平成8年1月30日(火)~平成8年3月24日(日)
1 鬼の念仏 |
4 釣鐘弁慶 |
大津絵(おおつえ)とは
江戸時代、特に主要な街道の整備が進んだ17世紀後半頃から、現在の滋賀県大津市の大谷町(おおたにまち)や追分町(おいわけまち)、また三井寺(みいでら)あたりの東海道筋は、大津の宿から京ヘ上り下りする旅人たちでにぎわっていました。この街道筋でお土産ものとして売られていた安価な絵画は、江戸時代から大津絵と呼ばれています。名も知れない絵師たちによって大量に作られ、売られ、そして全国にもたらされた大衆のための民画、それが大津絵です。
大津絵は、文献記録から考えて、17世紀終わりから18世紀初めの元禄期頃から描かれはじめたと推定されています。初期の頃の大津絵といえば、如来図や不動図などの礼拝用の仏画がほとんどでした。仏閣が数多くある京に近いことから、京みやげとして喜ばれたのかもしれません。
しかしながら18世紀後半頃からは仏画よりもむしろ鬼や福神、動物たちを滑稽に描く戯画が大津絵の主流となり、表現も素朴さは保ちながらそこにユーモアの要素が次第に加わっていきます。狩野派(かのうは)や琳派(りんぱ)などの武家や裕福な町衆のための絵画とはまた異なった、大らかで天真爛漫な味わいにあふれたところが大津絵の魅力で、明るく伸び伸びとした庶民感情が生き生きと反映した表現に人々は惹かれ、大津絵は江戸末期まで隆盛をみたのです。
簡略化されているためかえって伸び伸びとした線、木版墨刷(もくはんすみず)りの墨線の上から簡単に施された大胆な彩色。このような大津絵の特徴は、一点に時間をかけることなく次々に大量生産していくことを考えてのことでしょう。こうした民画の流行は、日常生活のなかで絵画を享受する層が飛躍的に拡大した江戸時代の文化を雄弁に物語っており、また大都市の町民のための美術といえる浮世絵版画の発達とも無縁ではありません。
また、初期には2枚の紙を縦につないだ大型の作品が多く、後期では紙1枚の小型版が主流になり、さらに風刺のきいた歌が添えられるものが多くなっていくといった大ざっぱな様式史も指摘されています。確かに、2枚継ぎの作品は図柄もおおらかで力強く、小型版はこうした図柄を縮小してまとまりよくした感があります。また最初はただ絵を見て楽しんだものが、次第にその意味あいを云々するようになり、人生訓的な道歌が添えられていったのでしょう。
いずれにせよ理屈抜きに楽しいのが大津絵です。その楽しさは、描かれた様々な人々や神、動物たちといったバラエティに富んだ主人公のキャラクターをいかに表現するかにかかっています。
それでは大津絵に登場する主人公たちをいくつか紹介しましょう。
大津絵の主人公たち
その1 鬼
本来は悪神、邪神で牛の角や虎の牙を持ち無慈悲で恐ろしい地獄の番人だった鬼も、大津絵となればカワイイもの。念仏を唱えながら歩く姿は角も折れ、なんとなく哀愁?がただよいます。こうした姿は「鬼の空念仏」といって、無慈悲なものが心にもない慈悲をよそおうことのたとえ。大津絵はこうしたもののたとえを絵画化するのが得意でした。鬼の空念仏を描いた大津絵は、さらに子供の夜泣き防止の意味があったといいます。なるほど恐ろしい顔をしていては、かえって子供が泣くからでしょうか。
その2 英雄、豪傑たち
実在の人間で大津絵の画題として人気があったのは弁慶と為朝(ためとも)。考えてみれば2人ともいわば悲劇の英雄ですが、大津絵とそうした悲劇性は無縁のもの。かたや巨大な釣鐘を放り投げる豪傑、かたや強弓を引くこれも豪傑で、作品もこうした剛勇ぶりを強調するように描かれています。魔除けの意味を担っていたと考えられます。
13 春駒 | |
15 大黒外法の相撲 | 12 花売り娘 |
23 猫と鼠 |
その3 町の人々
江戸初期から庶民の姿を描くいわゆる風俗画は狩野派などによって描かれてきました。大津絵でも花売り娘や若衆(わかしゅ)、座頭(ざとう)、華やかな衣装を纏(まと)った女性たちなど市井の人々が数多く画題にされています。特に「傘さす女」などは17世紀半ばから後半頃に描かれ始めた立ち姿の美人図から直結するもので、いわば高級な肉筆画にかわる庶民のための美人画といった役割を担っていたのかもしれません。
その4 福の神たち
大津絵の代表的な作品のひとつが「大黒外法の相撲」。大黒(福)と福禄寿(寿)が相撲を取り、一見おめでたい画題ですが、これにも風刺が隠されています。つまり、大黒が象徴する福(幸せ、大黒ですから金銭的な幸せ)がどうやら福禄寿の象徴する長寿に勝ちそうな勢い。裕福で節操のない生活をしていると寿命を縮めますよという意味でしょう。それとも、寿命は短くてもいいから裕福に暮らしたいという意味でしょうか?
その5 動物たち
鷹、犬、猫、鼠、猿などがよく描かれる動物ですが、武家好みの画題として中世末期から描かれていた鷹を除いては、ほとんどが擬人化されて描かれ、歌が添えられてそれぞれに人生訓を語ります。こうした歌の内容を検討すると、江戸後期に流行した川柳や狂歌の影響も指摘できるでしょう。