平成21年11月17日(火)~12月13日(日)
二、くらしと文化
伊勢物語東下り図屏風(83) |
江戸中期の福岡藩士立花実山(たちばなじつざん)(1655~1708)は、福岡藩主黒田光之(くろだみつゆき)の重臣で、南坊流茶道(なんぼうりゅうさどう)の祖として知られています。「南方録(なんぼうろく)」は、千利休(せんのりきゅう)の弟子南坊宗啓(なんぼうそうけい)が利休の茶道論と実技を著した書として著名ですが、「南方録 秘伝・追加」(76)は、立花実山が、その本編から特に秘すべき九ヶ条を選び出した「秘伝」と、書き漏らした箇所を集めた「追加」をそれぞれ一巻
としたものです。
「伊勢物語東下(あずまくだ)り図屏風」(83)は、福岡藩御用絵師衣笠探谷(きぬがさたんこく)(1852~1912)の作品です。探谷は、明治以後市中で画塾を開き、門下には冨田渓仙(とみたけいせん)がいました。
廻船絵馬(82) | 風呂敷(95) |
「廻船絵馬(かいせんえま)」(82)は、信仰とより深く結びついた絵と言えるでしょう。航海安全を祈願して唐泊大歳神社(からどまりおおとしじんじゃ)(福岡市西区)に奉納されたもので。江戸時代に筑前五ヶ浦(ちくぜんごかうら)の一つとして廻船業で賑わった様子を彷彿とさせます。
「陶製面 鷲鼻悪尉(とうせい めんわしばなあくじょう)」(85)は、能面の鷲鼻悪尉をかたどったもの。実物に匹敵する精巧な出来ばえで、江戸時代の博多で六代続いた焼き物師、正木宗七(まさきそうしち)の四代幸弘(ゆきひろ)の作とみられます。
タンカ ヴァジュラバイラヴァ(86) |
庶民の文化に目を移せば、博多の商家で使われていた「風呂敷(ふろしき)」(95)や「袱紗(ふくさ)」(96)があります。おめでたい図柄を描いたものは嫁入り道具として欠かすことのできないものでした。
「手焙(てあぶ)り」(97)と「チキリ(竿秤(さおばかり))」(98)は、西区玄界島(げんかいじま)のもの。大きなチキリはワカメやヒジキを計るのに使っていました。いずれも福岡西方沖地震で被災した家屋の中から救い出された資料です。
「ハギトージン」(99)は、対馬(つしま)南端に位置する豆酘(つつ)の仕事着。昭和40年代まで、若い女性はこれに前掛(まえかけ)、頬被(ほおかぶ)りというスタイルで働いていました。袖(そで)の形も特徴の一つで、海や山で仕事がしやすい工夫でした。
さて、当館では、開館以来アジアとの文化交流を大きなテーマの一つに掲げてきました。チベット仏教の仏画「タンカ」(86~94)は、代表的な尊像(そんぞう)がほぼ網羅された優れたコレクションで、当館のコレクションがより充実することになりました。
ご協力いただいた方々(寄贈・寄託者名/五十音順、敬称略)
赤松元興、荒井昌夫、荒巻セツ子、井手道子、井手隆治、岡円秀、小川裕夫、置鮎正弘、小田正彦、茅野光久、唐泊町内会、木村榮文、櫛田正巳、柴藤清吉、周防憲男、田代肇、立花俊彦、塚本潔、塚本哲也、常松喜代、永英生、永芳江、中西毅藏、中野正輝、中村英司、西川順、長谷川常雄、長谷川扶美子、波多江文子、波多野聖雄、古田鷹治、宮川保彦、大和英二