平成15年3月25日(火)~5月25日(日)
4 裳 女房装束のうち |
江戸時代、ファッションの主役は豊かな冨をたくわえた町人であり、伝統と格式を重んじた公家と武家の装いには、目立った変化は見られませんでした。公家の装いは平安時代に、武家の装いは戦国時代の終わりとともにスタイルが確立してしまい、以降はそれを尊重することが公家らしさ・武家らしさを示すことと考えられていたからです。それでも、どこかに自分らしさを発揮したいと思うのが人というもの。近世の公家と武家の装いには、長い伝統が培(つちか)った美意識と、個人のセンスが調和した独特の面白さがあります。
この展示では、江戸時代から幕末明治にかけての公家や武家の服飾品を集めてみました。華やかな町方の服飾とは違う公家・武家の品格あるファッションは、現代の私たちに新鮮な印象をもたらしてくれることでしょう。
◆雅(みやび)のスタイル ―公家の装い―
2・3 唐衣・表着 女房装束のうち |
公家の服装は、文化の国風化が進んだ平安時代に確立しました。以来、千年以上大きな変化を見せることなく伝統が受け継がれてきました。その特徴は、袖口の大きく開いた衣を何枚も重ね着することで、衣の重なりによる色彩の調和、たっぷりした量感が、装いの優雅さを演出しています。特に、単(ひとえ)と袴(はかま)の上に色とりどりの袿(うちぎ)を重ね、唐衣(からぎぬ)と裳(も)をつけた宮中の女房たちの装束は、「十二単(じゅうにひとえ)」の名のもとによく知られており、王朝文化の雅を代表する存在と言えるでしょう。ただし、「十二単」の語は、本来は、唐衣と裳を省略し袿を重ねただけのくつろいだ姿を意味すると言われています。
公家の服飾では、織りによる文様が尊ばれたので、三重襷(みえだすき)、小葵(こあおい)、立涌(たてわく)などの雅な文様を織り出す有職織物(ゆうそくおりもの)が発達しました。また、色のコーディネイトはだんだんと定例化し、配色のきまりが成立しました。これを重色目(かさねいろめ)といい、四季の草花にちなんだ呼称がつきました。例えば「菖蒲(しょうぶ)」といえば、単を白とし、紅梅・紅・白・薄青・青の袿を重ね、青の表着(うわぎ)を組み合わせるコーディネイトの仕方を指します。なんとも雅やかな美意識です。
◆つわものの洒落(しゃれ)心 ―武士の装い―
1 御上直衣 孝明天皇の夏の料 |
武家の服装は、はじめ、晴れの場では公家の装束にならい、日常の装いは庶民や下級役人とたいして変わりませんでした。やがて、社会的身分の向上とともに、ふさわしい格式と独自性を獲得していきます。そのやり方は、武士の活動にふさわしい機能的なスタイルを正装化・礼装化していくことでした。例えば、江戸時代に一般的になる肩衣(かたぎぬ)・袴(はかま)(裃(かみしも))は、室町時代まではあくまで臨戦時の衣服であり、殿中で着用するなどとんでもないことでしたが、だんだん平時の出仕の服装としても定着してゆき、江戸時代に正装としての地位を占めるにいたったものです。
戦国から桃山時代には、有力な大名たちが舶載の珍しい織物で南蛮風の衣服をあつらえるなど、新興勢力にふさわしい大胆なお洒落を楽しんでいました。その気風は江戸時代、陣羽織などの戦衣に受け継がれていきます。
◆江戸解(えどどき)の趣 ―武家女性の装い―
10 裃 14 小袖 (霞取草花山水文様) |
武家女性の服装もまた、はじめは、あまり公家女性の日常の装いと変わるところがなかったようです。室町時代には、袴を省略するようになり、下着として袴に着込めていた小袖(こそで)がだんだん上着化し、打掛として用いられるようになります。
戦国から桃山時代にかけては、有力大名の奥方たちが刺繍や染めの技巧を凝らした豪華な小袖をあつらえるようになりました。江戸時代の服飾の展開は、富裕な町方の婦女子の贅沢な小袖が中心的役割を果たすのですが、その先駆として近世初頭の武家女性の小袖は大きな意味を持っています。
江戸時代には、公家女性の間にも小袖の着用が一般化します。これは、徳川二代将軍秀忠の娘(東福門院)の入内(じゅだい)によって武家の風俗が公家の社会に広まったためと言われています。このことからも、公家女性の小袖着用の風習は、近世の服飾の展開に意外に大きな役割を果たしていたと言えるでしょう。
江戸時代も中頃をすぎると、武家女性の小袖の意匠は、最新流行を取り入れた町方の小袖とは大きく隔たってしまい、文様もいくつかのパターンに類型化してしまいます。しかし、文様自体は刺繍と染めを併用した大変手の込んだものでした。中でも、「江戸解」あるいは「御所解(ごしょどき)」と呼ばれる独得の景色文様は武家の小袖の典型的な意匠のひとつでした。江戸解文様には、文様モチーフによって能の謡曲の内容が暗示されていることがよくあります。庵と琴があったら『小督(こごう)』、菊と硯があったら『菊慈童(きくじどう)』といった具合です。曲の内容により恋の情趣や長寿のめでたさなどが暗示されるわけですが、能は武家の式楽として親しまれていましたから、文様のニュアンスは着る側も見る側も即座に理解することができたことでしょう。
(杉山未菜子)
◆◆◆出品目録◆◆◆
(1)御上直衣/孝明天皇の夏の料
(2)唐衣/女房装束のうち
(3)表着/女房装束のうち
(4)裳/女房装束のうち
(5)五衣/女房装束のうち
(6)単/女房装束のうち
(7)御袿/昭憲皇太后の料
(8)御縫御召/允子内親王の料/篠原統氏寄託
(9)小袖(紅梅枝文様浮織物)
(10)裃/吉井喜雄氏寄贈
(11)陣羽織/樋口潤二氏寄贈
(12)火事羽織/吉井喜雄氏寄贈
(13)火事兜錣/由布昭二氏寄託
(14)小袖(霞取草花山水文様)
(15)小袖(雲流水に菖蒲蔦文様)