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No.120

歴史展示室

蒙古襲来絵詞展

平成9年12月9日(火)~平成10年2月15日(日)

竹崎季長(弘安の役当時36歳)[複製本より]
竹崎季長(弘安の役当時36歳)[複製本より]
博多湾岸一体の蒙古襲来関連地
博多湾岸一体の蒙古襲来関連地

 アジアからヨーロッパにいたる世界帝国を築いたモンゴルが、鎌倉(かまくら)時代の中頃、文永(ぶんえい)の役(えき)(1274年)・弘安(こうあん)の役(1281年)と2度にわたって日本に遠征しました。両度の蒙古襲来(もうこしゅうらい)は日本を世界史の舞台に引きずり出し、また、日本の社会にも大きな影響を与えました。

 この蒙古襲来の合戦状況をもっとも具体的にみることができるのが「蒙古襲来絵詞(えことば)」です。絵詞は、鎌倉武士が世界帝国たるモンゴル軍を撃退した様子を、絵と詞書を織りまぜながら描写したもので、世界史的に見ても大変貴重な史料です。これは合戦に参加した肥後(ひご)国(現熊本県)の御家人竹崎季長(ごけにんたけざきすえなが)が、自己の活躍の模様を描かせたものです。弘安の役後、10数年を経過した永仁(えいにん)元年(1293)頃に成立したとされています。

 蒙古襲来の舞台となったのが福岡(ふくおか)市内の博多湾(はかたわん)岸一帯で、「蒙古襲来絵詞」には合戦時の市内各地の状況が多数描かれています。文永の役において蒙古軍が博多を襲撃するという情報を得た季長は、筥崎(はこざき)の陣を出立し、筥崎宮の鳥居前→松原→博多→住吉(すみよし)社の鳥居前→小松原(比定地不詳)→赤坂(あかさか)へと進み、ついに鳥飼(とりかい)の汐干潟で蒙古軍と相見えます。蒙古軍は麁原(そはら)(祖原)の山に陣取り、赤坂方面から出撃した日本軍と激しい戦闘を繰り広げました。鳥飼(現在の中央区大濠公園一帯)は深く湾入し、干潟が広がっていたことがうかがえます。このほかにも絵詞には生松原(いきのまつばら)の元寇防塁や志賀海神社(しかうみじんじゃ)など今に残る市内の旧蹟が描かれ、実はこれが福岡を描いた最古の絵画史料なのです。

 「蒙古襲来絵詞」は武具や騎馬などが写実的に描かれており、武家好みの絵画作品として、江戸時代後期から盛んに模本(もほん)が作成されました。本展覧会では、筑前(ちくぜん)の国学者青柳種信(こくがくしゃあおやぎたねのぶ)が写させた2種の模本のほか4種の模本を展示します。これらは後世の写しではありますが、歴史史料としては重要な価値を有しています。原史料である御物本(ぎょぶつほん)は配列の誤りや欠失、別本の混入、加筆が多くみられ、季長が作成した当初の姿ははっきりとしていないのです。御物本が現状にいたる過程を調べるに際し、時々に写された模本の状態を比較検討することが重要な手掛かりを与えてくれます。

 「蒙古襲来絵詞」に描かれた市内の旧蹟をたどり、鎌倉時代の福岡の風景を思い浮かべて下さい。

(堀本 一繁)

筥崎宮の鳥居前を行進する騎馬武者一行
筥崎宮の鳥居前を行進する騎馬武者一行
鳥飼付近で奮戦する季長
鳥飼付近で奮戦する季長
息浜(博多)の砂丘に陣取る大将少弐景資
息浜(博多)の砂丘に陣取る大将少弐景資

生松原の元寇防塁前を行進する季長主従
生松原の元寇防塁前を行進する季長主従
麁原(祖原)に陣取る蒙古軍
麁原(祖原)に陣取る蒙古軍
志賀海神社と蒙古軍兵士
志賀海神社と蒙古軍兵士
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