平成18年5月30日(火)~7月9日(日)
◆東国の能-鬼女
能面といえば「般若(はんにゃ)」の面を思い浮かべる人も多いでしょう。角を生やし、牙を剥き出しにした女の面です。さて、この「般若」を用いる役柄には、二つの性格があります。一つは、嫉妬心が高じて鬼と成り果てた女性で、恋敵を呪う『葵上(あおいのうえ)』の六条御息所(ろくじょうみやすどころ)や、蛇体となって男を追う『道成寺(どうじょうじ)』の主人公がその代表です。もう一つは、人を襲う妖怪としての鬼女です。『黒塚(くろづか)』や『紅葉狩(もみじがり)』の主人公がそうです。
14 般若 |
『黒塚』の舞台は奥州の安達太良山(あだたらやま)の麓に広がる安達ヶ原(あだちがはら)(現福島県二本松市)です。熊野の僧が、本山を出て諸国巡礼の旅に出掛け、「名にのみ聞きし陸奥(みちのく)の」安達ヶ原まで来て、荒野の一軒家に宿を借ります。家のあるじは中年の女。「げに侘(わ)び人のならひ程、悲しき物はよもあらじ…(侘び住まいの暮らしほど、悲しいものはないだろう)」などと独り言をつぶやく孤独の影の強い人物です。家の中には、枠枷輪(わくかせわ)という糸繰(く)り道具があります。僧たちが珍しがると、女は旅の慰めにと使って見せてくれます。糸を繰りながら、女は、「真緖(まそほ)の糸を繰り返し、昔を今になさばや、賤(しず)が績麻(うみそ)のよるまでも、世渡る業(わざ)こそ物憂けれ…(麻の糸を繰り返し紡ぐように、昔の日々が取り戻せるならいいのに。夜中まで糸を紡ぐ賤女の業は、つらく悲しい)」と、糸紡ぎの労働にこと寄せて、生きるつらさを謡います。夜更けになり、女は客人たちのため薪(たきぎ)を取りに出掛けます。その際、閨(ねや)(寝室)を覗いてくれるなと言い置いて行くのですが、見るなと言われると見たくなるのが人情。僧の従者が閨の戸をそっと開いてしまいます。すると中には幾多の死骸。さては、いにしえの人が「安達の原の黒塚に、鬼こもれり…」と詠っているのは此処のことかと驚き、逃げ出します。約束が破られたことを知った女は、鬼女の本性を現し、恐ろしい形相で一行を追いかけてきます。僧たちは、不動明王に一心に祈ります。僧の法力(ほうりき)ゆえか、それとも、ふと我に返ったのか、鬼女は猛り狂うのをやめ、足もとも弱々しく「安達原の黒塚に隠れ住みしも、あさまになるぬ浅ましや、恥づかしの我が姿や…(安達ヶ原の黒塚に隠れ住んでいたのに、それをあからさまにされ、浅ましい我が姿の恥ずかしいことよ)」と、夜嵐の中に紛れて姿を消してしまいます。
旅人が、荒野の一軒家に宿を借りると、宿主が人食いの鬼婆だったというのは、なじみ深い昔話です。しかし、能の『黒塚』が、そのような民話を題材にしたのかははっきりしません。引用される古歌「陸奥の、安達の原の黒塚に、鬼こもれりと聞くはまことか」とは、勅撰和歌集『拾遺和歌集』に採録された平兼盛(たいらのかねもり)の作品で、奥深い安達ヶ原の黒塚にさる高貴な女性たちが住んでいるのを知り、その人たちにあてて、「安達ヶ原には鬼が住んでいると聞くが、それはほんとうか」と詠い送ったもの。ここでいう「鬼」とは美女の例えなのです。しかし、平安の都から、はるかに遠く未開の地とも見える安達ヶ原は鬼が棲むようなところだ、というイメージがあったことは確かです。能の『黒塚』は、いつ頃、誰が作ったのかはっきりしませんが、和歌に詠われたイメージをふまえているのは確かです。ただ、『黒塚』の主人公は、旅人を舌なめずりして待つような怖ろしい鬼ではなく、人喰い鬼という浅ましい境涯を嘆く悲しい存在として描かれています。鬼女の気遣いを台無しにしたうえ、その悲哀を汲み取ることの出来ない熊野の僧一行よりは、よほど共感と同情を寄せられるキャラクターとして造形されているのです。ここに、この能の作者が、鄙に住む者に寄り添い、都に住む者が知ろうともしない、その寂寥(せきりょう)や疎外感を浮き彫りにしようとした意図を感じることが出来るのではないでしょうか。
(杉山未菜子)