アーカイブズ

No.197

考古・民俗展示室

わたしの原風景

平成14年2月13日(水)~3月24日(日)

祝部至善(ほうりしぜん)の描く博多の風俗

 祝部至善(1882~1974、本名卯平)は、博多中島町の生まれで、大正7(1918)年祝部家の養子となり、家業である櫛田裁縫専攻学校(くしださいほうせんこうがっこう)の3代目校長を務めました。その趣味は多岐にわたり、書道、弓道、茶道ほか多彩な才能を発揮しました。特に松岡映丘(まつおかえいきゅう)に師事した絵画は有名で、抜群の記憶力をもとに描いた明治期博多風俗画は、当時の風俗を知るのに重要な資料となっています。これらの風俗画は、彼自身の原風景であるとともに、なつかしい博多の風景としてよく利用されています。


▼魚売り


金魚や・肴売り

 祝部至善は「物売りの内に最も数が多く最も威勢のよいのがこの肴売りさんであった」と書き残しています。ねじり鉢巻(はちまき)に半纏(はんてん)姿で先を争って馳けていく魚売りは、博多の市場で仕入れた魚をあちこちの得意先へと売り歩くものでした。その触(ふ)れ声は「タイごわい、あいごわい」。べつにタイばかりを商うわけではなく、いろいろな小魚も扱いましたが、触れ声はいつもこうでした。
 同じ魚の行商でも、イワシ売りは「なまいそわい」と触れながらあるいたそうです。姪浜などでとれたばかりのものを大急ぎで売り歩いたので、籠の中ではまだイワシがピチピチと跳ねまわっていました。大勢の売り子が博多の町中でわれ先にと売り歩き、町中に「なまいそわい」の声が響いていました。売り方もたいそうせわしなく、5匹ずつ掴(つか)んで大急ぎで数えながら売っていたといいます。
 またカナギ(イカナゴ)は「かんだごわい」と触れながら歩いていましたが、イワシ売りとは対照的に売り子の数が少なく、升ではかりながらゆっくりと売り歩いていたそうです。


▼あぶってかもう売り


あぶってかも売り・おきゅうと売り

 アブッテカモはスズメダイの塩漬けで、「焙(あぶ)って咬(か)もう」がその語源。スズメダイは繁殖時になると大量に群れて、船の梶(かじ)をきるのも大変であったため「かじきり」とも呼ばれたと言います。その塩漬けもまた八百屋(やおや)で売られるほどで、ほとんどまともな魚としては扱われていませんでした。
 このあぶってかもう売りは、必ず若い娘さんか中年の婦人で、右脇に抱えた目籠(めかご)の上にチキリ(秤(はかり))を用意して、幾尾かをひと掴みして目方売りをしていました。祝部至善は、売り子はみな目鼻立ちの良い美人だったと回想しています。


▼淡島さまに御報謝


淡島さまに御報謝

 婦人病・安産祈願などに御利益があるとされる和歌山の淡島神社に代参する建前で家々を回る老女がいました。
 家の前で「淡島さまに御報謝(ごほうしゃ)・・・」と呼びかける姿は「お粗末なすがたなりにきっちりとした身のこなしであった」といいます。淡島様への祈願者は櫛(くし)・笄(こうがい)などを奉納することになっていますので、右手の杖には淡島さまの御神像、更に奉仕者からの代参者への届けもの、女のかもじ、根からぷっつり断った黒髪などを下げていました。
 こうした老女は、江戸時代にこの神の姿を入れた箱を背負って村々を歩きアワシマサマと呼ばれた修行者にその原形を見ることができます。


▼キセルの竿替え


桶のたが替え・キセルの竿替え

 キセルの吸口と雁首(がんくび)との間を継ぐのは、たいてい細い竹竿(羅宇(らう))です。キセルでタバコを吸うと、ここが脂(やに)で詰まってしまうので定期的に交換しなければいけません。この竿の取替えを専門にしたのが竿替え屋でした。
 木箱を担いで「キセルーのさおーかえ」と特有の句調で歩きました。竿替えの注文を受けると、注文者の軒先がそのまま仕事場になりました。
 のちに担ぎ荷は小さい車に載るようになり、キセルの具合を見るのに使う蒸気の吹き出しに、小さな笛をつけて触れ声の代わりとしていました。


▼飴湯(あめゆ)売り


あめゆ売り

 簡単な半纏(はんてん)に猿股(さるまた)のわらじ履き、頭には鉢巻(はちまき)という姿で「金比羅(こんぴら)名物、飴湯」と呼び立てます。担い屋台の前後に、立て長の赤あんどんがついていて、客用には幅の狭いバンコが用意されていました。
 ガラスのコップに盛られた飴湯は口もつけられぬほどに熱かったのですが、なぜかこれは夏の夜の飲み物として売られていました。
 祝部至善は、風呂帰りのおじいさんたちが、飴湯売りのバンコに腰掛け、うちわ片手にゆかたの片肌ぬぎで一服という姿を描いています。


「原風景」と「現風景」

 現在、福岡に住むものとって、これまで取り上げてきたさまざまな風景は、すでに見ることのできない過去のものとなっています。そして、きわめて個人的な記憶の語りである原風景は、決してそのまま他人と共有することはできません。明治時代の物売りをなつかしむことができる人はほとんどいないと言ってよいでしょう。
 ところが私たちは、こうした語りを材料とした郷土の歴史を見聞きし、また自分自身の体験をそこに重ね合わせることで、他人の原風景に共感を寄せることが少なからずあります。
 例えば、祝部至善が見た明治時代の博多の風俗を、私たちは知りません。けれどもそこに何らかの「なつかしさ」を感じるとすれば、それは自分自身の歴史と、祝部至善をはじめとして多くの郷土史家たちが聞き、語り、作りあげてきた郷土の歴史の物語とを重ね合わせた結果と考えられるでしょう。
 こうした「なつかしさ」への反応は、郷土に対して共感に基づく深い理解をもたらします。しかしいっぽうで、さまざまな媒体に乗って流布する、ごく個人的な記憶が、郷土の歴史として一般化し、それが「本当のこと」で、自分の経験は特殊なことのように感じられてしまう、という危険性も併せ持っています。
 このような危険性を減らしていくために私たちに求められているのは、自らの原風景を積極的に語り、自分の拠って立つ場所を見つめ直すとともに、多くの人の原風景に耳を傾け、失いながらも心の中で欲している「原風景」への想いを現在の生活の中に活かしていくことではないでしょうか。
(松村利規)

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