の大福万覚帳など地域医療を担った医師としての活動が窺える資料の他、明治10~17年の地券、昭和時代戦前期に献金等により贈られた感謝状などが数多く残されている。 |
148 | 194 |
2 | 眞武淳一資料 | 宗像郡曲村(現 宗像市曲・自由ヶ丘)の在村医・眞武家に伝来した薬箱および書籍・絵画類。 資料は、①薬箱、②吉益東洞撰「類聚方」、③花鳥図屏風(六曲一双)、④達磨図からなる。①薬箱は、眞武家で実際に使用されていたもので、101種類の生薬を入れる紙袋が五段に分けて収められているもので、宗像郡の地域医療を担った眞武家の活動の一端を知り得る資料である。 |
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3 | 清岩寺資料 | 福岡藩家老の三奈木黒田家の初代当主黒田一成と、2代一任の肖像画。黒田一成は、黒田官兵衛孝高(如水)を助けた加藤氏の出身で、如水の子・黒田長政のもと関ヶ原合戦で戦功をあげた後、初代福岡藩主となった長政と2代忠之のもとで藩政の重きをなした。2代一任は一成の外孫で養子となり島原の陣に参加した後、家老として忠之と3代光之に仕えた。同家は長政より下座郡三奈木(現 朝倉市)を中心に知行地を与えられ、三奈木には別邸もあり家臣団も居住した(最終的には1万6千石余)。清岩寺は三奈木にある同家菩提寺で、長く両者の肖像が保存されていた。資料中の一成像は福岡市博物館の昭和58年度寄贈・三奈木黒田家資料の中の「睡鴎斎休江宗印居士像」の原本であり重要な資料である。 | 2 | 2 |
【平成28年度収集資料】
目録 | 資料群名 | 解題 | 件数 | 点数 |
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1 | 多田洋子資料 | 平成28年度に寄贈された、明治時代から昭和時代の新聞を中心とする資料群。新聞は、多田勇(1857-1910)とその子勇雄(1882-1966)が購読・収集したもの。資料群のうち、新聞については『平成28(2016)年度収集収蔵品目録34』(福岡市博物館、2019年)に掲載した。今回は、新聞以外の資料に関する目録を掲載する。内訳は新聞附録と広告類、その他である。 新聞附録は、通常の日刊新聞に加えて発行されるもので、ニュースの他、新年の特集や地図などがある。本資料群中には、明治30(1897)年発行された福岡日日新聞の号外が含まれる。広告は、昭和30年代後半の新聞に折り込まれたチラシが多い。内容は、商店の特売、映画館の公開スケジュールなどである。 |
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2 | 金森直治資料 | 名古屋市在住の釣り史研究家・金森直治氏が30年以上にわたり収集した釣り・魚に関するコレクション。これらは特別展「釣道楽の世界」への出品を機に寄贈に到ったもの。前号に掲載した絵葉書等の印刷物、箸置き、布もの以外に、魚をモチーフとする日用品類及び計量関係資料がある。 中でも、魚をモチーフとする日用品類は、国内各地に限らず世界中で製作されたもので、その造形は多岐にわたる。 本目録においては前号で未掲載であった食器類やインテリア、日用雑貨、玩具等を含む日用品と計量関係の資料を掲載した。 |
1982 | 2246 |