平成16年11月16日(火)~平成17年1月23日(日)
4.年代推定の方法
弥生時代の北部九州では前期の終わり頃から甕棺(かめかん)という土器の棺が広く使われようになります。これは弥生時代の初めの頃から見られた大型の壷から変化したもので、前期の終わりの頃から更に大型化し、専用の棺として使われるようになります。そして、その頃から朝鮮半島製の青銅器(銅剣(どうけん)、銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)、鏡)が副葬されるようになります。また、中期の終わりの頃になると、中国の前漢(BC206~AD8)の鏡が副葬されるようになります。これまでの研究で甕棺の新旧関係やそれらの副葬品も作られた年代がおよそわかっていますので、その組み合わせ等から各時期の甕棺の年代を推定します。また、甕棺墓には副葬や祭祀等で壷などが使われることがありますので、日常の土器の年代も推定することができます。
弥生時代の年代は前期の終わりの頃までは副葬された青銅器等から推定することができます。ところが、それ以前になると年代の決め手となる遺物は極めて少なくなります。津屋崎町今川(いまがわ)遺跡で出土した銅鏃(どうぞく)、銅鑿(どうのみ)は弥生時代前期の初め頃と考えられるものです。これらは中国の遼東(りょうとう)半島を中心に朝鮮半島まで分布している遼寧式銅剣(りょうねいしきどうけん)と呼ばれるものの再加工品です。遼寧式銅剣は中国では時代の分かる青銅器と出土することから、それを手がかりに年代が推定されています。今川遺跡と同様のものは韓国松菊里(しょうぎくり)遺跡の石棺墓(せきかんぼ)から出土しており、それらに近い年代と考えられています。今のところ、年代は確定できていませんが、紀元前4世紀から前5世紀と考えられています。
5.新たな年代観―弥生時代は500年さかのぼるのか―
これまで考古学で年代を定める作業は主に作られた年代がわかる中国等の資料を手がかりに進められてきました。こうして、弥生時代の始まりが約2,400年前という年代観は作られました。一方で、遺物そのものの年代を測定する作業も行われてきました。放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい)は記録のない時代の縄文時代や旧石器時代では盛んに利用されてきました。もちろん、弥生時代の資料でも行われてきましたが、これまでは測定値の誤差が大きかったこともあり、あまり利用されてきませんでした。しかし、AMS法を用いた放射性炭素年代測定により測定精度が上がり、短時間で多くの資料を測定できることになりました。国立歴史民俗博物館では日本各地の縄文時代から弥生時代の遺跡の他、韓国の無文土器時代の資料を測定しました。これらの成果から、弥生時代早期は紀元前10世紀後半、弥生時代前期は紀元前9世紀末、中期は紀元前4世紀後半に遡る可能性があることが示されました。それらはこれまでの年代観を大きく見直すものとなりました。
6.今、弥生時代とは
今回、弥生時代の始まりの年代に関して新たな年代観では弥生時代は500年遡り、弥生時代も500年長くなりました。この年代観で弥生時代を考えていくと、稲作が始まった契機や稲作の広がりの速度、社会の形成過程に関して見直しが必要になってきます。しかし、この年代観に関してはまだ確定したものではありません。測定によって年代を推定する指標が示されたということです。国立歴史民俗博物館以外にも九州大学の研究チームは人骨や獣骨の放射性炭素年代測定を試みています。北部九州では甕棺墓から人骨が出土することが多く、人骨による年代測定が進めば、甕棺の年代を推定する手がかりになることから注目されています。また、名古屋大学年代測定総合研究センターでは鉄器に含まれる炭素を抽出して測定を行うという研究を進めています。これからさまざまな方法で年代決定の指標となるデータが蓄積されるでしょう。それによって、遺物、遺跡の年代が明らかになり、インドの仏陀(ぶった)や中国の孔子(こうし)が教えを広めてきた頃、日本では何を食べて、何に祈りを捧げていたかが分かるようになれば、歴史がもっと身近に感じられるでしょう。120年前に見つかった弥生式土器から始まった弥生時代の研究は今、新たな時代をむかえています。
(菅波正人)
参考文献
「弥生時代の始まり」『季刊考古学第88号』雄山閣 2004
春成秀爾・今村峯雄編『弥生時代の実年代 炭素14年代をめぐって』学生社 2004