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No.225

考古・民俗展示室

館蔵中国・韓国考古資料展

平成15年7月8日(火)~9月21日(日)

はじめに


ガラス壁

 福岡市博物館は、今年で開館13周年を迎えます。博物館の常設総合展示室が、対外交流をテーマに構成されていることは、皆さんもよくご存じのことと思います。
 常設総合展示室の最初のコーナーは「奴国(なこく)の時代」です。今から約2,000年前、福岡平野にあった奴国は、朝鮮半島・中国大陸に近いという地の利を生かして、活発な対外交流に乗り出していました。その結果半島・大陸からたくさんの文物が持ち込まれ、日本列島の古代文化を発展させる大きな役割を果たしました。その遺物の一部は展示室にも並んでいますね。
 しかし、出土した遺物は必ずしもよい状態で残っているわけではありません。それが大陸や半島のものだと判断するためには、実際にその地ででているものと比較する必要があります。同様に、出土遺物を展示するときにも、比較できる現地の資料があれば一層理解しやすくなるでしょう。福岡市博物館では、こうした観点から、北部九州周辺でで出土したものと比較できる中国大陸・朝鮮半島資料を収集してきました。しかし、展示スペースなどの関係で、今まで展示する機会は非常に限られていました。今回は、これまでに収集した中国・韓国の考古資料を一堂に集める機会となります。展示を通して博物館の収集活動の一環についてご理解いただければ幸いです。

1、中国の考古資料


雲雷文内行花文鏡


中国式胴剣


縄蓆文短頚壷


高坏形器台


脚付長頚壷

 中国はアジアで最も早く文明が花開いた地域として知られ、紀元前1,600年頃には最初の王朝が開かれていました。その後も分裂と統一を繰り返しながら、優れた文化や文物を周辺地域に及ぼしていきました。日本列島には主に漢(かん)代(紀元前206年~紀元220年)以降の文物が流入してきます。


 中国の鏡

 古代中国では、鏡は主に青銅で作られ、今から約3,500年前の殷(いん)代に出現しました。鏡のほとんどは丸く作られ、背面の中央に紐通しの孔(あな)をうがった突出部(鈕(ちゅう))があります。殷代の鏡の背面の文様は単純な幾何学文で、東北アジアに伝わったものは祭りの道具となり、つり下げて用いるために鈕が偏って作られた多鈕鏡(たちゅうきょう)になります。このうち朝鮮半島で発達した細かい文様のもの(多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう))が、弥生時代の日本列島にも伝わり、吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡などでも出土しています。中国では、戦国(せんごく)時代頃から盛んに作られはじめ、漢代には多量の銅鏡が鋳造されます。漢代には鏡は日常的な化粧道具として用いられたと考えられますが、背面の文様には、神仙(しんせん)や瑞獣(ずいじゅう)、吉祥句(きっしょうく)など当時の宇宙観を示すものが鋳出されています。前漢代の後半頃から日本にも鏡が流入し始め、弥生時代から古墳時代を通じて多量の鏡が、おもにお墓に副葬されています。九州でも、奴国王や、伊都(いと)国王の墓には、たくさんの鏡が副葬されていることはよく知られています。


 中国の武器

 殷代には武器も青銅で作られるようになります。武器には長柄で敵を突くもの(長兵(ちょうへい))、長柄で刃が鎌のように横向きにつき、敵を引っかけたり撫(な)で切るもの(勾兵(こうへい))、佩用(はいよう)するための剣や刀(短兵(たんぺい))に大きく分けられ、長兵には矛(ほこ)や槍(やり)、勾兵には戈(か)などがあります。これに遠距離用の武器である弓矢を加えた組合せが、古代中国の武器の基本となっています。剣、矛、戈のセットは東北アジアから朝鮮半島に広がり、日本にも弥生時代に流入しました。当初は有力者の持ち物として副葬されたものが、弥生時代中期後半頃から、実用に耐えない大形の祭りの道具になっていったこともよく知られた事実です。
 弓矢は新石器時代の狩猟用具から発達し、獣に向けられていたものが人に向けられるようになりました。殷代には青銅製の鏃(やじり)が出現します。戦国時代には引き金を引くボウガン形式の弩(ど)が出現し、漢代に流行しました。

2.朝鮮半島の考古資料
 旧石器時代以来、朝鮮半島を通じたルートは、外来文化を受け入れる最も重要なルートであり続けてきました。とくに稲作農耕が伝わった弥生時代以降、この地域からは鉄や青銅器、乗馬の風習、陶器を作る窯など、後の日本文化の基層となる文物が絶えず流入してきました。


 朝鮮半島の陶質土器

 朝鮮半島では、紀元3世紀ころから窯で焼いた硬質の土器が作られ始めます。この技術がどこから来たかまだはっきりしませんが、楽浪郡(らくろうぐん)あたりに伝わっていた中国大陸の製陶技術であろうと考えられます。とくに4世紀ころから半島東南部(慶尚道(キョンサンド))では、お墓に土器を多量に副葬する風習が始まり、それにともなって多量の陶質土器(とうしつどき)が生産されました。当初は慶尚道全域で類似した土器が作られていましたが、5世紀ころ、慶州(キョンジュ)に起こった新羅(しらぎ)の勢力拡大により、洛東江(ナクトンガン)をはさんで新羅系、加耶(かや)系に大きく分かれていきます。また、統一した国家ではなく、小国連合の状態であった加耶諸国では、高霊(コリョン)系(大加耶)、金海(キメ)系(金官(きんかん)加耶)、固城(コソン)系(小加耶)など、地域色豊かな土器が作られました。しかしこれらの諸地域では、6世紀の新羅による加耶諸国の統合にともない、新羅系土器が広がっていきます。
 このほか、早くから楽浪郡、帯方郡(たいほうぐん)の影響を受けた百済(くだら)(京畿道(キョンギド)、忠清道(チュンチョンド)、6世紀に百済の領域に入った半島西南部(全羅道(チョルヲド))地方にも、独特な土器文化が花開きました。しかしこれらの地域でも、7世紀の百済の滅亡と、新羅による半島の統一により、統一新羅様式という土器に変わっていきました。

(宮井善朗)

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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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