平成7年2月28日(火)~5月14日(日)
鷹島(たかしま)沖で初めて発見された大型木碇(きいかり)(1994年11月鷹島海底遺跡出土) |
「蒙古碇石(もうこいかりいし)」として福岡県の文化財に指定されている碇石は、古代・中世の対外交流を象徴する遺物であり、福岡を代表する文化財といえます。碇石は、加工成型された石材を木に装着し、爪(つめ)を付けた木製のいかり(木碇(きいかり))の石材の部分のことです。碇石は現在、国内・国外で80点余りが確認されていますが、その内博多湾出土は25点、福岡県内では28点にのぼります。しかし、形状や分布などその歴史的意義については意外に知られていないように思われます。
船のいかりは、一般に石(いし)→木碇(きいかり)(碇石)→鉄錨(てついかり)の3段階の発展をたどるといわれています。とくに木碇は、遣唐使船、日宋貿易船、元の軍船などに使用された古代・中世のいかりと考えられます。
今回の展示では、石のいかりの時代、木碇(碇石)の時代、鉄錨の時代、の3つのコーナーに分け、碇石(木碇)を中心に、最近の発見例を含めていかりの歴史について紹介します。
[1]石(いし)のいかりの時代-木碇以前のいかり
弥生・古墳時代の船に使用された石のいかり(西区今山・今宿遺跡出土) |
中央に広狭2つの溝をほり込んだ碇石(1973年中央区天神3丁目フタタビル工事中出土) |
日本の船や元の小型軍船に使用されたと思われる小型碇石(1961年志賀島海底出土) |
[2]木碇(きいかり)(碇石(いかりいし))の時代
1 博多湾型碇石(はかたわんがたいかりいし)
今回、博多湾型と命名した碇石は、中央部を太く両端を細くやや扁平な角柱状に加工し、中央に2本の木ではさみこむための広狭2つの溝をもつ定型化された碇石です。大きく大・中型の2種類があり、大型のものは船首の轆轤(ろくろ)で巻き上げて使用しました。おもに大型の貿易船のいかりとして使用された可能性が高い。
2 小型碇石(こがたいかりいし)
一見自然石のようにみえますが、石をやや扁平な角柱状に加工した長さ1m・重さ30kg前後の小型の碇石です。中央部に装着用の溝がみられないのが特徴。博多湾や長崎県鷹島海底追跡で発見されており、日本の船や元の小型軍船に使用されたものと思われます。
鷹島沖出土の大型碇石(1994年11月鷹島海底遺跡出土) |
3 鷹島型碇石(たかしまがたいかりいし)
今回、鷹島型と命名した碇石は、弘安4(1281)年閏7月1日の暴風雨で沈没した元軍船の木碇として使用された碇石です。一端をやや細くした扁平な角柱状の石2個を上下で木ではさみこみ、1セットにして碇身(ていしん)の木の両側に取り付けて使用したものです。大きく分けて大・中・小型の3種類があります。年代がはっきりしており、今後の基準例となります。
鷹島沖出土の大型木碇復元図 |
小型漁船のいかりとして使用された片爪の木碇(西区西浦) |
4 小型漁船用碇石(こがたぎょせんよういかりいし)
長さ50cmほどの細長い扁平な自然石を碇身(ていしん)の木の中ほどに結びつけ、砂に突きささる適当な角度をもつ爪をつけた片爪(かたつめ)のものが多い。この型の木碇は古くから使われ、現在でも小型漁船用の簡便ないかりとして使用されています。
[3]鉄錨(てついかり)の時代-木碇以後のいかり
江戸時代の大型廻船(かいせん)の四爪鉄錨(よつめてついかり) 歌川国直画 |