平成7年7月18日(火)~9月10日(日)
昭和53年(1978)に旧福岡藩主黒田家から国宝金印をはじめとする什宝類が福岡市へ寄贈されました。その後購入したものも含めてそれらを当館では黒田資料とよんでいます。今展は、黒田如水(じょすい)・長政といった武勲の誉れ高い黒田家に伝わる資料のなかで、もっとも大切に伝えられてきた刀剣を展示いたします。また、それに加えて市内在住の稲員大蔵氏のご協力をいただき、氏所有の国宝、重文、県指定の刀剣三口(うち一口は黒田家旧蔵)も特別展示いたします。
もっとも出来がすぐれているもの、何か重大ないわれのあるもの、非常によく切れるもの、かつての所持者が歴史上有名な人物であったなどの理由があるものを名物刀剣といいます。今展にはその名物が九口も出品されています。日頃なかなか見られない名刀ばかりです。これを機会に武器にまでおよんだわが国の精巧な伝統美をご鑑賞ください。
出品目録および解説
1 重美 刀 ニ字国俊(にじくにとし)
1口/長さ 67.3cm 反り2.0cm/黒田長政愛用/鎌倉時代
中心(なかご)に「黒田甲斐守(かいのかみ) 所持之」と切った後世の銘があり、黒田長政愛用の刀として伝来している。国俊は山城(やましろ)(京都府)の刀工。
9 国宝 刀 名物「へし切長谷部」 | 3 国宝 太刀 名物「日光一文字」 |
2 刀 行光
1口/長さ 71.0cm 反り1.8cm/鎌倉時代
慶安元年(1648)に福岡藩主黒田忠之の嫡子光之が将軍徳川家光から拝領。
3 国宝 太刀(たち) 名物「日光一文字(にっこういちもんじ)」
1口/長さ 67.8cm 反り2.4cm/鎌倉時代
もともと日光権現社にあったものを、小田原の北条早雲が申し請けたのでこの名がある。それを天正18年(1590)の小田原攻めのときに、黒田如水が北条氏直から豊臣秀吉との和解の労のお礼として受け取った。身幅(みはば)がひろく鎌倉時代中期の豪壮な姿をしている。
4 刀 吉岡一文字 拵付
1口/長さ69.1cm 反り1.9cm/黒田長政愛用/鎌倉時代
備前(岡山県)は名刀の産地で知られ、なかでも一文字派は有名である。
5 脇差 康光 拵付
1口/長さ40.8cm 反り0.7cm/室町時代
中心(なかご)に「康光」の銘がある。康光は応永頃(1394~1429)に活躍した備前長船派(おさふねは)の刀工。拵(こしらえ)の目貫(めぬき)は後藤光乗作。
6 脇差 名物「碇切(いかりぎり)」
1口/長さ57.7cm 反り1.3cm/南北朝時代
黒田長政が碇の下にかくれた敵を、碇ごと切ったのでこの名がある。あるいは黒田如水が出港のさいにこの刀で碇を切ったという話もある。
7 刀 名物「城井兼光(きいかねみつ)」 拵付
1口/長さ67.7cm 反り1.5cm/黒田長政愛用/鎌倉時代
無銘だが備前長船派の兼光の作という。黒田長政が豊前(福岡県)城井城の宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)を攻めたときに使用。
8 重文 刀 名物「安宅切(あたかぎり)」 金霰鮫打刀拵(きんあられさめうちがたなこしらえ)付
1口/長さ61.2cm 反り2.4cm/室町時代(大永4年・1524)
刀身は備前長船派の祐定(すけさだ)の作。黒田孝高(よしたか)(如水)がこの刀で淡路(あわじ)の安宅氏を討ったのでこの名がある。拵は埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の監修でつくられ、鞘(さや)の腰元を青漆で塗り、それ以下は金の薄板を霰鮫肌状に打ち出すなど桃山時代の豪華なつくりである。
9 国宝 刀 名物「へし切長谷部(きりはせべ)」 金霰鮫打刀拵付
1口/長さ64.8cm 反り0.9cm/南北朝時代
織田信長が膳棚の下に逃げかくれた茶坊主を、圧(へ)し切ったのでこの名がある。黒田孝高(如水)が織田信長の中国攻めに協力したので拝領。中心(なかご)に「長谷部国重本阿(花押)」と「黒田筑前守」の金象嵌銘(きんぞうがんめい)があり、本阿弥光徳が作者を山城の長谷部国重と鑑定した。点が飛び散ったような皆焼(ひたつら)という刃文は見事。広い身幅と大鋒(おおきっさき)はこの時代の特徴。もともとはもっと長い太刀であったものを刀として短くしたもの。拵は安宅切の拵を模したもの。鍔(つば)は信家作。