平成15年7月23日(水)~9月21日(日)
1. 小面 |
「源平などの名のある人のことを花鳥風月(かちょうふうげつ)に作り寄せて、能よければ何よりもまた面白かるべし」―『風姿花伝(ふうしかでん)』にある世阿弥(ぜあみ)の言葉です。能には『平家物語』を題材にした曲がたくさんあります。和歌や管弦に秀(ひい)でながら戦(いくさ)に散った平家の公達(きんだち)、驕(おご)る平家に運命を翻弄(ほんろう)された女性や、仇敵(きゅうてき)への憎しみにとらわれる猛将たち。彼らの登場する能は、まさに諸行無常(しょぎょうむじょう)の世に生々流転(せいせいるてん)する人間ドラマです。能面の世界4は、能面でつづる『平家物語』の世界。時代の狭間(はざま)を健気(けなげ)に生きた人々の生き様を思いつつ能面に向き合うと、いつもと違った表情が見えてくるかも知れません。
◆驕る平家
2. 小面 3. 頼政 4. 小飛出 5. 三光尉 6. 十寸髪 7. 中将 8. 今若 9. 源氏 10.平田 11. 曲見 |
『平家物語』を題材にした能には、平家や源氏の武将ばかりでなく、女性を主人公にするものも意外に多くあります。『祇王(ぎおう)』もその1つ。祇王は都で評判の白拍子(しらびょうし)(立烏帽子(たちえぼし)に水干(すいかん)姿で歌や舞をする遊女)。平清盛(たいらのきよもり)は惚れ込んで、そば近くに召し、下にも置かぬ扱いです。ところが、新顔の白拍子・仏御前(ほとけごぜん)に心を移すと、屋敷を追い出すなど冷たくあしらいます。祇王は世の空しさを思い出家、仏御前も身のはかなさを感じて出家、二人は祇王の母と妹とともに念仏三昧(ねんぶつざんまい)の余生を送り、極楽往生(ごくらくおうじょう)をとげたといいます。「平家物語」では、栄華をほしいままにした清盛の悪行の一つとしての祇王のエピソードが語られますが、能の世界の『祇王』は、清盛の所望(しょもう)という設定の、祇王・仏御前つれだっての美しい舞に主眼があるようです。ここでは、祇王の役に用いられるものとして小面(こおもて)(No.1)を挙げました。
『平家物語』は、平家一門の繁栄から没落までを描いて「盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)」を説き、平家の末路(まつろ)は、長男重盛(しげもり)が「悪逆不道」と嘆いたほどの清盛の横暴な行いの報いであるという構想に基づいています。清盛の悪行によって悲しい運命にさらされた女性の物語をもう一つ。清盛は、娘を高倉天皇(たかくらてんのう)に嫁(とつ)がせ、生まれた皇子が天皇になることで、ますます権力の座を固めました。この清盛にとって目ざわりだったのは、高倉天皇が熱愛していた小督局(こごうのつぼね)という女房(にょうぼう)です。小督には藤原隆房(ふじわらのたかふさ)も想いを寄せており、隆房にも娘を嫁がせていた清盛にとっては腹立たしい存在です。小督は、清盛をおそれて天皇のもとから去り、身を隠しました。能『小督』は、ひそかに天皇から遣(つか)わされた源仲国(みなもとのなかくに)が、琴の音を頼りに小督の居所(いどころ)を捜し当て、天皇と小督それぞれの想いを橋渡しするという話です。琴の名手で思慮深い小督にも小面(No.2)があてられます。
さて、天皇の祖父という権威をかさにきる清盛に対し、当然反逆の動きも出てきます。源頼政(みなもとのよりまさ)もその一人。後白河法皇(ごしらかわほうおう)の皇子の1人をたてまつって謀反(むほん)を企てます。ところが、密告するものあって計画は失敗。頼政は宇治(うじ)の平等院(びょうどういん)で平家の軍勢にかこまれ、辞世の歌を詠んで自害します。No.3は、ずばり頼政その人をあらわす面。見開いた眼には金具を嵌(は)め、口を開いて上下の歯をむき出しにするさまに、いかにも憤懣(ふんまん)やる方ない彼の心情があらわれています。『平家物語』には、この頼政の在(あ)りし日の手柄(てがら)話として、宮中を悩ませた物(もの)の怪(け)退治のエピソードが収められています。能『鵺(ぬえ)』は、頼政に退治された物の怪・鵺が主人公。原典では触れられることのない鵺の心の闇が切々と語られます。鵺には小飛出(ことびで)(No.4)、猿飛出(さるとびで)などが用いられます。
治承(じしょう)4年(1180)秋、源頼朝(みなもとのよりとも)、源(木曾(きそ))義仲(よしなか)があいついで挙兵。翌年春に清盛が熱病にかかって死去。いよいよ平家滅亡の始まりです。平家は、まず木曾義仲を討とうと北国へ軍を差し向けますが、加賀(かが)・越中(えっちゅう)の国境の倶梨加羅谷(くりからだに)に攻め落とされ惨敗。続く篠原(しのはら)の戦いで、敗色濃厚ながら一人果敢に戦う武将がいました。斉藤実盛(さいとうさねもり)です。齢70を過ぎ、老いぼれと侮(あなど)られないよう白髪を染め、故郷での戦いだからと錦(にしき)の直垂(ひたたれ)を着込んでの出陣でした。この老武者の気概(きがい)には、敵方の源氏の武将たちも胸を打たれます。能『実盛』に用いられるのは三光尉(さんこうじょう)(No.5)。頬骨(ほおぼね)が突き出し、額(ひたい)や頬に寄る皺(しわ)も分厚く、粗野な雰囲気が気骨(きこつ)ある老武者にふさわしいとされます。
◆平家の都落ち
木曾義仲が京に迫ると、平家一門は幼い天皇を伴って、慌てて都を落ちていきます。落ちる平家にかわって都に入った義仲は得意絶頂。しかし、後白河法皇を幽閉するなどの暴挙をはたらき、鎌倉方から討伐軍が派遣され、一転追われる身に。この木曾義仲の壮烈な最期(さいご)を描く「木曾最期」は『平家物語』でもよく知られた部分ですが、能『巴(ともえ)』は、その中での義仲と巴御前(ともえごぜん)との別離を題材にしています。巴御前に用いられるのは、十寸髪(ますかみ)(No.6)。眉根(まゆね)をしかめて額にエクボ状のくぼみを作る緊迫感のある面相は、女武者の情熱と強さをよく表しています。
いっぽう都から九州に逃れていった平家一門ですが、安住の地を得られず、舟で海上を漂(ただよ)う羽目(はめ)に。平家の前途を悲観した平清経は、海に身を投げてしまいます。清経の入水(じゅすい)は、『平家物語』では「大宰府落(だざいふおち)」の中でわずかに触れられるのみですが、能の世界では、残された清経の妻と亡霊となった清経が互いの心を取り交わす情緒ある一番が作られました。能『清経』です。清経の妻は、悲しみのあまり形見(かたみ)の黒髪を受け取ろうとしません。その妻の夢の中に清経の亡霊が登場し、形見を受け取らないことの恨(うら)みを言うと、妻も残されたことのやるせなさを切々と訴えます。妻の気持ちを受け止めながら清経は、戦乱にもてあそばれる苦しみを説いて、死を選んだことへの理解を求めるのでした。この清経に用いられる面として、ここでは中将(ちゅうじょう)(No.7)を挙げておきます。中将は平家の公達(きんだち)をあらわす代表的な男面です。額にはいた黛(まゆずみ)、薄い口髭(ひげ)、お歯黒(はぐろ)でそめた歯は、殿上人(でんじょうびと)の面相を写したものであり、眉根をしかめた憂(うれ)い深げな表情は、悲劇的な運命を背負った役柄にぴったりです。
さて、木曾義仲の討伐も果たし、寿永(じゅえい)3年(1184)春、源範頼(みなもとののりより)・義経(よしつね)の軍が西国(さいごく)の平家に迫ります。鵯越(ひよどりごえ)の坂落(さかおとし)で名高い生田(いくた)・一(いち)の谷(たに)の合戦です。この戦いで、多くの名のある平家の武将が命を落としました。中でも、琵琶(びわ)の名手経正(つねまさ)や和歌の達人忠度(ただのり)、笛の得意な敦盛(あつもり)や父の犠牲になった年若い知章(ともあきら)の死は人々の涙を誘うものでした。今若(いまわか)(No.8)、源氏(げんじ)(No.9)は、中将と同様、平家の公達にふさわしいとされる面です。とくに源氏は、中将や今若よりもさらに年若い少年の面であり、『敦盛』にふさわしいでしょう。この戦で手柄を立てた源氏の武将、梶原景季(かじわらのかげすえ)も能に取り上げられています。『箙(えびら)』は、景季が生田の森に咲いていた梅の花を箙に挿(さ)して戦いに臨(のぞ)んだ、その風流心をテーマにしています。用いる面は、平太(No.)。平太(へいだ)は、ほかに『八島(やしま)』の源義経にも用います。中将が平家の公達を象徴する面なら、平太は源氏の武将を象徴する面と言えましょう。