平成15年3月4日(火)~4月27日(日)
芦屋町山鹿貝塚埋葬人骨 |
いつの時代も美しくありたいと願うのは人の世の常です。人は色々な素材を用いてアクセサリーを作り、身に装ってさまざまな思いを表現しています。人はいつの頃からどうして身を飾り、何を主張しようとしたのでしょうか。
はるか8000年の昔より、縄文人は貝や石、骨などで作った髪飾りや耳飾り、首飾りなどを身に着けていました。なかでも南海産の巻貝(まきがい)や北陸のヒスイは珍重され、はるか遠くの地域まで運ばれています。
次の弥生人たちは、どのような思いでさまざまなアクセサリーを身に装ったのでしょうか。弥生人たちは、縄文時代にはなかったガラスや金属などの新しい素材を使って美しく輝くアクセサリーを創り出しています。k珍奇な巻貝の貝輪やヒスイの勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、ガラス玉などのアクセサリーは、すべての人が身に着けていた訳ではありません。それは限られた人、つまりムラやクニを治めた首長やシャーマンたちが意志や権威の象徴として身に着けたと云われています。美しく光り輝くアクセサリーには身を飾るだけでなく、装飾以上の意味が込められていたようです。きらびやかに輝くアクセサリーに秘められた古代人の思いを探ってみたいと思います。
アクセサリーのはじまり
日本人は、いつの頃からアクセサリーを身に着けたのだろう。
縄文時代には、貝や骨、石、木、土の櫛(くし)や耳飾り、首飾り、腕飾り、腰飾りなどさまざまな形や種類のアクセサリーが作られています。なかでもクマやイノシシ、シカ、オオカミ、サメなど動物の牙(きば)や骨を加工した耳飾りや首飾りは、形のおもしろさだけではないようです。それらを身に着けることで動物のもつ霊力が得られると信じ、呪力と権威を示す特別な装身具として用いられた節があります。同じように鹿の角でできた腰飾りや杖状の威儀具は、司祭者やシャーマンの権威や霊力を体現する特別なアクセサリーであったようです。
また、不透明な緑白色に輝くヒスイの玉や大珠(たいしゅ)などは、霊力をもった神秘的な宝石として珍重されていたようです。
弥生時代のアクセサリー
福岡市 東入部遺跡銅釧出土状況 |
縄文時代の終わりに朝鮮半島から伝来した稲作農耕文化は、さまざまな分野に影響を与えました。新しい技術や情報、文物とともに各種の儀礼や習慣も伝わりました。
アクセサリーもそのひとつで、縄文時代から受け継がれた貝や骨、木、石などで作られたもののほかに南海産の巻貝や大陸からもたらされた金属やガラスなど新たな素材のものが現れ、縄文の伝統を受け継ぐ品々とともに弥生社会の中に拡がっていきます。なかでも青や緑に光る新しい素材のガラスは、珍奇な貴重品として受け入れられました。新しい文物のあらゆるものを吸収しようとした弥生人のエネルギーが生み出したアクセサリーでした。ところが、ヒスイの勾玉や管玉などは古い伝統的な形の模倣(もほう)にとどまり、新しい形を生み出すことはありませんでした。そこには形に込められた装飾以上のなんらかの意味があったようです。
新しい素材のアクセサリー
弥生時代には、縄文時代からの伝統的なもののほかに、新しい種類のアクセサリーが現れます。なかでも巻貝の腕輪は、伝統的な形の模倣にとどまったガラスに較べてさまざまな形を生み出しています。貝輪は、種類や形によって性別や年齢の違いがあります。そこには貝輪に新しい役割が生まれ、新たな意味と形が創出されたのかもしれません。
しかし、これらのアクセサリーは、誰でもが身に着けていた訳ではありません。殊に、貝輪を着ける人は幼い頃に選ばれ、生産活動に参加しなくともよい人でした。また、貝輪をはめたけた人と青銅製武器をもつ人は異なります。社会的地位の異なるシャーマンと首長であったと思われます。このように貝輪などのアクセサリーには、単に身を装うだけではなく、特定の材質や形、色によって装飾以上の社会的な機能を表す意味があったようです。
古墳時代のアクセサリー
飯塚市 立岩遺跡 髪飾り出土状況 |
弥生人たちが身に着けたさまざまなアクセサリーは、古墳時代にも受け継がれます。玉類は、ヒスイやガラスに加えてメノウ・水晶(すいしょう)・琥珀(こはく)・碧玉(へきぎょく)製のものが多くなり、数百個のガラス小玉を綴(つづ)った頭飾りや首飾りも現れます。また、南海産の貝輪をモデルにした銅釧(どうくしろ)や、鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧などの腕飾りが出現し、銅鏡とともに権威の象徴として扱われます。
ところが、大陸からもたらされた冠(かんむり)や冠帽(かんぼう)、耳飾り、首飾り、腕輪などの金や銀、金銅製品の出現によって呪術的、宝器的な様相が一変します。弥生人が緑のヒスイや貝輪などのアクセサリーに権威への憧れと辟邪の思いを込めたのに対し、きらびやかに輝く金銅製品に権威とともに豪華な装身の意義を見出したのではないでしょうか。
(小林義彦)