平成15年4月1日(火)~9月28日(日)
部門別展示室3では南蔵院(なんぞういん)寄贈のチベット仏教コレクションをもとに、これまで数回にわたりチベット仏教に関する展示をおこなってきました。前回は、曼荼羅(まんだら)とそこにあらわされた神々をとりあげましたが、今回はさらに理解を深めるため、法要などの場において重要なはたらきをする密教法具を紹介します。
展示では、まず方便(ほうべん)(衆生(しゅじょう)を導く優れた手段)と般若(はんにゃ)(悟(さと)りの智慧)をあらわし、最も重要な法具とされる金剛杵(こんごうしょ)と金剛鈴(こんごうれい)をとりあげます。そして密教的なイマジネーションの世界で象徴的に用いられる多彩な法具を紹介します。また導師坐や法要用曼荼羅などを通じて、仏と人が交わる法要の場を再現し、護摩(ごま)や灌頂(かんじょう)といった密教特有の儀礼の世界をみていくことにします。
ここでみる不思議な形をした密教法具は、祈りや儀礼の中で一体どのような意味をもち、役割を果たしているのでしょうか。目にはみえない神秘の世界に触れ、しばし人間のもつ想像力の豊かさに思いを巡らしてみることにしましょう。
1、金剛杵(こんごうしょ)と金剛鈴(こんごうれい)
金剛杵(右)と金剛鈴(左) |
数ある密教法具の中で最も重要なものに、金剛杵と金剛鈴があります。このうち金剛杵は古代インドの太陽神インドラ(帝釈天)がもつ武器(ヴァジュラ)が仏教に取り込まれたもので、金剛鈴は楽器である鈴に金剛杵が取り付けられたものです。
これらの法具は日本でも大切にされ、金剛杵は煩悩(ぼんのう)を打ち砕く堅固な心を象徴し、金剛鈴は澄んだ音によって仏を喜ばせ、自らの内に眠る仏性(ぶっしょう)(悟りの可能性)を呼び覚ます働きをもつといわれています。
しかし、チベット仏教では金剛杵は方便を象徴するのに対して、金剛鈴は般若を象徴し、これらが一つになることで衆生が救われると説かれます。つまり金剛杵と金剛鈴は二つで一つの法具として扱われ、仏教における重要な要素を体現しているのです。
2、象徴としての法具
斧鉞(右)と 金剛槌(左) |
仏教における密教は、身体(身(しん))・言葉(口(く))・心(意(い))の働きを介して自己(小宇宙)と仏(大宇宙)とが本来同一のものであることを体験的に理解する即身成仏(そくしんじょうぶつ)を最終的な目的としています。その修行では印(いん)(ムドラー)と呼ぶ様々な意味を象徴する手の形や、仏の徳をあらわす真言(しんごん)(マントラ)、そして精神集中によるイマジネーションである観想(かんそう)(サマーディ)が駆使されます。密教法具とはこのような修行の中で用いられる象徴的な意味をもつ道具です。
それは例えば「斧鉞(ふえつ)」が鋭い斧が大木を切り倒すように輪廻(りんね)の世界を断ち、「金剛槌(こんごうつい)」は堅固な槌(つち)が硬い物を粉々に砕くのと同じく、心の中に潜む魔物を打ち砕く…というように、それぞれが精神世界において作用する特定のはたらきをあらわしています。
3、護摩(ごま)と祈祷(きとう)
護摩杓(部分) |
護摩は火に供物(くもつ)を投げ入れて様々な祈願をおこなう、ホーマと呼ばれる古代インドに由来する宗教儀礼です。チベットに限らず密教では、このような現世利益的な儀礼をおこなう点に特色があります。通常では祈願の種類によって、無病息災を祈る「息災(そくさい)」、運の向上を願う「増益(ぞうやく)」、他人の愛を得ようとする「敬愛(きょうあい)」、そして敵に対して呪いを込める「降伏(こうふく)」という四つに分類されます。
護摩をおこなうためにはまず護摩壇(ごまだん)を築き、前行(ぜんぎょう)という複雑な準備を経た上で本尊である火天(かてん)(日本では不動明王)を招き、そして護摩炉(ろ)に様々な供物を投げ入れて供養をおこないます。この時いくつかの法具が用いられますが、護摩炉や護摩杓(しゃく)は中でも特に重要なものです。その形は護摩の目的によって異なり、息災なら円形、増益なら四角、敬愛なら半円、降伏なら三角とそれぞれ決められています。
4、灌頂(かんじょう)儀礼と法具
護摩と並んで重要な儀礼とされる灌頂とは、元来は頭に水を注ぐというという意味で、古代インドの国王が即位の際におこなったアビシェーカと呼ばれる儀式が仏教化したものです。
密教では、師から弟子へと直接教えが受け継がれることをとりわけ重視することから灌頂儀礼が発達し、灌頂を受けたことが法を受け継いだ証(あかし)とされました。
灌頂には一般の在家信者と仏を深い縁で結ぶ結縁(けちえん)灌頂と、修行をおこなう僧侶が受ける伝法(でんぽう)灌頂の二種類があります。このうち伝法灌頂では修行のレベルに応じていくつかの種類があり、その中で様々な法具が用いられます。
今回展示した髑髏杯(どくろはい)はチベット仏教特有のもので、宗教的な意味づけをされた特別な水を満たす容器です。また、鏡(かがみ)は灌頂儀式を受ける者に見せ、映った姿が仮のものであるように全ての物事には実体がないことを教えるために用いられます。
髑髏杯(護摩用) |
髑髏杯(灌頂用) |
穀物器 |
降伏具 |
鏡 |
(末吉武史)