平成3年1月5日(土)~3月3日(日)
館蔵品にみる江戸時代の古典文芸について
日本の伝統文化である古典文芸の世界は、戦国時代には公家の人々によって守られてきました。しかし、江戸時代には社会秩序の安定と経済の発展を背景に、古典文芸の担い手は、大名や武士、さらには庶民にまで広がりました。しかも元禄期になると、学問や文化の発展は古典文芸の世界にも及び、新しい歌道や古典研究がおこりました。同時に、古典文芸は、江戸時代に発達した木版印刷の技術によって、歌書や物語、注釈書(ちゅうしゃくしょ)などが出版され社会に広まりました。人々の古典の受け入れ方も、学問、教育から趣味、遊びまで様々でした。この様な人人の教養を背景として古典は江戸時代の絵画、工芸、文学や歌舞伎なとの題材として取り入れられたのです。現在の我々は和歌や百人一首などで古典を楽しむことができますが、それは江戸時代から始まったといえます。今回の展示では館蔵資料の中から、江戸時代の北部九州の人々と、古典文芸のかかわり方の一端を紹介していきます。
おもな内容は、(1)鹿島鍋島氏について、(2)古典文芸の伝授、(3)鹿島鍋島藩主の和歌、(4)筑前の和歌短冊、(5)江戸時代の出版物と古典文芸、です。
資料解説
鹿島鍋島氏について
「百人一首」「源氏大鏡」
百人一首 | 源氏大鏡 |
鹿島鍋島(かしまなベしま)氏は、肥前佐賀藩の支藩肥前鹿島藩の藩主。初代直朝(なおとも)は佐賀藩主鍋島勝茂(かつしげ)の九男で、寛永19(1642)年に2万石を分け与えられた。以後、7代にわたって鹿島の地を治めた。鹿島鍋島氏には、歴代藩主と家族が、集めたり写させたりした古典作品などが残っている。
鹿島鍋島藩主の和歌
「蒙山和歌集・同拾遺」「鍋島直條詠草」和歌「華甲の賀」
鹿島鍋島(かしまなべしま)氏には歴代藩主や家族が作った和歌が残っている。中でも2代藩主直條(なおえだ)の作った和歌が多く、自作歌集や巻物となって保存されており、彼が歌道にすぐれていたことがうかがえる。また、藩主の和歌は公的な祝いや儀式でも詠まれている。また、当時の和歌は色紙、短冊などさまざまなものに記されて残されている。
蒙山和歌集・同拾遺 | 鍋島直條詠草 | 和歌「華甲の賀」 |
江戸時代の出版物と古典文芸
「新古今和歌集」「百人一首抄」
新古今和歌集 | 百人一首抄 |
江戸時代には木版印刷の技術が発展し、和歌や物語などの古典やその注釈書(ちゅうしゃくしょ)、研究書も数多く出版された。しかも本屋などで手がるに買い求めることができるため、一般の武士や庶民の中にも広く普及し、利用されることとなった。また、同時に人々は自作の歌集や文芸論を出版することもできる様になった。