平成5年7月20日(火)~10月3日(日)
地蔵菩薩像 |
日朝関係史(中世編)について
日本と朝鮮半島とは、その地理的環境を背景に古くから密接な関係にありました。
7~9世紀には新羅使(しらぎし)や遣新羅使(けんしらぎし)の往来が見られ、10世紀に誕生した高麗(こうらい)は日本と正式な国交はなかったものの、両国間には商人や僧侶を通じて文物の交流が見られました。14世紀に成立した朝鮮王朝に対して、日本の室町幕府(むろまちばくふ)は正式な使節団の交換を行ったほか、各地の守護大名(しゅごだいみょう)や諸豪族も朝鮮王朝と幅広い貿易を展開し、そのなかで特に対馬(つしま)が日朝関係において重要な位置を占めるようになりました。しかし、安定的な外交関係にあった両国間にも、次第に問題が生じ始め、豊臣秀吉の朝鮮出兵によってついに国交断絶に至りました。
今回の展示では、中世の日朝関係について、美術・考古および文献資料によって広く紹介いたします。
作品解説
地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)(福岡市指定文化財)
高麗時代/絹本着色/縦111.0cm/横43.6cm
観音菩薩(かんのんぼさつ)とともに庶民に広く信仰された菩薩(ぼさつ)。袈裟(けさ)は金泥(こんでい)の牡丹唐草文(ぼたんからくさもん)や蓮華円文(れんげえんもん)、法衣(ほうえ)の裾(すそ)は朱地に菊花文(きくかもん)を散らすなど高麗仏画特有の豊かな装飾性が認められる。善導寺には大内氏関係の古文書が多く残されており、大内氏の朝鮮貿易の所産とも考えられる。
朝鮮国礼曹佐郎(ちょうせんこくれいそうさろう)申光弼書契(シンクヮンビルしょけい)
朝鮮国礼曹佐郎申光弼書契 | 申光弼図書印影 |
万暦18(1590)年12月/壮紙(そうし)(朝鮮紙)墨書
朝鮮国の礼曹(れいそう)(外交官庁)の佐郎(さろう)(五等官) である申光弼(シンクヮンビル)が、肥前国田平(ひぜんのくにたびら)の「源兼」に宛てた書簡。先に「源兼」が使者を送ったことに対する返書である。朝鮮国が発給する外交文書の形式や紙質がわかる貴重な資料。
田平(たびら)源兼書契(しょけい)
田平源兼書契 | 源兼図書印影 |
天正19(1591)年6月/和紙墨書
源兼から申光弼(シンクヮンビル)に宛てた書簡。
朝鮮王朝から支給された図書(としょ)を捺(お)した実物としては唯一のもの。これは先の申光弼書契に対して作成されたものの、朝鮮出兵直前の状況下、発給されずに終わったものと思われる。