平成14年7月16日(火)~9月16日(月・祝)
時代も分野も多岐にわたる日本の古美術を、色んなテーマにそって紹介するシリーズ展「日本の色と形」。これまでは文様、色彩、季節感といった視点で主として近世の美術を紹介してきました。
今回は、「金」という特別な、色彩とはいえない色彩をとりあげます。
■貴金属の「金」と美術の「金」
1 木造如来像残欠 |
金は、銅についで古くから知られた金属です。また、その希少性と美しい光沢によって、常に財宝として扱われてきました。美術においても、装飾品や仮面や冠や容器など、特権階級の特別な品々が黄金で作られていますし、現在でも様々な文明展などで多くの人々を最も強く惹きつけるのはこうした金製品です。
金はきわめて細工しやすい性質をもっています。例えば金箔は、厚さ0.0001ミリの薄さにすることができます。また、わずか1グラムの金を伸ばしていくと、3キロメートルもの長さの針金を作ることができます。このような展性(てんせい)や延性(えんせい)がきわめて大きい性質も、金の加工技術が発達し、様々な造形が生み出された理由でしょう。
ところで、当館の所蔵品で有名な金製品といえば、国宝の「金印」や、金貨として世界一の大きさをほこる「天正大判(てんしょうおおばん)」などがあります。特に「金印」は、日本の金の歴史の最初に位置するものです。しかしながら、この展覧会は、そのような金の希少性や特別な価値をテーマとしているわけではありません。日本の美術作品には、金という素材、色彩を、きわめてセンスよく使ったものが数多くあります。黄金崇拝でも成金趣味でもない金の美術。それが今回のテーマです。もちろん「金印」も成金趣味とは無縁ですが。
■聖なる光
6 二十四孝図屏風 |
金が使われている日本の古美術で最初に思い出されるのは仏画や仏像などの仏教美術でしょう。お経にも、紺紙に金字で書かれたものがあります。仏教では、仏の肉身は金色と定められています。奈良東大寺の大仏も、作られた当時は黄金に輝いていたのです。また、仏殿の装飾にも、鮮やかな原色とともに金色が使われました。仏教美術の金は、色彩ではありません。それは仏とその教えの尊さを光の輝きにたとえて人々に感じさせるものだったといえます。仏殿の荘厳(しょうごん)に鮮やかな原色を用いるのも、赤と緑、黄色と青などの補色関係にある色彩の境界は、発光現象といって、じっと見つめていると光輝いて見えてきます。こうした色彩の心理的効果も仏教美術は巧みに利用しているのです。
また、これは聖なる光とはいえませんが、能面に使われる金色にも特別な意味があります。例えば、顔面を金に塗ったり、眼に金泥(きんでい)をさした面は、人間ではなく、神や霊を表しています。金はこの世ならぬ別世界の象徴なのです。
いずれにせよ、宗教が人の美的な活動の中心に位置していた古代から中世にかけては、金は色彩ではなく、単なる輝きでもなく、天上から地上を照らす光そのものだったといえるでしょう。
■色と光のはざま
9 瑞亀文蒔絵洋櫃 |
色彩を用いず、白と黒のモノトーンで表現する水墨画にも、金は使われています。水墨画では、普通一番明るい部分とは素地、つまり料紙そのものの色ですが、モノトーンの幅を広げ、素地よりも明るい白を表現したい場合、胡粉(ごふん)という白色顔料を用いることがあります。さらに、もっと明るく、色彩というよりは光を感じさせたい時や、画面に華やかさを加え、装飾的な効果を発揮させたい場合などに、金泥が使われます。
室町時代末期から桃山時代にかけての水墨画には、こうした金の使用が多く見られます。特に、小さな掛幅ではなく、屏風や襖など、室内を飾る大きな画面では、金色の雲や霞はきわめて効果的な表現でした。もともと金をふんだんに使っていた色彩豊かなやまと絵の表現を、水墨画が取り込んでいった結果だったといえるでしょう。それはまた、水墨画を育てた禅宗寺院が、世俗的な性格を強くしていった歴史とも関係しています。いわば、中世から近世へと時代が移り変わる時、金に対する感覚もまた、聖なる光から現世的な光へと意味が変化し、光であると同時に最も明るい色彩でもあるという捉え方が、絵師の中に芽生えていったのかもしれません。
■輝きの装飾
古代や中世においても、金を豪華で装飾的な効果をもたらす素材ととらえる感覚はもちろんありました。やまと絵や漆工芸など、世俗的な造形が保持していたこのような金に対する感覚は、江戸時代に入ると、より直接的にまた頻繁にさまざまな分野の作品に現れるようになります。絵画においては、漢画、やまと絵の区別なく金碧画(きんぺきが)が数多く描かれ、特に総金地の作品では、金はある時はモチーフを際だたせる確固たる壁のような質感をもち、またある時は光あふれる広々とした空間としてとらえられたりしています。
甲冑や刀装具などの金工品はむろんのこと、小袖や能装束などの染織でも摺箔(すりはく)や縫箔(ぬいはく)といった金を使う様々な技法が高度に発達し、漆工では千差万別の金蒔絵が描かれています。江戸時代の装飾的な美術作品においては、金はなくてはならない素材でした。あらゆる造形にわたる恒常的な金の使用は、金に対する感覚を磨き、金を使った意匠においては、日本の美術は世界的にみても最も洗練された感覚をみせるに至ったのです。
日本は金をふんだんに産出する国ではありませんでした。しかし、美術作品に限っていえば、マルコ・ポーロのいうように、ジパング(黄金の国)だったのかもしれません。
(中山喜一朗)