アーカイブズ

No.213

黒田記念室

近代の日本人と写真2

平成14年11月19日(火)~平成15年1月19日(日)

 フランスで、ダゲレオタイプ(銀板(ぎんばん)写真)の技術が発表されたのは、1839年のことです。発表当時の技法では、露光時間が明るい場所でも20分ほどかかったようです。1回の撮影で1枚の写真しか得られず、その写真も鏡に映ったように左右が逆になってしまうという銀板写真の欠点を克服した湿板(しつばん)写真が発明されたのは、1851年のことです。湿板写真は、ガラス板に薬品を塗り、それが湿っている間に撮影・現像をする方法です。露光時間は秒単位になり銀板写真に比べると格段に便利になりましたが、撮影した場で現像をしなければならず、専用のスタジオ以外での撮影はたいへん不便でした。1871年には、ゼラチン乾板(かんばん)が発表され、湿板写真の欠点は克服されました。


古川俊平に写真術を学ばせた
福岡藩主黒田長溥

 日本に銀板写真が渡来したのは1840年代のことです。福岡藩は、安政3(1856)年頃から、銀板写真の研究を始めたようです。藩士の古川俊平(ふるかわしゅんぺい)(1834~1907)を長崎に留学させ、写真術の修得にあたらせました。古川は銀板写真の撮影に成功したと伝えられていますが、残念ながら、現在は、彼が撮影した銀板写真の存在を確認することはできません。福岡藩が銀板写真の研究をしていた頃、長崎へはすでに湿板写真が輸入され始めていたそうです。ですから、文久2(1862)年に長崎と横浜で日本で最初の写真館が開業したとき、そこでは、湿板写真の技術が採用されていました。そして、明治時代の中頃には、乾板写真が日本でも一般的になり、露光時間もさらに短くなって、湿板写真では難しかった瞬間をとらえる写真をうつすこともできるようになりました。


横浜写真


横浜写真

 明治時代の前半には、日本の風景や日本人の風俗を撮影した白黒写真に丁寧に色をつけたものが、海外向けの商品としてたくさんつくられました。サンプルの中から好みの写真を選び、蒔絵の表紙をつけて製本したアルバムが、輸出されていたようです。その多くが横浜でつくられていたため、これらの彩色写真は「横浜写真」と呼ばれています。しかし、明治時代の後半になると、写真を印刷する技術が普及し、手間のかかる彩色写真はあまりつくられなくなりました。


名刺判写真とブロマイド

 1854年にフランスで、1枚の大きなガラス原板に8~10枚の肖像を撮ることで価格を下げた名刺サイズの写真が考案されました。これが欧米で流行し、自分の肖像を名刺判写真で撮り、この写真を訪問先で交換するという習慣をうみだしました。また、名刺判写真は交換だけではなく、収集や売買の対象ともなりました。日本でも、当時の有名人の肖像を40人分も1枚に集めた名刺判写真が商品として流通しました。また、景勝地の風景などを撮影した名刺判写真も土産として商品になっていたようです。
 役者絵などの例もあるように、写真以前から有名人の肖像は商品になるものでした。そして、もちろんブロマイドは人々の楽しみのために流通する写真の代表ともいえるものです。特に、映画が庶民の娯楽となって以降は、「銀幕のスター」のブロマイドは数限りなくつくられました。 

絵はがき

 日本では、明治33(1900)年10月に、私製葉書=絵はがきの発行と使用が許可されました。明治時代の後半というとちょうど写真を印刷する技術が普及した頃でもあります。そのため、絵はがきにはさまざまな写真が使われました。現在も絵はがきの主流である景勝地の風景などをうつした名所絵はがきのほかに、ニュース性のある出来事を伝える写真を印刷した絵はがきもたくさん発行されました。明治37~38年の日露戦争の際に発行された「戦役記念」の絵はがきは、絵はがき収集ブームの契機になったといわれています。
 また、当時は、鉄道網が徐々に整備され、遠距離の移動が容易になり、旅行がしやすくなった時期でもありました。観光や仕事などさまざまな理由で、遠隔地へ出かけた際に、家族や友人・知人に絵はがきを送ったり、手軽な土産として、旅先の名所絵はがきを購入することも多かったにちがいありません。


ステレオ写真


反射式覗き眼鏡


ピープショー
ロンドン万国博覧会
「水晶宮」

 写真が発明される前から、平面に描かれたものを立体的に見せる工夫がいろいろありました。極端に遠近感のある絵を描くのもその工夫の一つです。 また、レンズを通して遠近法によって描かれた絵を見る「覗き眼鏡」もあります。また、額縁のように背景を幾つかに分けて描き、それを正面から覗く「ピープショー」も平面に描かれた絵で奥行きを楽しむ方法でした。
 イギリスでは、1830年代に、そっくりに描いた絵を2枚向かい合わせに直立しておき、その間に鏡を2枚、それぞれ45度の斜めの角度にセットし、鏡に映った画像を別々の目で見ることで立体的な像をえることができる装置が発明されました。「レフレクティング・ステレオスコープ」と呼ばれた装置です。
 また、銀板写真と同じ頃に開発されたカロタイプ(紙写真)と呼ばれる写真技法を使って、左右にわずかに視点をずらして同じモノを撮影した写真をならべ、それぞれを左右別々の目で見ることで、立体的にモノを見ることができる立体写真=ステレオ写真が、1840年頃に発表されたようです。1851年にロンドンで開催された世界初の万国博覧会には、ステレオ写真が専用のビュワーとともに出品され、当時のイギリス国王であるヴィクトリア女王も、それを楽しんだといわれています。何枚でも容易に複製できるガラス板を種板(たねいた)につかう湿板写真や乾板写真が開発されたことで、ステレオ写真は、一般にも普及しました。19世紀の終わり頃、ステレオ写真はアメリカでも大変流行しました。19世紀の後半は、蒸気船の定期航路が延び、世界旅行が可能になった時期でもあり、世界各地の風景や風俗を撮影したシリーズも販売されました。



ステレオ写真

 日本でも、東京に本部をおいた「萬国實體寫眞協會(ばんこくじったいしゃしんきょうかい)」が、会員を募り、日本国内はもとより海外の街並みや風俗などを撮影したステレオ写真を販売しました。毎月12枚1組で会員に頒布されるステレオ写真には、それぞれの写真についての解説をまとめたパンフレットが付属していました。その解説書は、日本語のほか、中国語、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語の解説が掲載され、海外でも会員を募集していた様子がうかがえます。
(太田暁子)

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