平成4年6月2日(火)~7月19日(日)
筑前名所図会「山笠櫛田入の図」 |
博多祇園山笠「鞍馬天狗」(安政2年) |
「博多祗園山笠展」について
櫛田神社(くしだじんじゃ)は、古くから博多の総鎮守として多くの人々から信仰されています。この神社では、祭神の1人に祗園の神スサノオノミコトを祀り、7月1日から15日まで行われる厄除(やくよけ)の祭礼(さいれい)博多祗園山笠は、博多を代表する祭礼として広く知られています。
博多祗園山笠の起源については、様々な説があります。福岡藩の儒学者(じゅがくしゃ)である貝原益軒(かいばらえきけん)編者の『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』によると、山笠は永享4年(1432) に始まったとしています。
しかし、その当時は「作り山」の数が12本だったとのことです。現在の様に「作り山」の数が6本になったのは、中国地方の大名である大内義隆(おおうちよしたか)(1507~1551)が、博多をも領していた時に、山口の祭礼に博多の山笠を6本分け与えたからだと伝えています。
「博多祗園山笠展」では、江戸時代に描かれた山笠図を中心に展示します。各地からの見物客で賑わった江戸時代の博多祗園山笠をお楽しみください。
黒田氏と博多祗園山笠図について
ここに展示している黒田資料の博多祗園山笠図は、福岡藩主黒田氏に伝えられてきた山笠図です。山笠絵師である三苫(みとま)氏の記録『古代山笠絵図由来記(こだいやまかさえずゆらいき)』によると、彩色の山笠図を旧暦3月中旬までに仕上げ、博多の年行司の手を経て黒田氏に納めたということです。その山笠図をみて、例えば飾り人形の竜が気にいらないという理由で、人形を変更させることも時にはあったようです。
また、藩主とその家族が、直接山笠を上覧することも度々ありました。
このように、博多祗園山笠は、黒田氏と山笠の関係に代表されるように、博多の人々のみならず、福岡藩あげての祭礼だったということができます。
福岡図巻(櫛田神社に山笠が見える) |
博多祇園山笠図屏風(安政6年) |