平成14年11月3日(祝・日)~12月15日(日)
開催にあたって
福岡市博物館は、昭和58年に建設準備室を発足して以来、多くの方のご協力をいただき、考古・歴史・民俗・美術の各分野にわたって博物館資料の収集を続けて参りました。年度ごとに収集された資料は、整理作業を経て収蔵品として登録され、また目録に記載されます。新収蔵品展は、こうした収集活動の成果をご覧頂くもので、今回で15回目を迎えます。また現在までに収集した資料は、すでに12万件を超えております。
今回の新収蔵品展は、当館が平成11年度に収集した4712件の資料の中から、郷土福岡の歴史とくらしに関係の深いものを中心に、約百件を展示いたします。古代から現代までの歴史・民俗資料、考古遺物、美術工芸品を通じて、郷土福岡についてのご理解をさらに一層深めていただければ幸いです。
最後になりましたが、本展覧会の開催にご協力いただいた関係各位、また貴重な資料をご寄贈、ご寄託いただいた皆さまに厚く御礼申し上げます。
展示内容
●考古
開運橋出土弥生土器 |
今から約40年前、新潟県柏崎市で、開運橋の付け替え工事が行われた際、1個の見慣れない土器が出土しました。いろいろ調査の結果、この土器は福岡地方で作られた弥生時代の土器ということがわかりました。約2000年前に福岡から新潟まではるばる旅をした土器というわけです。 福岡市博物館ではこの土器の意義を重視し、レプリカを作成することにしました。この弥生土器レプリカを今回展示します。このほかには、博物館近くの祖原山に江戸時代に開かれた福岡藩の御用窯、東皿山窯跡推定地で採集された窯道具や、戦国時代の山城である早良区の荒平城(あらひらじょう)で採集された瓦などを展示します。
●歴史━中世・近世━
宮野教心着到状 六十二間阿古陀形兜 |
中世の展示には貴重な文書類が挙げられます。鎌倉幕府が出した当時の公文書である関東御教書(かんとうみぎょうしょ)は、筑前守護の大友能直(おおどもよしなお)宛で、これに続く筑後守護所下文(くだしぶみ)と併せて、守護の職務の流れがよくわかります。また、宮野教心着到状(みやのきょうしんちゃくとうじょう)、斑島渟(まだじまとどむ)着到状、佐志披軍忠状案(さしひらくぐんちゅうじょうあん)は、鎌倉幕府滅亡や、その後の南北朝の動乱に関する文書で、当時の武士たちの息吹が感じられる資料といえるでしょう。
近世資料は、黒田藩関係を中心に展示します。福岡藩祖の黒田如水や、初代藩主長政の書状、3代藩主黒田光之の嫡子綱之がまだ万千代(まんちよ)と称していた幼いころ、守(も)り役に当てて書いた手紙、黒田家に右筆(ゆうひつ)として仕えた小川家に伝わる記録類や写本、手習いの手本などがあります。中でも六十二間阿古陀形兜(あこだなりかぶと)と、茶糸威胴丸具足(ちゃいとおどしどうまるぐそく)は、福岡藩重臣久野(ひさの)氏に仕え、大隈(現嘉穂町)にすんだ光冨(みつどめ)氏に伝来したものです。兜は牛角の脇立に黒田氏の兜に特に見られる異制吹き返しをつけた豪華なものです。このほか、東山流花器之伝(ひがしやまりゅうかきのでん)は筑前秋月生まれで、京都で華道の東山流を学んだ千葉一流(ちばいちりゅう)の華道書で、一流に始まる筑前東山流の系図である東山流系図之巻と併せて展示します。
●歴史━近代━
番付「正劇川上一派」 |
近代のコーナーは、戦時資料をはじめ、当時のくらしを知る様々な資料を展示します。
戦時資料としては、伝単、ロケット燃料容器、灯火管制カバーポスターなど、当時の世情がわかるものを展示しています。今回展示した伝単は太平洋戦争中、連合国軍が日本兵に対して散布した宣伝ビラです。ロケット燃料容器はロケット弾用で、陸軍で使われたものです。また戦時中は夜間に部屋の明かりが漏れないよう、照明器具にはカバーがつけられました。展示したものは当時市販されていたものです。選挙公報は昭和12(1937)年の衆議院議員総選挙、東京5区のもので、4月に行われたこの選挙の2ヶ月後に、日本は中国との全面戦争に入りました。そうした世相を反映して、どの候補者も「非常時」をどう切り抜けるかを説いています。
博多を代表する役者、川上音二郎関係の資料も展示されています。錦絵、番付、回想録などで、音二郎の活躍を偲ぶことができるでしょう。
福岡に関する資料として、福岡市鳥瞰図(ちょうかんず)は昭和の初め、観光事業の一環として制作されたものです。鉄道網の整備がすすむにつれ、旅行ブームが起こり、全国で観光事業が展開されました。また博多の有名農機具メーカー磯野鋳造所の引き札、福博電気軌道のポスター、筑紫新聞なども展示します。
このほかにも、絵はがきや、地図、文書などがあります。日本で絵はがきの発行と使用が認められたのは明治33(1900)年です。日露戦争の絵はがき発行などが契機となり、収集が流行するようになります。展示では大正時代から昭和初期の様々な絵柄の絵はがきを紹介しています。
『日本選景』は国内と海外の支配地の景勝地や風俗を、海外に紹介する写真集です。風景の他相撲や柔道なども紹介されています。官許違式かい違条例百七ヶ条図解(かんきょいしきかいいじょうれいひゃくななかじょうずかい)は明治時代の軽犯罪に関わる注意書きが、挿絵入りで描かれたものです。
文書類以外にも戦前の陸軍軍人が着用した大礼服、もんぺの型紙なども展示しています。
●美術
黒田長政黒印状 如来像残欠 能面「釣目」 |
美術工芸コーナーにも、 郷土福岡に関わる資料を多く含んでいます。能面は主に江戸時代のものですが、この時代、能は大名家がたしなむべき必須の芸能でした。特に公式の饗応(きょうおう)の場では、必ず能が披露されていました。展示した能面のうち「三光尉(さんこうじょう)」「釣眼(つりまなこ)は、福岡藩主黒田家に伝来したものです。
如来像残欠(にょらいぞうざんけつ)は、平安時代のものとみられ、福岡県指定文化財です。また博多人形師原田嘉平(はらだかへい)作の博多人形や、明治、大正期に活躍した福岡仏師高田又四郎(たかだまたしろう)が、最晩年に制作した弘法大師(こうぼうだいし)像などがあります。
このほかにも、韓国の朝鮮王朝時代に描かれた屏風、奈良時代に法隆寺で作られた百万塔を、法隆寺自身が明治時代に複製したものなどを展示しています。百万塔とは国家鎮護のために作られた木製の小さな塔で、中に陀羅尼経(だらにきょう)というお経が収められていました。
また、戦国時代から江戸時代にかけての刀剣を展示していますが、これらの刀剣は「赤羽刀(あかばねとう)」と総称されているものです。第2次世界大戦敗戦後、連合国による刀剣類の接収が行われました。このうち廃棄を免(まぬが)れたものは、東京都赤羽にあったアメリカ第八軍兵器補給廠に保管されていました。、赤羽刀の名の由来です。昭和22年に美術的価値のある約5500口が返還され、東京国立博物館に保管されました。戦後50年にあたる平成7年「接収刀剣類の処理に関わる法律」が成立しました。これに基づき、文化庁で厳正な鑑定を行ったのち、所有者が判明した刀剣については返還し、残りの刀剣については全国の公立博物館に譲渡して、公開・活用をはかることとなりました。福岡市博物館では60口の刀剣が譲渡され、その一部は昨年2月「よみがえる名刀 赤羽刀展」として公開しています。今回も、地元ゆかりの5口の刀剣を展示することとしました。
●民俗
籾摺り機 飴釉白打掛雲助 |
民俗のコーナーはどこか懐かしい気持ちになる資料でいっぱいです。明治、大正時代の福岡・博多を写した写真には、松原水売り、竹馬、旧博多駅、下川端商店街、山笠などが写されています。又松囃子(まつばやし)の衣装、羽子板、縁起物の飾り熊手など年中行事や祭りに関するものもあります。御祝儀帳は、昭和初期の結婚式の際のもので、結婚式が現在の形になる以前、博多でどのような婚姻儀礼が行われていたかを知るよい資料です。
コーナーの中央には、車輪付の巨大な機械がおかれています。これは博多区井相田で、近年まで使われていた籾摺り機です。地域で共同購入され、加工場におかれていたものですが、各戸に持ち帰って作業が出来るよう、台車が取り付けられました。
このほか懐紙入れは明治時代の博多の御寮人(ごりょん)さんの持ち物で、当時の小物の様子がよくわかります。また飴釉青流手焙(あめゆうせいりゅうてあぶり)と、飴釉白打掛雲助(あめゆうしろうちかけうんすけ)は、小石原(こいしわら)焼きの名工大田熊雄(おおたくまお)の作品です。太田熊雄はバーナード・リーチ等とも親交があり、小石原焼に民芸という新しい価値観をもたらしました。