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No.151

歴史展示室

川上音二郎とその時代

平成11年9月21日(火)~平成11年11月14日(日)

「中村座大当 書生演劇」 (部分)
「中村座大当 書生演劇」 (部分)

 いまから100年前の1900(明治33)年、パリで開催された万国博覧会の会場で人気を得た日本人がいました。川上音二郎とその一座です。この年音二郎は満34歳。海外渡航は2度目で、アメリカ合衆国・英国を経てフランスに入り、万博会場で公演することになったのです。彼らの公演や音二郎の妻・貞奴の踊りや衣装は、当時ヨーロッパで流行していたジャポニスムの流れに乗って、好評を博しました。いわば100年前の日本と西欧との架け橋であったといえます。 文久4(1864)年元日、川上音二郎は博多の商家の第3子として生まれました。彼の演劇はその時々で変化し続け、はじめは「おっぺけペー」節と書生芝居で明治20年代の世相を表現し、次いで日清戦争劇、「オセロ」や「ハムレット」などの翻訳劇と続き、やがてそれを「正劇」と名乗りました。本展では川上音二郎の演劇と彼が「生きた」時代を紹介します。

博多の川上家

 音二郎の生家川上家は、博多・中対馬小路(現福岡市博多区須崎町)で代々四国の藍玉を商う商人で、屋号を「紺屋」といった。音二郎の祖父・弥作は名字帯刀を許されており、父・専蔵は別に船問屋を営んでいた。専蔵は歌舞伎役者を贔屓にするなど、遊芸を好み、そうした環境のなかで音二郎は育った。音二郎が博多を去った後も川上本家は博多にあって、音二郎と関係を持ち続けた。とくに従兄弟の岩吉はその生涯をとおして音二郎と深い交流があった。

音二郎の演劇1 「おっペけペー」まで

 明治10(1877)年東京に出た音二郎は、芝・増上寺の小坊主、慶応義塾の学僕(学校の用務員をしながら学ぶ学生)、東京裁判所給仕などを転々とした後、いったん博多に戻った。明治15年再び博多を出、京都で巡査となるが、自由民権運動に参加する。立憲政党、立憲帝政党、自由党などを渡り歩き、「自由童子」と名乗って政談演説を行い、度々投獄された。その後落語家に弟子入りし、「自由亭○○」と称した。その時彼を有名にしたのが「おっペけぺー」節であった。

音二郎の演劇2 書生芝居

 明治24(1891)年2月大阪・堺で「経国美談」「板垣退助遭難実記」の幕をあけた。川上音二郎による「書生芝居」の旗揚げである。これによって音二郎は「新派の祖」のひとりに数えられている。書生芝居は壮士芝居とも呼ばれる。「壮士」とは自由民権運動のなかで政治活動を行った血気さかんな青年たちをさす言葉である。書生芝居や壮士芝居には政治思想の普及という目的もあった。

音二郎の演劇3 芝居の変化

 本格的に芝居を始めた音二郎に変化があった。明治26(1893)年フランスへ渡った音二郎は、西洋の演劇に初めて触れ、新しい演出方法を身につけたのである。明治27年初演の「又意外」「又々意外」では暗転や効果音を使って観客を驚かせた。また、同年7月日清戦争が始まるといち早く「壮絶快絶日清戦争」を発表した。さらに戦地に取材に出かけ、その結果を「川上音二郎戦地見聞日記」として公演した。

音二郎の演劇4 海外興行

 明治29(1896)年神田三崎町にようやく建てた劇場「川上座」も、音二郎が衆議院議員選挙に落選して人手に渡り、音二郎は妻貞奴とともにボートで海外へ行こうとした。アメリカ合衆国・英国を経てフランスへ赴いた彼らは、1900(明治33)年パリで開催された万国博覧会で、アメリカ人女優ロイ・フラーの劇場に招かれ好評を博した。特に貞奴はその踊りと着物姿で、「日本女優」「マダム・サダヤッコ」と呼ばれた。帰国直後の明治34年5月、一座は再びヨーロッパへ興行に出かけた。

音二郎の演劇5 「正劇」と演劇の改良

 2回の海外興行の後、音二郎一座の演劇は大きく変化した。明治36(1903)年には「正劇」と称して「オセロ」「ハムレット」「ペニスの商人」などを上演した。花道は多用せず、洋画風の背景を用い、開幕中観覧席を暗くして電気で脚光を当てるなど、様々な演出法を実践した。また「改良五ヵ条」として開演時間を固定化し、観覧料を3分の1に値下げ、木戸銭や布団下足料を要求しないなどの改革を行った。

音二郎と博多

 若くして博多を出て役者として成功した音二郎であったが、その間も博多に戻っては故郷の人々との交流を大切にした。博多での最後の興行となった明治44(1911)年には寄付興行として収益を神社や孤児院に寄付した。また中対馬小路の家屋を櫛田神社に寄付している。川上家とのつながりも強く、とくに従兄弟の川上岩吉一家とは関係が深かった。音二郎の死後も、貞奴は岩吉の家族を「川上本家」として交際した。

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