平成14年10月1日(火)~平成15年3月30日(日)
立体曼荼羅(りったいまんだら) (ルーラン・キルコル) |
部門別展示室3では南蔵院(なんぞういん)寄贈のチベット仏教コレクションをもとに、これまで数回にわたりチベット仏教に関する展示をおこなってきました。今回は、前回の「堂内の荘厳(しょうごん)」に引き続き仏教的宇宙(世界)観のモデルである曼荼羅(まんだら)と、それを構成しているさまざまな尊格(そんかく)について紹介します。
展示では、まず曼荼羅の原初的な姿である須弥山図(しゅみせん)から仏教における宇宙(世界)観を紹介します。続いてチベット仏教の諸尊を如来(にょらい)、菩薩(ぼさつ)、守護尊(しゅごそん)
、女尊(じょそん)、護法尊(ごほうそん)のカテゴリーに分け、それぞれの働きについてみていきます。
曼荼羅とは、これら多種多様な諸尊が有機的につながりをもちながら、全体としてひとつの世界をかたち作っていることに他なりません。
本展示では曼荼羅を立体的にあらわした立体曼荼羅や、チベット仏教ニンマ派にみられる寂静(じゃくじょう)・忿怒(ふんぬ)百尊曼荼羅なども紹介します。このような曼荼羅とそこにあらわされた尊格を通じて、チベット仏教の壮大な世界を感じてください。
▼曼荼羅(まんだら)と須弥山(しゅみせん)
須弥山図 (しゅみせんず) (リリン・ラネーキ・クーパ) |
曼荼羅とは古いインドの言葉で「本質を有するもの」あるいは「輪円」と訳されます。それは具体的には私たちを取り巻く世界とその仕組みのことを意味していました。
このような曼荼羅を誰にでもわかる形に表現しようとした時、そのモデルとなったのはインド古来の世界観である須弥山でした。 須弥山は物質を構成する四大元素(地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう))でできた円盤上にそびえ立つ巨大な山です。山の頂上には帝釈天(たいしゃくてん)の宮殿があり、その上方には何層もの天界が広がっています。須弥山の四方には海があり、その中に私たちの住む大陸や島があると考えられていました。平面的に描かれた曼荼羅は、このような世界を真上から見たイメージといえるでしょう。
▼曼荼羅(まんだら)の神々(かみがみ)
曼荼羅とは私たちをとりまく世界を、須弥山とそこに住む多数の尊格の姿を借りて表現したものです。それぞれの尊格は人間の体や心を構成する要素(例えば肉体の構成元素、思考、感覚など)を象徴しており、これらが有機的に関係しあって現実の世界ができていることを表しています。
チベット仏教の曼荼羅を構成する尊格は、須弥山に上下あるいは中心と周辺の違いがあるように、その働きによっていくつかの種類に分けることができます。それが次にみる如来・菩薩・守護尊・女尊・護法尊です。
▼如来(にょらい)
法身普賢(ほっしんふげん) (クンツ・サンポ) |
如来とは悟りをひらいた仏(ほとけ)(ブッダ)のことであり、最初は釈尊(しゃくそん)(お釈迦様)一人のことを指していました。しかし仏教の発展と並行して釈尊は歴史上の人物から、しだいに聖なる存在として扱われるようになりました。その結果、釈尊と並ぶ多くの如来が考え出され、東西南北に対応する四方四仏(しほうしぶつ)と、これらを一つにまとめる大日(だいにち)如来があらわれました。これがいわゆる五仏(ごぶつ)であり、後には曼荼羅の中心部を構成する基本形となりました。
如来の姿は通常出家者としての釈尊のイメージを引き継いでいるため、袈裟(けさ)をまとう姿にあらわされます。しかし、大日如来などの密教的な如来は宝冠や豪華な装身具を着けています。
▼菩薩(ぼさつ)
金剛薩(こんごうさっ)た (ドルジェ・セムパ) |
菩薩とは「悟りの勇気を持つ者」という意味で、自分だけでなくできるだけ多くの人々を救済しようとする大乗(だいじょう)仏教の教えを反映した尊格です。つまり菩薩は如来となるために常に修行を続けるいっぽう、他の人々を悟りに導く存在といえます。
その種類は数多く、中でも弥勒(みろく)・観音(かんのん)・文殊(もんじゅ) ・普賢(ふげん)・金剛手(こんごうしゅ)・虚空蔵(こくうぞう)
・地蔵(じぞう) ・除蓋障(じょがいしょう)は八大菩薩と呼ばれ、曼荼羅では人間のもつ八つの感覚をそれぞれ象徴するといわれます。
菩薩の姿は元来インドの貴族の姿をモデルにしていたため、きらびやかな装身具を身につけるのが普通です。
▼守護尊(しゅごそん)
最勝(さいしょう)ヘールカ (チェチョク・ヘールカ) |
チベット仏教では寺院や僧侶が、それぞれ魔物から身を守るため特定の尊格を「守り本尊」とする習慣があります。これを守護尊(イダム)、あるいは秘密仏と呼び、その多くは男尊と女尊が抱き合った姿であらわされます。
代表的な守護尊には恐ろしい水牛の姿をした「怖畏金剛(ふいこんごう)」や、妖艶な「秘密集会(ひみつしゅうえ)」、「時輪金剛(じりんこんごう)
」などがあります。
これらの尊格はいずれも日本には伝えられなかったため、私たちには馴染みがありません。しかし、性のエネルギーを利用して悟りに至ろうとする後期密教(タントリズム)の教えを含むチベット仏教では曼荼羅の主尊にもなるなど、重要な尊格とされています。
▼女尊(じょそん)
空行母(くうぎょうも) (ダーキニー) |
仏教では戒律(かいりつ)(僧侶が守らねばならないきまり)を重視する立場から、元来性的なことはタブー(禁忌)とされていました。しかしインドの仏教は六世紀頃になると女神崇拝の盛んなヒンドゥー教の影響を受けて、しだいに性的な要素を取り入れていきました。
仏教における女尊はこのようにして生まれ、後期密教の時代(九世紀以降)になると如来や菩薩にはそれぞれの妃(きさき)が考え出されました。
代表的な女尊としては観音菩薩の妃とされる多羅(たら)菩薩(ターラー)や、守護尊ヘールカの妃である空行母(くうぎょうも)(ダーキニー)などが知られています。
▼護法尊(ごほうそん)
財宝神(ざいほうしん) (ジャムバラ) |
仏法を守る役割をもった尊格で、古いインド土着の神々が仏教に取り込まれたものです。日本では一般に天部と称される尊格がこれに相当し、現世利益(げんせりやく)的な信仰と結びついて民間で人気をもつ尊格が少なくありません。
その種類は多彩で、東西南北の各方角を守護する四天王や死をつかさどる大黒天、火天や水天、風天といった自然現象を象徴する神々がこれにあたります。また、不動明王(ふどうみょうおう)など日本では明王として分類される尊格もチベット仏教では護法神に含まれています。
曼荼羅では如来や菩薩の周辺にあらわされ、曼荼羅を外敵から護る働きをするといわれます。