平成8年11月6日(水)~平成9年2月9日(日)
昭和6(1931)年、日本で最初に博多湾で発見された墨書陶磁器「張綱」銘黒釉天目碗(12~13C)全体と外底の「張綱」銘 |
墨書陶磁器(ぼくしょとうじき)とは文字や記号などが墨書された陶磁器のことです。大部分は11世紀後半から13世紀初期にかけて日本に輸入された陶磁器の外底部に墨書されています。日本で最初に博多湾で墨書陶磁器が発見されて65年、博多遺跡群の発掘が開始されてから約20年が経過しています。その間、博多における墨書陶磁器の出土例はなんと12OO例をこえ、これに関する考古学、文献史学の研究も進展してきました。
今回の展示では、博多で大量に出土した墨書陶磁器の数々を紹介します。陶磁器に記された墨書には何が書かれているのか。どんな目的で記されたのか。そして博多に特有な考古資料であり、また古代・中世の重要な文字史料である墨書陶磁器から何が歴史的にいえるのか、3つのコーナーに分けて考えてみたいと思います。
1 墨書陶磁器に関する研究
博多湾で最初に墨書陶磁器が発見されてから65年、墨書陶磁器に関する研究も進みました。最初に発見された「張綱(ちょうこう)」銘天目碗(めいてんもくわん)(写真)について、当初は蒙古襲来時の将兵の名前に比定しましたが、現在では日宋貿易に関係するものとされ、また墨書は個人の持ち物の表示という見解から、大半は商品の所有者の表示であると考えられるようになりました。このコーナーでは、代表的な研究を紹介し墨書陶磁器研究の歩みをたどります。
12~13世紀の博多(推定図 ●は墨書陶磁器の出土地点) |
各種の墨書陶磁器(縮尺1/3、各図は福岡市埋蔵文化財調査報告書による) |
2 墨書陶磁器はどこで出土したか
陶磁器は貿易の重要な商品として日本にもたらされ、その多くは博多に荷揚げされ、日本各地へ運ばれ流通したことが知られています。一方、墨書陶磁器の大半は11世紀後半から13世紀初期、とくに12世紀を中心とした白磁(はくじ)や青磁(せいじ)などの中国製陶磁器であり、その出土地点は博多に集中しています。このコーナーでは、博多特有の資料である墨書陶磁器の輸送方法や出土地について展示します。
3 墨書陶磁器には何が書かれているのか
陶磁器に記された墨書をみていくと、○綱、中国人名、日本風人名、花押(サイン)、数字、漢字、仮名文字、記号などが書かれていることがわかります。このコーナーでは、博多出土の墨書陶磁器を以下のように11のタイプに分類して紹介します。
1 「○綱(こう)」銘の墨書
「李綱」「丁綱」のように中国人名を上に冠するが、「数字+綱」「綱」のみもあります。「綱」は中国の海運会社や貿易商人を意味し、墨書の中では最も注目されるタイプです。
2 中国人名の墨書
「荘」「林」のように中国人の姓のもの、「陳四」「王二」のように姓+名のもの、さらに姓(名)+花押(中国人の花押)のものがあります。いずれも貿易商人の名前と思われます。
3 日本風人名の墨書
「太郎」「二郎」などの長男・次男を表す(中国でも使用される)もの、「祐吉」「国吉」のように日本人的な名前、さらに「三郎□(花押)」のように花押のあるものがあります。
4 花押(サイン)の墨書
花押と文字との判別はむずかしいが、花押のみの墨書は多い。また中国人の花押なのか、日本人の花押なのかを決定するのはむずかしい。
5 数字の墨書
「一」「二」のように数字のみのもの、「九(花押)」のように花押のついたもの、「五十/内」「十口内/七郎」のように陶磁器の数量のまとまりを記したものなどがあります。
6 漢字の墨書
「○綱」や人名以外の漢字が墨書されたものも多い。「祐」「吉」など人名風のもの、「万年」「大年」など吉祥句風(きっしょうくふう)のものなどがあります。いずれも意味は不明です。
7 仮名文字の墨書
数は少ないが、「ミつ/なか」「ちくも」「きセ」など仮名文字を記したものが発見されています。いずれも意味は不明です。
8 記号の墨書
「○」「□」「△」など記号と思われるものを墨書したもの。15世紀代の陶磁器に多いタイプです。
9 寺院・僧侶に関係する墨書
寺院・僧侶に関係するものとして「僧」「寺」「常住」「堂」「百十内/僧器」などがあり、寺院の備品や僧侶の持ち物を表していると思われます。
10 「綱司(こうし)」銘の墨書
12世紀前半の陶磁器にみられる船の持ち主ないし船長と考えられる「綱司」銘の墨書。14世紀前半の韓国新安沈没船の積荷に付けられた荷札にも「綱司」銘の墨書があります。
11 15世紀の墨書陶磁器
「十」「吉」の漢字や記号などを墨書した中国明代陶磁器、「釣寂庵(ちょうじゃくあん)」などと墨書した朝鮮王朝陶磁器、「周」「(花押)」と墨書したベトナム陶磁器が確認されています。
墨書陶磁器について考古学、文献史学双方から研究が進められてきました。しかし、墨書を書いた目的という基本的問題については、日宋貿易の商品である陶磁器の所有者を表示したもの、個人の所有物、「綱」=海運会社や寺院関係の備品を表示したものとか、現在いろいろな説が出されています。また、1つの目的ではなく、それぞれ異なった目的で記されたことも十分に考えられます。誰がどこで書いたかということが確定していない現在、結論を出すことは容易ではありません。今後も出土が予想される博多やその周辺の発掘調査、整理および研究の進展が期待されるところです。
(林 文 理)