平成16年2月25日(水)~3月28日(日)
ポスター |
福岡市博物館では、開館前の準備室時代から、考古、歴史、民俗、美術の各分野にわたって資料の収集を続け、毎年、ある年度に収集した資料のなかから、福岡市域の歴史や文化について、代表的なものを特に選んで、「ふくおかの歴史とくらし」と題して、紹介してきました。第16回目の今回は、平成12年度に収集した資料約2460件の中から展示します。今回の展示から、どのような新しい福岡の歴史と文化の姿が見えてくるでしょうか。
考古資料で見る福岡の先史・古代
中国式銅剣 中山平次郎自筆原稿 |
福岡は、ふるくは弥生(やよい)時代から大陸との交流の窓口として、進んだ技術・文化が入ってきました。それらの具体的な例として、中国の前漢(ぜんかん)時代に造られた、銅剣(どうけん)・銅鏃(どうぞく)や、ガラス璧(へき)などを展示します。また今から約2000年前の後(ご)漢と、福岡市域にあった奴(な)国との交流を示す国宝「金印」(常設展示室総合で展示中)の関連の資料として、中国の古代の印章類を、昨年に引き続き新たに収集した分を展示します。
さて、福岡市域は早くから開け、様々な人々が生活しており、現在も我々の身近なところにその遺跡が多くあります。そのため、古くから考古学が盛んなところです。まず福岡市近辺の広い地域で、遺物として採集された資料を展示します。それらの中には古くは旧石器・縄文時代の石器から、弥生時代の甕棺(かめかん)墓の副葬品である前漢時代の鏡や鉄器などがあり、その一部を紹介します。また福岡市の早良区に、縄文、弥生時代から古墳(こふん)時代にかけてあった集落遺跡などから見つかった貴重な滑石製勾玉(かっせきせいまがたま)(子持(こもち)勾玉)や壺、鉢の破片などの、様々な採集品を展示します。このほか弥生時代の青銅器をよりよく知るため収集した、八田(はった)から出土したと伝えられる鋳型から復元した銅戈なども展示します。
故中山平次郎(なかやまへいじろう)九州大学医学部教授は、戦前に数多くの先史時代から古代の福岡平野や博多の歴史に関する研究論文を発表しました。今回の収集資料には、奴国や「金印」に関する著作草稿のほか、平安時代までの古代博多の歴史を叙述した原稿などがあります。
中世の福岡
戦国期(16世紀後半)に筑前(ちくぜん)国と博多(はかた)を支配した豊後の戦国大名大友(おおども)氏の家臣吉良(きら)氏の文書(吉良文書)2巻のなかから、大友義鑑(よしあき)(大友宗隣の父)の出した感状や、吉良氏が子孫のために、自分の生涯や出来事を書き残した「置文(おきぶみ)」などを展示します。いずれも、戦乱の続いた北部九州や筑前の政治体制、当時の社会のようす、その中での人々の生き様をしめす好資料です。
吉良元心置文 (部分) |
黒田氏筑前入国の時代と武家文化
慶長(けいちょう)5(1600)年の関(せき)ヶ原(はら)の合戦で、東軍の徳川家康(とくがわいえやす)に味方した功績で、黒田長政(くろだながまさ)は筑前のほぼ1国を与えられて入国、先祖のゆかりの地、備前福岡(びぜんふくおか)(現在の岡山県長船町)を偲んで城下町福岡を建設し、それが現在の福岡市の名前の起こりとなりました。
収集した資料では、戦国時代に黒田氏がまだ播州姫路(ばんしゅうひめじ)(現兵庫県姫路市)にいた時分の事跡に関連する記録や、その後、福岡藩主となってからの歴代の藩主の系譜などを展示します。また長政とともに、多くの家臣が入国してきました。収集資料からは、それらの家臣の実戦的な烏帽子形(えぼしなり)兜、筋(すじ)兜のほか、黒田長政が家臣に領地を与えた古文書や家臣の系譜を展示します。また大身の家臣・大野(おおの)家に伝来した福岡藩関係の歴史書類や、金山採掘のようすを描いた絵巻なども展示します。さらにこの時代の武器・武具類としては、現在の早良区脇山(わきやま)で見つかった桃形(ももなり)兜や槍、陣中鍋、現在の収集家によって集められた福岡藩関係の陣笠(じんがさ)や、江戸時代の武家の被り物などがあります。このほか福岡藩家臣の一覧である分限帳(ぶんげんちょう)や、剣術を学んださいに受けた免許状なども、福岡藩の武家社会と文化をよく示す資料です。
ところで桃山(ももやま)時代から江戸時代前期は、戦国時代に日本にもたらされたキリスト教が厳しい弾圧を受けた時代でもありました。展示品としては、キリスト教宣教師による報告書『耶蘇会士通信(やそかいしつうしん)』や『聖フランシスコ修道会23聖人殉教史』があります。その後も踏み絵等によってキリスト教弾圧はつづきましたが、キリスト教布教とは関係しないオランダなどが長崎で通商し、『日用百科事典』など出版物の輸入をつうじて西洋文化・技術は細々と流入が続きました。