平成19年1月23日(火)~3月25日(日)
市小路町下の山笠は向こうが透けて見える珍しい造り(年表51番) |
「旧稀集(きゅうきしゅう)」とは
「旧稀集」とは、博多中島町(なかしままち)(現在の博多区中洲)の曲げ物細工商庄林半助(しょうばやしはんすけ)が著した、江戸時代後期の福岡・博多の見聞集です。時代順に収録された記事は約200件で、その内40件に飄逸(ひょういつ)な挿絵が付属するのが特徴です。
この本が対象とする時期は、寛政(かんせい)4(1792)年から明治10(1877)年頃まで、85年にも及び、なかでも文化・文政期(1804~1830)の記事が充実しています。これらはその時その時に書き継がれていったものではなく、後年になって回想を交えながら一気に書き上げたものであると考えられています。というのも、一部、事実と異なる記述や「この頃」といったあいまいな書き方が見られるためです。
その内容は、市井の小さな出来事や噂といったものから海外情報に到るまで、多方面に及びます。特に相撲、芝居、祭礼については、出来の善し悪しといった評価も含めて詳細に記録しています。次頁以降に本書に収録された記事を年表化したものを示しましたので、どういったことが記録されているのかご確認ください。
芝居見物群集中に猪駆け込みの図(年表44番) |
著者について
本書の著者が庄林半助とされているのは、①冒頭に「糸工屋事庄林半助」と書かれていること、②随所に「博多中嶋 箱曲物一切細工所 糸半」とある印が捺されていること、③裏表紙に糸工屋の商標と「庄林氏」という署名が書かれていること等によります。
しかし、実際は裏表紙に「明治廿年改写之」とあったり、冒頭に記された誕生年が早すぎたりすること等から半助のオリジナルの著作とも言い切れないようです。事実、今回展示する、明治時代の番付類(31)には半助の印が捺されているものがあり、また、明治41(1908)年に福岡県知事から表彰された額にも半助の名前が見られ、彼が活躍した時代が明治であることが判明します。
そうなると、旧稀集の元となった資料は何なのか、という疑問が生まれます。同じく中島町の住人であった武内氏が書いた記録が元になっていると指摘する人もいますが、現在のところは、はっきりしたことは分かりません。著者については今後の課題であると言えるでしょう。
本展示では、この旧稀集の記事に関連する実物資料を出来る限り集め、その全体像を明らかにしたいと思います。
(宮野弘樹)
旧稀集に捺された半助の印 |
番付(31)に捺された半助の印 |
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善照寺で発掘された大量の青磁碗(年表174番) |
松囃子(まつばやし)にて唐人町と釜屋番が大げんか(年表99番) |
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