平成10年7月14日(火)~8月30日(日)
コーナー解説と出品リスト
もののけ
ひとの霊魂は「たま」、それ以外の霊は「もの」と呼ばれる。普段使い慣れている道具やなにげない器物も、長い年月を経れば時として妖怪となるらしい。彼らは、森羅万象に精霊を感じた日本人の古い信仰に培われてきた妖怪である。絵師は、自由で奇抜な発想によって、人ならぬものに精霊を宿し、ユーモラスで時には愛らしくもある姿を描き出す。そういえば、現代の博物館こそ、世間を追われたもののけの最後の住処かもしれない。
作品名 | 作者 | 員数 | 時代 | 品質形状 | 法量 | |
1 | 付喪神図 | 伊藤若冲 | 1幅 | 江戸中期 | 紙本墨画掛幅装 | 129.3×28.1 |
2 | 妖怪図(角盥と鏡箱) | 河鍋曉斎 | 1枚 | 江戸末期~明治 | 紙本墨画 | 25.1×27.6 |
3 | 燈下百鬼行列戯画 | 作者不詳 | 1枚 | 明治時代 | 銅版・紙 | 24.6×35.6 |
百鬼夜行
妖怪どうしは、ふつう関係をもたない。それぞれがそれぞれの時と場所に出現する。とはいうものの、かつて月とてない闇夜の都の大路では、あらゆる妖怪が集まって、一大パレードをしたらしい。これに遭遇すると、助かる見込みはまずないのに、あたかも見てきたような百鬼夜行の図が数多く描かれた。また、妖怪が多種多様であれば分類整理したくなるのがひとの常。絵師は、怖いものを見たさの我々の欲求に見事に答えてくれる。
作品名 | 作者 | 員数 | 時代 | 品質形状 | 法量 | |
4 | 妖怪図 | 永井香圃 | 1幅 | 明治時代 | 絹本墨画淡彩掛幅装 | 106.0×40.9 |
5 | 源頼光公館土蜘蛛作妖怪図 | 歌川国芳 | 1枚 | 江戸末期 | 大判錦絵 | 37.0×25.3 |
6 | 百怪図巻 | 佐脇嵩之 | 1巻 | 元文2年(1737) | 紙本着色巻子装 | 36.5×1918.6 |
7 | 怪奇談絵詞 | 不詳 | 1巻 | 江戸末期~明治 | 紙本着色巻子装 | 25.1×1046.2 |
7 怪奇談絵詞 作者不詳より「猫また」 |
7「怪奇談絵詞」作者不詳より「ヲロシアの人魂」 |
7 怪奇談絵詞 作者不明より「ガマの妖怪」 |
妖怪と英雄
ひとに害をなす魔物の存在は、これを退治する英雄の出現によって神話を生み出す。また逆に、英雄、豪傑たる者の資格は、魔物退治によっていっそう確固としたものになる。スサノオとヤマタノオロチしかり、源頼光と土蜘蛛また渡辺綱と羅生門の鬼しかり。こうした英雄と怪物の戦いは、絵師にとって恰好の題材である。それぞれに工夫をこらした構図で、腕を競い合うが、多くの場合、いかに印象的な妖怪を描くかで出来不出来は決まる。
作品名 | 作者 | 員数 | 時代 | 品質形状 | 法量 | |
8 | 本朝水滸傅剛勇八百人一個 犬村大学禮儀 | 歌川国芳 | 1枚 | 江戸末期 | 大判錦絵 | 38.2×26.1 |
9 | 半上弾正ノ忠知景 | 歌川国芳 | 1枚 | 江戸末期 | 大判錦絵 | 38.2×26.2 |
10 | 和漢百物語 登喜大四郎 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.3×24.6 |
11 | 和漢百物語 小野川喜三郎 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.0×24.1 |
12 | 和漢百物語 瀬田之竜女と田原藤太秀郷 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.2×24.6 |
13 | 和漢百物語 楠多門丸正行 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.3×24.6 |
14 | 和漢百物語 大宅太部光國 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.3×24.6 |
15 | 和漢百物語 貞信公 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応元年(1865) | 大判錦絵 | 36.3×24.6 |
16 | 東錦浮世稿談 伊東與惣太 | 月岡芳年 | 1枚 | 慶応3年(1867) | 大判錦絵 | 36.1×23.6 |
17 | 新型三十六怪撰 平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図 | 月岡芳年 | 1枚 | 明治23年(1890) | 大判錦絵 | 37.0×25.3 |
18 | 新型三十六怪撰 源頼光土蜘蛛ヲ切ル図 | 月岡芳年 | 1枚 | 明治25年(1892) | 大判錦絵 | 35.5×24.2 |
妖怪百態
妖怪、化け物にも固有の出自がある。狐や狸が化けたもの、ものにとりつかれた者が見てしまう怪異、単に酒落で作り出された妖怪、そして時にはめでたきものを組み合わせて紙の上で作り出された珍獣もいる。妖怪の創造は、ひとの想像力の豊かさの証明でもあるだろう。近代化の波が押し寄せた明治期においても、妖怪はちゃんと生き残り、また生み出された。さて目の前に迫った21世紀にも、彼らや彼らの子孫は生き残れるか。
作品名 | 作者 | 員数 | 時代 | 品質形状 | 法量 | |
19 | 木曽街道六十九之内 細久手 | 歌川国芳 | 1枚 | 嘉永5年(1852) | 大判錦絵 | 36.0×24.4 |
20 | 五拾三次之内猫之怪 | 歌川芳藤 | 1枚 | 江戸末期 | 大判錦絵 | 35.7×23.9 |
21 | 新容六怪撰 | 月岡芳年 | 3枚続 | 明治15年(1882) | 大判錦絵 | 37.0×25.2(各) |
22 | 東京日々新聞四百四十五號 | 落合芳幾 | 1枚 | 明治7年(1874) | 大判錦絵 | 37.3×24.9 |
23 | 當りのかわりあんどん | 歌川芳藤 | 1枚 | 明治時代 | 大判錦絵 | 25.3×34.0 |
24 | 寿という獣 | 重光 | 1枚 | 江戸末期 | 大判錦絵 | 24.9×37.1 |