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No.229

考古・民俗展示室

福岡願掛重宝記

平成15年9月23日(火)~11月30日(日)

はじめに

 その昔、江戸の町で『願懸重宝記(がんかけちょうほうき)』という願掛けガイドが流行しました。江戸の町に点在する流行の神仏と、その願掛け作法が記された興味深い書物です。
 この展示では、その『願掛重宝記』の形式にならって、福岡市内にみられる様々な祈願のかたちをご紹介します。
 もちろん、願掛けの対象となるものは、今回紹介する以外にも多く存在します。それら全てを挙げることはできませんので、一部を除いて、あまり知られていないものを集めてみました。
 これらの願掛けををじっくり観察してみると、そこにはただ信仰とか宗教とかという言葉だけでは言い表しづらい、私たちの知識、連想、言葉遊び、娯楽、歴史意識などが混ざり合った何ものかがあることに気づかれるでしょう。


福岡願掛重宝記(ふくおかがんかけちょうほうき)
○愛宕(あたご)神社  諸願とくに断ち物


愛宕神社

 西区愛宕2丁目にあり、様々な願い事をかなえてくれる神様として知られます。伊勢音頭の「伊勢にゃ七度、熊野にゃ三度、愛宕さまには月参り」をもじって「猪野(いの)にゃ七度、香椎(かしいい)にゃ三度、愛宕さまには月参り」(「猪野詣りの唄」)とうたわれたように、福岡・博多の人々にたいへん親しまれてきました。
 愛宕神社の総本社である京都の愛宕神社は、火徳(かとく)の神として民間の崇敬(すうけい)を集めています。毎月24日には多くの参拝者が訪れ、各地の愛宕社では、火伏(じぶ)せの祈祷(きとう)として、禁酒などを誓い精進(しょうじん)する、いわゆる愛宕精進を行う習俗がみられます。福岡の愛宕神社で、火伏せ、家内安全、商売繁盛などの祈願とは別に、禁酒、禁煙などそれ自体を目的とした「禁断祈願」が行われているのも、愛宕精進のような好物を断つという祈願方法から派生した特殊なかたちとみられます。


○貴船(きふね)神社  旅の安全


貴船神社の絵馬

 西区姪(めい)の浜(はま)5丁目にあります。『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにぞくふどきしゅうい)』に、宝暦(ほうれき)7年(1757)に社殿を造ったとありますが、詳細は不明です。貴船神社の総本社である京都の貴船神社は、古くから雨水を掌(つかさど)る、雨乞(あまごい)・止雨(しう)の神とされています。雨が降ることを願うときには黒馬を、雨が止むことを願うときには白馬を献上するとされます。福岡県内にも雨乞・止雨の神としての貴船神社が多く勧請(かんじょう)されていますが、姪浜の貴船神社でそうした伝承は聞かれません。一方で、この神社には、廻船(かいせん)を描いた数多くの小絵馬が奉納されました。これは航海安全、つまりは旅の安全(特に海外)を祈願したものだといわれ、貴船神社は船の神様ということになっています。


○賀茂(かも)神社  皮膚(ひふ)病


加茂神社の絵馬

 早良区賀茂1丁目にあります。伝承によれば、享保(きょうほう)の飢饉(ききん)(1732)の後、氏子(うじこ)たちが本社である京都の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨(しもがも)神社)に祈願に行き、そこで神主に言われたとおり金屑(かなくず)川で鯰(なまず)に念じました。すると夢に鯰が現れ、鯰を殺したり、食べたりすることをやめ、川をきれいに保つようお告げがありました。それ以降、人々はそのお告げを守り、鯰を大切にしたといいます。この鯰にあやかって、ナマズと呼ばれる皮膚病の治癒祈願に人々が訪れるようになり、そのお礼として鯰の絵馬を奉納しました。


○照天(しょうてん)神社  縁結び・夫婦和合


照天神社

 南区野多目(のため)4丁目にあります。祭神は伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の二神で、夫婦神であるため縁結び・夫婦和合に御利益があるとされ、二股大根の絵馬が奉納されています。『筑前国続風土記附録』には「聖天宮」と記され、18世紀末頃までは、そう呼ばれていたことがわかります。聖天(しょうでん)とは歓喜天(かんぎてん)の異称で、民間では夫婦和合、子授け、安産、商売繁盛等の信仰を集めています。持物(じもつ)の1つに大根があり、また聖天に大根を供える慣わしがあることから、照天神社と歓喜天との間に何らかのつながりをみることはできますが、当時すでに上記の二神が祭神とされており、両者の関係を明確に示すものはありません。


○探題塚(たんだいづか)  瘧(おこり)・痔(じ)


探題塚

 西区姪の浜2丁目にあります。『筑前国続風土記』には「村民は探題渋川堯顕(しぶかわたかあき)の墓所と云」と記され、伝説では、堯顕の死体から、赤い血ではなく白い汁が流れたとされます。地元ではこれを最後の九州探題の墓として守り続け、探題さまと呼び親しんでいます。『筑前国続風土記拾遺』によれば、「瘧病をやめる者祈願すれハ必験(げん)あり。其報賽(ほうさい)には木にて太刀(たち)或ハ鉾(ほこ)等を造りて捧(ささげ)るなり」といいます。瘧とは悪寒と発熱が定期的にやってくる病気ですが、現在、地元の人々は、探題さまは痔の神様だといいます。瘧と痔の字面の類似から起こった転化のように思われますが、明確ではありません。


○飛来(ひらい)神社  子の成長・手足の痛み


飛来神社

 博多区吉塚3丁目にあります。『筑前国続風土記』に「古昔此村に温泉あり。是を薬師(やくし)の湯と云。其側に大己貴(おおなむぢ)命、少彦名(すくなびこな)命の二神を勧請して、湯守の神とす。後世薬師仏を以て両神に替えたり」とあり、飛来神社の祭神は、温泉にまつられていた二神を移したものとされています。お飛来さまは子どもが大好きで、子どもたちがご神体の神像で遊ぶと喜ばれるといわれ、夏になると近くの子どもが神像を持ち出して川に投げ込み、浮き袋がわりにして遊んだといいます。また、少彦名命は手足が不自由な神様だといわれ、手足の痛みが治るように祈願し、お礼に木で作った手形足形を奉納しました。


○こぶれき地蔵  諸願・体の痛み


こぶれき地蔵

 東区志賀島(しかのしま)にあります。地蔵の由緒に関する記録はありませんが、もとは路傍の地蔵であったものを、昭和8年に堂を建てたものだといわれます。魚の行商人がセリの前に拝んでいくなど、地蔵堂には早朝から近所の人々がやってきます。堂内には手のひらに収まるほどの大きさの石がいくつも納められ、それで自分の体の悪いところをさするとよくなるといわれます。また堂内には小絵馬がかかっており、かつては一面に掛けられていたようです。住宅密集地にまつられる小さな地蔵堂として、生活に密着した信仰の形があらわれているといえます。


○縁切(えんきり)地蔵  縁切り


縁切地蔵

 早良区野芥(のけ)4丁目にあります。伝説によれば、和銅(わどう)年間(708~715)、重留(しげとめ)(早良区)の土生(はぶ)長者の息子・兼縄が、長者原(ちょうじゃばる)(粕屋町(かすやまち))の大城(おおき)長者の娘・於古能(おこの)姫と結婚することになりました。ところが兼縄は家を飛び出したため、父は使いを出して頓死(と んし)と偽ったところ、この報せを聞いたお古能姫は野芥で自害してしまいました。これを哀れんで建てられたのが、この縁切地蔵だといわれています。地蔵の石を削って飲み、相手にも飲ませると、その縁を切ることができるといいます。近年では、男女の縁のみならず、あらゆる悪縁を切るとして、各地から参拝者が訪れています。


現代の小絵馬師

 これまで紹介してきたうち、こぶれき地蔵や縁切り地蔵には、同じ人が描いた絵馬が掲げられています。ほかにも博多区千代4丁目の崇福寺(そうふくじ)にある旭地蔵や博多区吉塚1丁目の吉塚地蔵にも同様の絵馬が数多く奉納されています。
 この絵馬を製作しているのが早良区重留の池田タカノ(大正6年生)さんです。絵馬を描いて42年のキャリアを持つ池田さんですが、きっかけは、いつもお参りしていた旭地蔵門前の絵馬屋さんからの勧めだったといいます。お父さんが副業で絵馬師をしていて、本人も絵が好きだった池田さんは、以来、年間千枚以上の絵馬を作り続けてきました。

(松村利規)

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休館日
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(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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